清水建設兼喜会『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 肝煎制を廃し、場所掛制(★17頁参照)を採用。 本社関連
- *神田新石町店を清水武治店と改称。//この時代の東京店は本石町と新石町にあり、日本橋本石町は居宅兼用、新石町は謂ゆる「店」に専用されていた。奥と店との未分化な一時期のことである。 施工関係・備考 *は総体的な備考
- *東京大火(1月)。東京府職工学校創立(5月)。 業界関連・一般
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
1月 大阪窯業会社創立。 業界関連・一般
2月 東洋組セメント製造所(のちの三河セメント)愛知県に創業。 業界関連・一般
5月 皇居造営事務局設置。 業界関連・一般
6月 会計帳簿を改良。 本社関連
- この頃か、横浜店に事務掛長の制を設ける。//掛長に斎藤菊蔵(★16頁参照)を任じ、店主を助けて営業上の事務処理に当らせた。従来、店主の独断により処理したものを改めた点、注目される三代主の改革の一つ。 本社関連
- 川崎久根崎に煉瓦製造工場を経営。 本社関連
- 皇居造営事務局、コンドルの指導下に骨材の圧砕試験・煉瓦石の吸水圧砕試験を行なう。 業界関連・一般
- *軍人勅諭発布(1月)。日本銀行開業(10月)。 業界関連・一般
- 飛島文次郎、福井に創業(現、飛島土木)。 業界関連・一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
4月 浅野総一郎、深川工作分局セメント工場借受け。 業界関連・一般
6月 日本硝子製造会社創立。 業界関連・一般
7月 東京左官職人ら、防火目塗保護を警視庁に出願。 業界関連・一般
10月 東京左官組合創立、公認組合となる。 業界関連・一般
- 三代主、東京市土木定式請負人を拝命。 本社関連
- 清水宗家、横浜店を本店宅とし、清水武治店(東京)は本石町支店(別宅)となる。//清水武治店営業不振につき支店に改め、鋭意挽回につとめた結果、渋沢子爵の指導をも得て再起。越えて明治18年、後見者清水満之助に本石町店建家土蔵を譲与、経営の一切が三代主に委譲された。 本社関連
- 日本橋中洲~神田柳原堀川護岸施工。 施工関係・技術・備考 *は総体的な備考
- 横浜中村川・吉田川浚渫工事施工。 施工関係・技術・備考 *は総体的な備考
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