(株)神戸製鋼所『神戸製鋼100年 : 1905-2005』(2006.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月 若槻礼次郎内閣成立 業界・社会一般
3月 鋼材輸入関税の引き上げ 業界・社会一般
4月 わが国初の総合的セメントプラント(日産能力450トン)を完成、日本セメント佐伯工場に納入 当社の沿革
6月 条鋼分野協定成立(官民の生産量、生産分野の協定) 業界・社会一般
10月 海岸地区の線材工場完成(第1線材工場) 当社の沿革
10月 海岸工場に30トン平炉完成 当社の沿革
1926年 - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月 「健康保険組合」設立認可、被保険者2,510人 当社の沿革
12月 台湾銀行は、鈴木商店に対する貸し増しをしないことを決定 業界・社会一般
12月 大正天皇崩御、昭和と改元 業界・社会一般
- 鈴木商店彦島工場の硫安製造設備として1,000気圧の圧縮機を製作(国産初) 当社の沿革
- 国技館から、スケートリンク用アンモニア冷凍機を受注(わが国初) 当社の沿革
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
3月 東京渡辺銀行など取付休業、金融恐慌始まる、銀行法、震災手形損失補償公債法、震災手形善後処理法公布 業界・社会一般
4月 見習職工対象の「くろがねの友」発刊(月刊「神鋼タイムス」の前身。1935年に全従業員対象の機関紙となり、1944年6月、用紙不足で休刊) 当社の沿革
4月 鈴木商店、整理を発表 業界・社会一般
4月 田中義一政友会内閣成立 業界・社会一般
5月 鳥羽造船工場は、電機部門を残して閉鎖、造船、起重機部門は播磨造船工場に移す 当社の沿革
5月 日銀特例融通および損失補償法、台湾銀行救済法公布施行 業界・社会一般
10月 ソリッド・インジェクション・ディーゼルエンジンの製作を開始(わが国初) 当社の沿革
- 7~12月(第33期)で、初の欠損17万8,000円 当社の沿革
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月 私立神戸製鋼所青年訓練所の設立認可 当社の沿革
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