※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 直江津分工場閉鎖 | 当社事項 | |
8月22日 | 韓国併合に関する日韓条約調印 | 社会・一般事項 | |
11月 | 造船部修船架完成 | 当社事項 | |
- | 土橋長兵衛、エルー式電気炉により高速度工具鋼の生産開始 | 社会・一般事項 | |
- | 冬、北海道線で、初めてラッセル車1台(アメリカ製)を使用 | 社会・一般事項 | |
- | 上野池之端に初めて5階建木造のアパートできる | 社会・一般事項 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 川崎造船所(のちの川崎重工業)、兵庫工場でガス溶接開始 | 社会・一般事項 | |
2月21日 | 日米新通商航海条約調印。初めて関税自主権を確立 | 社会・一般事項 | |
3月29日 | 工場法公布(16年9月1日施行) | 社会・一般事項 | |
11月15日 | 東京市、初の公共職業紹介所を浅草・芝に開設 | 社会・一般事項 | |
11月19日 | 越後鉄道会社から客船・貨車全部を受注 | 当社事項 | |
- | 佃島製作所、往復動圧縮機(100馬力)を製作 | 社会・一般事項 | |
- | 東京石川島造船所(現・石川島播磨重工業)、30.5トンの天井クレーンを製作 | 社会・一般事項 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月27日 | アメリカより輸入の8900型過熱式蒸気機関車の使用開始(試作車を除き、以後国産に切替え) | 社会・一般事項 | |
4月 | 日本石油、ロータリー削井に成功 | 社会・一般事項 | |
6月15日 | 新橋―下関間で展望車付き特別急行列車運転開始 | 社会・一般事項 | |
7月30日 | 明治天皇崩御(31日、大正と改元) | 社会・一般事項 | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 遠洋漁業法による農商務省の認定工場となる | 当社事項 | |
- | 日本石油向けロータリー石油削井機の成功により受注増える | 当社事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | テーラー著『学理的事業管理法』が翻訳刊行され、テーラー・システム普及し始める | 社会・一般事項 |