中北薬品(株)『中北薬品二百五十年史』(1977.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
- ・伊藤圭介、朝日町の別邸に薬園を開く 業界関連事項
- ・この年コレラ流行、死者3万人に及ぶ 業界関連事項
- ・この年、米蘭露英仏との通商条約調印、尊皇攘夷の世論沸騰 一般社会事項
安政6年(1859) 5月 善七、井筒屋伊助へ奉公にあがる 当社事項
10月 大曽根町屋敷地所、八神八左衛門の後家たかに質流譲渡 当社事項
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
- ・伊藤玄朴、硫酸等21種の薬品製造を始める 業界関連事項
文久2年(1862) 3月 義宜十六代藩主となる 一般社会事項
- ・この年司馬凌海『七新薬』3巻を著す 業界関連事項
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
- ・京町2丁目21番地に店舗新築再建 当社事項
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
8月 名古屋に神札降る 一般社会事項
10月15日 慶喜、大政奉還 一般社会事項
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 明治と改元 一般社会事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
- ・この年米価1石につき9両 一般社会事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
8月 生阿片取扱規定を公布 業界関連事項
9月 平民に姓を許さる 一般社会事項
10月 四日市に回漕会社設立、四日市―東京間就航(明治9年廃業) 一般社会事項
- ・伊藤圭介東京に移住、このころより名古屋の本草学研究衰微 業界関連事項
- ・名古屋に初めて人力車登場 一般社会事項
- ・当時の物価(1円あたり)米2斗9升、塩42貫、酒1斗、牛肉10斤、木炭15貫 一般社会事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
5月 新貨条例を公布、金貨=20円、10円、5円、2円、1円銀貨=50銭、20銭、10銭、5銭口銅貨=1銭、半銭、1厘口貿易銀=1円(1両=1円) 一般社会事項
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