※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 下山田石炭鉱区を買収 | 三菱鉱業前史事項 | |
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月22日 | 上山田石炭鉱区を買収(鯰田炭坑所管として試錐調査を実施) | 三菱鉱業前史事項 | |
4月17日 | 日清講和条約調印 | 関連事項 | |
12月6日 | 方城石炭鉱区を買収(鯰田炭坑所管として探炭作業を実施) | 三菱鉱業前史事項 | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 本社に売炭部を設置 | 三菱鉱業前史事項 | |
2月25日 | 荒川鉱山および日三市等9鉱山を買収(荒川鉱山は独立場所として稼行) | 三菱鉱業前史事項 | |
9月21日 | 佐渡・生野両鉱山および大阪製煉所、油戸炭坑の払下げを受ける(佐渡・生野両鉱山は独立場所として稼行) | 三菱鉱業前史事項 | |
10月20日 | 本社に鉱山部を設置 | 三菱鉱業前史事項 | |
10月22日 | 端島炭坑を高島炭坑の支山に改める | 三菱鉱業前史事項 | |
- | この年、全国出炭高500万tを突破 | 関連事項 | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 高島炭坑端島坑において坑夫争議起る | 三菱鉱業前史事項 | |
5月 | 高島炭坑において坑夫争議起る | 三菱鉱業前史事項 | |
7月13日 | 高島炭坑の納屋制度を廃止 | 三菱鉱業前史事項 | |
9月 | 吉岡鉱山製煉所において煙害防止のため1千尺余の大煙突を築造 | 三菱鉱業前史事項 | |
10月1日 | 金本位制実施(貨幣法施行) | 関連事項 | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 尾去沢鉱山において水力発電所を建設 | 三菱鉱業前史事項 | |
8月 | 佐渡鉱山鉱夫に対する安米供給制度を改革 | 三菱鉱業前史事項 | |
9月8日 | 筑豊骸炭製造合資会社の骸炭製造所(のちの牧山骸炭製造所)を買収 | 三菱鉱業前史事項 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 大阪製煉所電気分銅工場完成(電気銅月産150t、御料局時代産額の4倍に当る) | 三菱鉱業前史事項 | |
7月 | 佐渡鉱山において搗鉱場の増設、青化製煉法の採用等により増産を図る | 三菱鉱業前史事項 |