清水建設兼喜会『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- 島田藤吉、創業。 業界関連・一般
- *佐賀の乱(~3月)。台湾出兵(5月)。函館~青森間に航路開設(9月)。日清条款調印(10月)。陸軍参謀局に地図政誌課・測量課を設置。 業界関連・一般
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月 工部省製作寮深川出張所・セメントを初めて焼成。 業界関連・一般
6月 工部省製作寮建築局・営繕局となる。 業界関連・一般
10月 東京本石町に店宅を設け、二代主これに移り、横浜吉田町店の経営を養子満之助に、東京新石町店の経営を養子武治にそれぞれ委嘱。 本社関連
10月 工部省製作寮営繕局、入札定則を規定。 業界関連・一般
11月 営繕局、独立して工部省営繕寮となる。 業界関連・一般
- この頃、店員制確立して請負業の形式を一応整う。//従来、棟梁が徒弟を指揮して仕事に当るにとどまつたものを、主人(棟梁)―手代(肝煎)―小僧(徒弟)に分化させ、主人のもと数名の肝煎が職方を使役監督し、小僧は肝煎を目差して業務見習に従うようにした。 本社関連
- 横井潔・アスファルトの実用に着手。 業界関連・一般
- *立憲政体樹立の詔勅公布(4月)。千島・樺太交換条約調印(5月)。身体を質とする借金を禁止(9月)。朝鮮江華島砲台と交戦(9月)。国民皆兵主義を採用(11月)。 業界関連・一般
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
1月 戸田利兵衛、創業。 業界関連・一般
- この頃か、横浜清水店で唐物販売を兼業。//明治17年までの間、郵使切手の取扱および洋品販売を兼業、廻し合羽・サラシ股引・襟巻のほか、靴下・フランネルシャツ・赤ケット・メリヤス・ラシャ・マンテルその他ズボン・チヨッキ類が売帳に見られる。 本社関連
- 工部省製作寮、品川硝子製造所開設。 業界関連・一般
- *日鮮修好条約調印(2月)。三井銀行(日本初の私立銀行)開業(7月)。東京、京橋大火で約1万戸焼失(11月)。この年12月、大工1日62銭5厘・左官50銭。 業界関連・一般
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月 コンドル(英)来日、西洋近代建築工学を移植 業界関連・一般
1月 工部省工学寮廃止、工学校を工部大学校と改称。 業界関連・一般
10月 渋沢栄一邸(深川福住町)竣工。//階段親柱に唐獅子を取付けた二代主の考案は、身分不相応として施主にしりぞけられ、切り取られた彫刻物が清水武治により返却された。なお、この建築物は後に三田綱町へ移築。 施工関係・備考 *は総体的な備考
12月 賞与制度採用。 本社関連
- 専任の会計事務店員をおく。//二代主の甥藤沢清八、初めてこれに専任。 本社関連
- 原林之助、再び上海視察。//上海日本領事館の設計・施工にも従事。 本社関連
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