※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月24日 | *造船奨励金交付一時停止、大正八年一二月三一日満期失効〔4編1章2節〕 | *一般事項 | |
8月2日 | *米国鉄材輸出禁止〔4編3章1節〕 | ||
8月17日 | 臨時総会開催、資本金五〇〇万円に増加を決定、定款を改め、営業目的の中に遭難船舶の救助事業、海上運送業等を追加、本店所在地を東京市、工場を浦賀町および横浜市に設置と改正、取締役大木治吉、同山口辰弥、監査役松尾寛三辞任、取締役に山下亀三郎、松木幹一郎、監査役に林武平を選任〔4編2章3節〕 | ||
8月28日 | 本社を東京市麹町区有楽町三丁目三番地へ移転〔4編2章3節〕 | ||
9月3日 | 広海汽船・貨物船広福丸(四、七四五総トン)進水〔4編5章2節〕 | ||
9月19日 | 松田汽船・貨物船第六霧島丸(船鉄交換船四、七三六総トン)進水〔4編3章2節〕 | ||
9月28日 | *戦時船舶管理令制定、同年一〇月一日施行〔4編1章1節〕 | *一般事項 | |
11月15日 | 本社を東京市麹町区永楽町一丁目一番地東京海上ビルディングヘ移転〔4編2章3節〕 | ||
11月16日 | 山下汽船・貨物船第三吉田丸(船鉄交換船四、七五三総トン)進水〔4編3章2節〕 | ||
12月16日 | フランスMM会社・貨物船メカニシャン・ドンズル(八、二二七総トン)進水〔4編5章2節〕 | ||
12月21日 | 東京株式取引所で当社株式の取引開始〔4編2章3節〕 | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月12日 | 岸本汽船・貨物船神邦丸(四、七三六総トン)進水〔4編5章2節〕 | ||
3月10日 | 浅野合資・貨物船ドクター・ビアベノール(八、二三一総トン)進水〔4編5章2節〕 | ||
3月12日 | 第一銀行の債権六〇万円を完済〔4編2章5節〕 | ||
3月 | *標準船型調査委員会設置〔4編1章2節〕 | *一般事項 | |
3月 | *日本興業銀行法を改正、海事金融業務を開始〔6編2章2節〕 | *一般事項 | |
4月16日 | 広海汽船・貨客船広永丸(四、七三九総トン)進水〔4編5章1節〕 | ||
4月25日 | 第一次日米船鉄交換契約調印、翌五月中旬第二次契約成立〔4編3章1節〕 | ||
5月27日 | 浅野合資・貨物船イースト・インデアン(船鉄交換船八、二二五総トン)進水〔4編3章2節〕 | ||
6月10日 | 横浜工場拡張のため横浜市大野町埋立地四、二四六坪および宅地五〇四坪を横浜船渠株式会社から買収〔4編2章2節〕 |