※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 京浜電気鉄道(株)および湘南電気鉄道(株)の両社は安田関係会社を離脱す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
12月 | 須川電力(株)は群馬水田(株)と改称す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 業務組織を秘書、理財、銀行、会社の四部制とし調査部を廃止して安田銀行の調査部に併合す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
1月22日 | 森広蔵を理事に選任す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
1月23日 | 高橋是清を顧問に嘱託す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
3月13日 | 結城豊太郎は専務理事を辞任す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
4月12日 | 四条隆英を理事に選任す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
7月9日 | 二日に成立した浜口内閣は軍縮促進、財政整理、金解禁を標榜《ヒョウボウ》し緊縮財政方針を打出す | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
8月1日 | 関係会社に対する業務運営制度を緩和す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
8月15日 | 共済生命保険(株)は安田生命保険(株)と改称す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
9月1日 | 業務組織を再編成し、従来の四部制を庶務、業務の二部制に縮小す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
10月19日 | 初代善次郎の遺志に基づく寄付実行により、東京市政会館ならびに日比谷公会堂完成す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
10月24日 | ニューヨーク株式大暴落、世界恐慌始まる | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
11月21日 | 金解禁に関する大蔵省令を公布(五年一月一一日施行) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 金輸出解禁実施、金本位制に復帰(本年中の金流出高は二億九、〇〇〇万円) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
4月22日 | 「ロンドン(海軍軍縮)条約」調印さる(一〇月二日批准《ヒジュン》) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
11月14日 | 浜口雄幸首相東京駅頭で狙撃《ソゲキ》され重傷を負う | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
- | 不況深刻化す(農村の疲弊、中小企業の倒産続出) | 合名会社安田保善社時代//一般事項 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月13日 | 川崎清男を理事に選任す | 合名会社安田保善社時代//安田家および保善社事項 | |
9月18日 | 満洲事変勃発、日華両軍衝突 | 合名会社安田保善社時代//一般事項 |