浦賀船渠(株)『浦賀船渠六十年史』(1957.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
12月25日 臨時総会開催、資本金一三〇万円に増加を決定〔2編3章2節〕
12月25日 取締役に阿部彦太郎、渡辺福三郎、監査役に池田庄吉を選任〔2編2章4節〕
12月31日 当社浦賀工場工員七六〇名、東京石川島造船所浦賀分工場工員九一八名〔2編3章2節〕
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月30日 *日英同盟条約調印〔2編概観〕 *一般事項
1月 社長塚原周造フィリピン砲艦入札のため同国へ出張〔2編4章1節〕
2月12日 フィリピン砲艦五隻受注成立〔2編4章1節〕
5月4日 臨時総会開催、東京石川島造船所浦賀分工場(川間)買収を決定、資本金一三〇万円増加による優先株発行を中止し、新たに買収に伴い資本金一九〇万円に増加を決定、同時に取締役員数を三名ないし七名に改正〔2編3章2節〕
7月30日 臨時総会開催、取締役浅野総一郎、監査役荒井郁之助満期辞任〔2編3章4節〕
8月30日 東京石川島造船所浦賀分工場(川間)所有権移転を登記〔2編3章2節〕
10月15日 フィリピン砲艦第一船ロンブロン(三五〇排水トン)進水、同時に開業式を挙行、同年一一月六日第二船マリンダキュー進水、同年一二月二五日第三船ボホール進水、翌三六年二月一日第四船セビュー進水、同年四月一五日第五船ジヨロ進水〔2編4章1節〕
12月12日 資本金一九〇万円に増加を登記〔2編3章2節〕
12月29日 臨時総会開催、監査役に岡本善七、取締役に富岡俊次郎、佐々木慎思郎を選任〔2編3章4節〕
12月31日 株主数四〇四名、〔2編3章4節〕
12月31日 浦賀工場工員数一、四八九名〔2編3章2節〕
12月31日 浦賀工場給水施設(荒巻用水および構内貯水地)、鉄橋、鉄軌道、電線等の敷設完了〔2編3章5節〕
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
1月21日 フィリピン砲艦第一船ロンブロン引渡、同年四月二二日第二船マリンダキュー引渡、他の三隻は契約解除(のちに扇海丸と改名、税関看視船として活躍)〔2編4章1節〕
2月29日 撓鉄工場火災〔2編3章5節〕
6月5日 臨時総会開催、専務取締役社長塚原周造辞任、専務取締役社長に早崎源吾就任、渋沢栄一、前島密、渡辺治右衛門を相談役に委嘱〔3編2章1節〕
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 *日露戦争勃発〔3編概観〕 *一般事項
5月5日 取締役阿部彦太郎死去〔3編2章1節〕
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