※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 小麦買附け事務の便宜上シァートルに出張所を置きニューヨーク出張所は一時閉鎖す | ||
4月5日 | 葉山工場沃度、硝石の製造を中止す | ||
6月 | 味の素看板班を組織し本店及び大阪支店を本拠として各地へ出張せしぬ各種看板の普及を図る | ||
8月 | 「味の素は断じて蛇を原料とせず」と題する社長の声明書を各新聞紙上にて発表す | ||
12月9日 | 社長鈴木三郎助調味料発明の実施者としてその実施効果卓絶せるものなる事を帝国発明協会より表彰せらる | ||
12月 | 川崎工場堀信一により蛋白質分解液濃縮の程度決定せらる | ||
- | この年京城辻本商店、釜山あづま屋の両店を朝鮮に於ける特約店とする契約成立す | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 台湾、朝鮮、中国、南洋各地との味の素の取引及び宣伝を大阪支店管轄に移す | ||
1月13日 | 特許第一四八〇五号の期間延長願を当局に提出す | ||
1月 | 国分商店、鈴木洋酒店、日比野商店により東京味の素会組織せらる | ||
2月 | 大豆蛋白抽出作業開始せらる(川崎工場) | ||
2月 | 大師漁業組合より川崎工場排水のため海苔作に被害ありとの申出ありしも気候不順の故と判明、解決す | ||
3月 | 大阪に初めて味の素の偽造品出現す、類似品は前年より本年にかけて市場に二、三種散見す | ||
4月10日 | 日本工業倶楽部にて第一回抽籤会を開催し全国より招待せる特約店を四日間に亙ゆ饗応優待す | ||
7月25日 | 農商務省より特許第一四八〇五号期恨延長許可の指令に接す | ||
9月1日 | 関東大震災により本店は焼失し川崎工場は全壊す | ||
9月2日 | 一時本店を芝区高輪南町五九の社長邸内に移す | ||
9月6日 | 川崎工場在庫小麦粉二万一千袋を供出し県下の食糧不足救済に備う | ||
9月15日 | 川崎工場復興工事に着手す | ||
11月26日 | 本店の仮建築成り従前の南伝馬町に復帰す |