三共(株)『三共六十年史』(1960.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
5月11日 自動車部品その他機械類輸入商事会社として日本橋住友ビル内に姉妹会社興東貿易株式会社(資本金二〇万円、社長古谷竹之助)設立。アクメ社、シュラム社、アメリカンボッシマグネット社の機械類、グレー自動車、脱色剤ダルコ等輸入販売 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月 品川工場内に鈴木梅太郎指導のもとに合成酒実験所を設く(理研合成酒の発端) 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月 品川工場員山科撨作欧米視察 社内の主要記事〔株式会社時代〕
11月 ワシントン会議 内外事情
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
5月13日 平和記念東京博覧会第一会場内三共特設館に皇后陛下行啓 社内の主要記事〔株式会社時代〕
7月22日 社長高峰譲吉逝去 社内の主要記事〔株式会社時代〕
8月 元監査役鳥居徳兵衛逝去 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月28日 コカ樹栽培ならびに粗製コカイン製造を目的として台湾台南州新営郡新営街王公廟に関係会社台湾生薬株式会社(資本金五〇万円、社長高橋是賢)設立、東京出張所は当社内、農場は同州同郡白河庄竹仔門に設置 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月 営業月報一一月号より泰昌版新設 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 室町二丁目の本社社屋裏に仮営業所を設け、社屋は品川工場構内に移し倉庫とし、その跡に鉄筋コンクリート地下一階地上七階の三共ビルディング建築に着手 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 高峰譲吉(アドレナリン、タカヂアスターゼ)鈴木梅太郎(オリザニン)田原良純(テトロドトキシン)は帝国発明協会より優秀発明者として表彰をうく 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 品川工場にて鱈肝油よりビタミンAD抽出に成功 社内の主要記事〔株式会社時代〕
- 健康保険法公布 内外事情
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
2月 鈴木梅太郎指導にて合成清酒を品川工場にて完成、関係会社大和醸造株式会社(資本金一〇〇万円、代表取締役塩原又策、小西新右衛門)を新設して醸造発売(新進)、工場は藤沢市に設置 社内の主要記事〔株式会社時代〕
3月1日 丸ビル開場と共に同ビル内に当社丸の内薬局開局 社内の主要記事〔株式会社時代〕
3月26日 元取締役古谷竹之助逝去 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月1日 関東大震災により本社仮営業所、並に箱崎工場焼失、品川、向島、泰昌の各工場は災厄を免る 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月10日 ほぼ落成したる三共ビルディングを急ぎ竣工、本社社屋として業務開始 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月10日 営業月報震災のため九・一〇の両月号休刊、一一月号より続刊 社内の主要記事〔株式会社時代〕
9月10日 姉妹会社興東貿易株式会社は米国製ハーレーダビットソン自動自転車輸入販売開始 社内の主要記事〔株式会社時代〕
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