※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 大蔵省、地方長官に銀行合併に関する手続を通達 | 一般事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月19日 | 日本商業銀行、門司市と金庫契約締結 | 当行関係事項 | |
4月15日 | 第三銀行大阪堂島支店開設 | 当行関係事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | 第一次世界大戦始まる | 一般事項 | |
7月31日 | 政府、日本銀行と正貨買入れに関する協定締結 | 一般事項 | |
8月20日 | 名古屋地方に銀行取付、年末までに東京・大阪・京都に波及 | 一般事項 | |
8月23日 | 日本、対独宣戦布告 | 一般事項 | |
8月 | 輸出商品、株式暴落 | 一般事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 百三十銀行、若松市と金庫契約締結 | 当行関係事項 | |
8月30日 | 東西大銀行間で貸出利子協定成立(十二月に廃止) | 一般事項 | |
8月 | 第三銀行、東京府市および区と金庫契約締結 | 当行関係事項 | |
12月4日 | 東京株式市場暴騰(いわゆる大戦景気の始まり) | 一般事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月7日 | 銀行条例改正公布(大蔵大臣の監督権限強化、七月一日施行) | 一般事項 | |
9月30日 | 明治商業銀行、群馬商業銀行を合併 | 当行関係事項 | |
12月13日 | ドイツ講和提議の報に株式市場混乱、立会停止 | 一般事項 | |
12月23日 | 日本興業銀行、豊国銀行・帝国商業銀行・百三十銀行とともに、日銀資金により東京・大阪の株式仲買人シンジケートへ救済融資を行なう | 一般事項 | |
- | 銀行条例改正にともない、貸借対照表にコールローン(安田銀行大正五年下期、第三銀行大正六年上期)・コールマネー(安田・第三銀行大正五年下期)・通知預金(安田銀行大正七年下期、第三銀行大正五年下期)・支払承諾(安田銀行大正八年上期、第三銀行大正五年下期)計上開始 | 当行関係事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | 米国、対独国交断絶(四月六日宣戦布告) | 一般事項 | |
3月 | 第三十六銀行を救済、同行は安田関係銀行となる | 当行関係事項 | |
9月7日 | 米国、金銀輸出禁止令公布(十日施行) | 一般事項 |