住友大阪セメント(株)『住友大阪セメント百年史』(2008.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
9月 本社を大阪市北区堂島浜通2丁目14番地へ新築移転(現・堂島クレイドルビル所在地) 大阪窯業
12月20日 岡田万次技師長に功労金を贈呈 磐城セメント
12月 八茎鉱山石灰石の玉山~四倉工業所間軌道運搬を馬車から蒸気機関車による牽引運搬に切り替え 磐城セメント
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
5月 福島県田村郡滝根村大字菅谷字釜山(現・田村市滝根町)での石灰石山開発のため地元交渉本格化 磐城セメント
7月28日 第一次世界大戦勃発 業界・社会一般
8月23日 日本、ドイツに宣戦布告 業界・社会一般
11月 (旧)大阪セメント、大阪セメント土地(株)に改称し、大阪府西成郡川南所在のセメント工場廃止(セメント製造から撤退) 業界・社会一般
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
6月21日 定款を変更し、減価償却を利益処分より費用項目へ変更 磐城セメント
7月 浅野セメント、北海道セメント(株)を合併(北海道工場となる。現・太平洋セメント上磯工場) 業界・社会一般
11月2日 福島県滝根村釜山の石灰石開発に関し滝根村(現・田村市)と契約締結 磐城セメント
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月27日 四倉工業所、夏井川水力電気(後の郡山電気)と10年間の買電契約締結 磐城セメント
10月5日 セメント製造兼営を株主総会で決議、セメント部を設置 大阪窯業
10月 小野田セメント製造、小野田工場において白色セメント製造開始 業界・社会一般
11月 (旧)小大下原石山(愛媛県・石灰石)を買収 大阪窯業
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
3月26日 四倉工業所、夏井川水力電気より300kW受電開始、工場の電化進む 磐城セメント
4月 大阪府西成郡恩加島村(現・大阪市大正区南恩加島7丁目)にセメント工場建設着工(後の大阪工場、現・セメント・コンクリート研究所所在地) 大阪窯業
5月 浅野セメント、川崎第一工場竣工(原石焼成法採用。後の日本高炉セメント(株)。現・デイ・シイ川崎工場) 業界・社会一般
9月12日 金輸出禁止(金本位制停止) 業界・社会一般
10月 常陸セメント(株)設立、助川セメントを買収 業界・社会一般
10月 平~郡山間の鉄道平郡線(現・JR東日本磐越車線)開通 業界・社会一般
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