三共(株)『三共六十年史』(1960.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
4月10日 東京府下寺島町七丁目二〇七番地サトウライト工場跡を継承、当社向島工場開設、同所に品川工場ベークライト工場焼失のため移転並に同工場オポピリン作業室新築移転 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月 賀陽宮恒憲王殿下品川工場に台臨 社内の主要記事〔株式会社時代〕
6月 ヴェルサイユ条約調印 内外事情
7月9日 湯浅武孫取締役に、荻原勘助監査役に就任 社内の主要記事〔株式会社時代〕
8月 製造工程標本製造発売 社内の主要記事〔株式会社時代〕
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月10日 遠藤与惣吉経営軸受粘滑料キシライト製造販売業を継承し、当社内にキシライト株式会社(資本金一〇万円、社長塩原又策)設立、品川工場構内に作業室設置 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月 台北市表町一丁目に台湾出張所開設 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月 品川工場内のタカヂアスターゼ工場は場内狭隘ならびに用水関係にて向島工場に移転 社内の主要記事〔株式会社時代〕
5月 柏木幸助の要望により柏木ヂアスターゼの製造販売を継承し、向島工場にて生産 社内の主要記事〔株式会社時代〕
6月1日 大谷嘉兵衛、福原有信を相談役に、長井長義薬博、鈴木梅太郎農博を学術顧問に推挙 社内の主要記事〔株式会社時代〕
8月 大阪出張所、大阪市北区淡路町二丁目四九番地に移転 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月6日 内国製薬株式会社を合併、資本金六一〇万円となる。同時にその事業並に工場を継承 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月6日 モルヒネ、コカイン等指定麻薬製造業者となる。 社内の主要記事〔株式会社時代〕
11月18日 内国製薬株式会社合併のため増資せる資本金全部を償却し、資本金五六〇万円となる 社内の主要記事〔株式会社時代〕
12月 専務取締役塩原又策海外事情視察のため渡米 社内の主要記事〔株式会社時代〕
12月 第四改正日本薬局方公布 内外事情
- 塩化アドリナリン品川工場にて国産化 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 泰昌日暮里工場にて上中啓三指導のもとにベタナフトール製造、販売は外国部担当 社内の主要記事〔株式会社時代〕
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
4月12日 米国アルミナム会社製品販売の目的をもって、当社内に姉妹会社亜細亜アルミナム株式会社(資本金一〇万円、社長塩原又策、常務取締役田口一太)を設立、アルミウニム線輸入販売 社内の主要記事〔株式会社時代〕
4月 鈴木梅太郎顧問研究燻蒸殺虫剤クロルピクリン(コクゾール)を品川工場にて研究完成し向島工場にて製造開始(当社農薬製造の発端) 社内の主要記事〔株式会社時代〕
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