浦賀船渠(株)『浦賀船渠六十年史』(1957.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
3月2日 本工場事務所焼失〔3編2章2節〕
8月1日 浦賀町特設電話加入〔3編2章2節〕
8月24日 沖縄県庁・浚渫船第一、第二竜宮丸(各一五八総トン)二隻竣工〔3編1章1節〕
10月3日 本社を東京市京橋区南新堀町から同市麹町区有楽町三丁目三番地へ移転〔3編2章2節〕
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
3月25日 *遠洋航路補助法公布(翌四三年一月施行)、造船奨励法改正〔3編概観〕 *一般事項
4月9日 銀行借入金(第一銀行六〇万円、二十七銀行二五万円)に対して、工場抵当法による抵当権設定を登記〔3編2章2節〕
6月30日 相談役渋沢栄一辞任〔3編2章2節〕
8月22日 取締役朝田又七、同来栖兵衛辞任〔3編2章2節〕
8月30日 取締役原六郎辞任
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月1日 *航海奨励法廃止〔3編概観〕 *一般事項
4月 内務省新潟土木出張所・浚渫船浦賀丸(六〇五総トン)進水〔3編1章1節〕
5月21日 井上敏夫を顧問に委嘱〔3編2章2節〕
7月17日 浦賀工場ストライキ、翌十八日解決〔3編2章2節〕
8月30日 常務取締役中園慎吾辞任〔3編2章2節〕
9月5日 浦賀工場所長福地文一郎に代って石川綾治就任〔3編2章2節〕
10月25日 臨時総会開催、取締役白石元治郎辞任、取締役に足立太郎、岩崎達人を選任、浅野総一郎会長を辞任、取締役会で取締役社長に足立太郎、常務取締役に斎藤鉄太郎就任〔3編2章2節〕
10月26日 鉄道連絡船第三橋立丸(一六八総トン)進水〔3編1章1節〕
11月17日 浦賀町立実業補習学校を見習工委託学校と定め、正式に養成を開始〔3編2章2節〕
12月6日 取締役岩崎達人浦賀工場詰常務に就任〔3編2章2節〕
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
2月 監査役田中善助辞任〔3編2章2節〕
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