安田保善社『安田保善社とその関係事業史』(1974.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
11月25日 京浜電気鉄道(株)の系列会社として海岸軌道(株)を設立す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
12月20日 中央開墾(株)設立に参加す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
12月21日 善三郎は正式に安田家を離脱す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月26日 住友総本店は住友合資会社に改組す 合名会社保善社時代//一般事項
3月16日 資本金を三、〇〇〇万円に増額す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
3月 善次郎は東京市長後藤新平の東京市政調査会設置ならびに東京都市計画案(八億円計画)に賛同し、後藤と市政調査会への寄付につき内談す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
4月14日 「貯蓄銀行法」公布(一一年一月施行、これより以後貯蓄銀行は普通銀行の業務兼営を禁止さる) 合名会社保善社時代//一般事項
5月6日 善次郎は東京帝国大学に対し講堂寄付を申し出る(七月四日受理許可) 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
5月14日 神奈川銀行を救済し安田関係銀行に編入す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
8月 横荘鉄道(株)の株式を引受け援助す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
8月 株式、綿糸、米などの価格上昇し、いわゆる中間景気を現出す(一〇月には下落に転ず) 合名会社保善社時代//一般事項
9月8日 財団法人安田修徳会を設立す、基金三〇〇万円(登記成立一二月二〇日) 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
9月28日 善次郎大磯別邸において没す、八四歳 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
9月29日 善次郎長男善之助は保善社二代総長に就任す(一一月一一日二代善次郎を襲名) 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
10月23日 理事を改選し二代安田善四郎、同善衛、同二代善助は辞任し、安田善五郎、同善雄、同善兵衛を選任す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
10月23日 定款および処務規程を改正し、結城豊太郎を専務理事兼支配人に選任す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
10月25日 栃木伊藤銀行を救済し安田関係銀行に編入す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
11月4日 原敬首相東京駅頭にて暗殺さる 合名会社保善社時代//一般事項
11月25日 皇太子裕仁、摂政に就任す 合名会社保善社時代//一般事項
12月11日 日本橋区小舟町三丁目九番地に保善社新館落成す 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項
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