※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 銀行合同盛行す(普通銀行四五行、貯蓄銀行三〇行合併) | 合名会社保善社時代//一般事項 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 関西貯蓄銀行は関西銀行と改称す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
2月24日 | 後藤新平に対し寄付申出の、財団法人東京市政調査会の設立認可さる(六月二六日設立) | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
2月 | 桂川電力(株)は東京電灯(株)に合併す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
3月1日 | 石井定七事件を起因として高知商業銀行休業、一〇月以降各地銀行取付にあい、いわゆる「銀行恐慌」起る | 合名会社保善社時代//一般事項 | |
3月15日 | 「処務規程」を「内規」と改称、人事施策の刷新と業務機構の改革を行ない業務組織を六部制に拡充し、関係行社に対する統制力を強化す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
4月21日 | 「信託法」「信託業法」公布さる(一二年一月施行) | 合名会社保善社時代//一般事項 | |
4月23日 | 土佐銀行を後援す(一二年一一月高知銀行に合併) | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
8月15日 | 浅野昼夜銀行の経営を引受け日本昼夜銀行と改称し、安田関係銀行に編入す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
8月 | 金解禁論高まる、九月政府は時期尚早を声明す | 合名会社保善社時代//一般事項 | |
9月 | 厚生施設「松翁会」を設立す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
10月 | 満蒙繊維工業(株)を奉天製麻(株)と改称す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
12月14日 | 日本紙器製造(株)を救済し安田関係会社に編入す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 帝国商業銀行を救済し安田関係銀行に編入す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
3月 | 横浜桟橋倉庫(株)の経営を引受け安田関係会社に編入す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
4月23日 | 安田関係の一一銀行(安田、第三、明治商業、信濃、京都、百三十、日本商業、二十二、肥後、根室、神奈川)は合同覚書を締結す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
5月7日 | 関係一一行の合同母体として保善銀行を設立す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
9月1日 | 関東大震災突発により保善社始め関係各行社社屋焼失のため落成間近の永楽ビルディングに仮移転す | 合名会社保善社時代//安田家および保善社事項 | |
9月1日 | 関東大震災突発す | 合名会社保善社時代//一般事項 | |
9月2日 | 「非常徴発令」および「戒厳令」公布、人心の安定と物資の円滑供給を行なう | 合名会社保善社時代//一般事項 |