※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 上海出張所を同市四川路二一五に移転す | ||
- | (夏期)加水分解後の酸性液濾過用の硝化綿濾布は河村百合雄により前年来研究中の処、漸く自信ある品を得て実地に使用し始む(川崎工場) | ||
- | ズズキ協定を廃止す | ||
- | 川崎工場粗製部にクリスタライザー百箇を設備し次いで二百箇に増加す | ||
- | エスサン窒素肥料の製造を開始す(川崎工場) | ||
- | この年豆精及び第二粗製工場の大拡張を行う(川崎工場) | ||
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 天津工業株式会社にて粗豆酸より味の素の製造を開始す | ||
2月26日 | 名古屋市中区広小路西通一丁目二十四番地に家屋を購入し、名古屋出張所をこれに移転す | ||
2月 | 大阪方面の調味料工場よりグルタミン酸塩酸塩を購入、川崎工場にて精製する事を開始す(昭和十四年七月迄継続す) | ||
3月 | 大野碩十郎大連昭和工業会社へ出向す | ||
4月17日 | 大阪朝日新聞二万号記念に当り大阪松坂屋に開かれし飾窓競技会に参加し味の素の装飾は特選に入賞 | ||
5月 | ヒューマス濾過のためアメリカンフィルター八台の使用遊開始す(川崎工場) | ||
7月7日 | 盧溝橋事件より端を発し日華事変起る | ||
8月 | 川崎工場西工場蓮設に着手す(含糖アミノ酸年産十万石目標) | ||
10月31日 | 香港駐在所を閉鎖す | ||
12月 | 塩酸塩クリスタライザーはこれまで野天作業なりしも本月その上屋を設置す(川崎工場) | ||
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
6月30日 | 日華事変のため新嘉披駐在貴を引き揚げしむ | ||
8月1日 | 台北市に台湾味の素販売株式会社(資本金弐百万円)を設立す | ||
8月20日 | 天津事務所を出張所に昇格す | ||
8月29日 | 食塩電解工場五〇%操業を開始す(川崎工場) |