※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月21日 | 英国金本位制を停止す、これにより日本の金輸出再禁止を見越して「円売ドル買」激化す | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
12月13日 | 顧問高橋是清は犬養内閣の蔵相として入閣のため顧問を辞任す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
12月13日 | 金輸出再禁止を決定(金本位制停止、管理通貨制へ移行) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
12月17日 | 「銀行券金貨兌換停止令」公布さる | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
- | 陸軍将校等によるクーデター計画未遂に終る(いわゆる三月および一〇月事件 | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 上海でわが海軍陸戦隊は中国十九路軍と交戦し、いわゆる上海事件突発(二月二〇日上海総攻撃) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
2月9日 | 前蔵相井上準之助暗殺さる | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
3月1日 | 満洲国建国を宣言す(九月一五日、日本は満洲国を承認) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
3月5日 | 三井合名理事長団琢磨《タクマ》暗殺さる | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
5月15日 | 海軍青年将校等による首相官邸襲撃により犬養首相暗殺さる、いわゆる「五・一五事件」突発 | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
6月15日 | 満洲中央銀行設立さる | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 安田信託(株)は本店を東京に移転し旧大阪本店を支店とす | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
3月4日 | 米国の金融恐慌拡大し、大統領は全国銀行の休業(四日間)を指令し、金輸出再禁止を実施す | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
3月27日 | わが国は国際連盟を脱退す | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
3月29日 | 「外国為替管理法」公布さる(五月一日施行、七年七月公布の「資本逃避防止法」は廃止) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
7月1日 | 阿波電鉄(株)は国鉄に買収され解散す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
10月12日 | 理事竹内悌三郎没す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 興亜起業(株)は臨港倉庫(株)と改称す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
12月20日 | 理事安田善兵衛、同二代善助辞任す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
12月29日 | わが国は「ワシントン(海軍軍縮)条約」破棄を米国に通告す | 合名会社安田保善社時代//一般事項 |