(株)明電舎『明電舎100年史. 沿革・資料編』(1998.06)

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関四郎社長(昭49~52) p194
関四郎社長(昭49~52) 「パワートロニクスの明電」具体的方針展開(昭49) p194
関四郎社長(昭49~52) 経済激動期(石油ショック)販売体制強化(昭49) p202
関四郎社長(昭49~52) 量から質への転換//ハード製品機種拡大開発(酸化亜鉛避雷器、真空遮断器、縮小開閉装置、半導体応用製品)(昭49) p239
関四郎社長(昭49~52) 量から質への転換//プラントまとめ部門“プラント建設部”誕生(昭50) p213
関四郎社長(昭49~52) 量から質への転換//ディジタル(コンピュータ製品ほか)制御装置工場新設(昭51) p212
関四郎社長(昭49~52) 量から質への転換//回転機飛躍目指し太田工場建設(計画~移転)(昭51) p216
生産体制構築(名古屋、品川、羽田工場新設、平坂工場操業、大崎工場改築、増強)生産効率向上(昭10) p84
戦時体制下生産、軍需会社指定(昭13) p93
戦時体制下企業内義務教育化(青年学校、技能者養成所)(昭14) p90
生産の国家管理軍需産業化(昭17) p83
戦火避け生産設備全国各地へ分散疎開(昭18) p94
戦後の体制整備/平和産業へ転換(GHQ支配スタート)(昭20) p100
戦後の生産体制整備(戦災、甲府工場再建、羽田工場接収、企業再建整備計画)(昭20) →工場統廃合 p101
戦後全国各地(大阪、名古屋、北海道等)営業所開設、販売体制充実(昭21) p103
全国販売網さらなる拡大、強化(昭33) p125
生産体制強化 沼津新工場建設(昭34) p135
生産性向上、労働時間短縮(土曜日休日増)(昭43) p165
量から質への転換(昭46~51) 生産部門体質改善へ向けて(昭48) p208
量から質への転換(昭46~51) 生産部門体質改善(太田工場建設、汎用モータBBS方式開発ほか)(昭48) p209
戦後全国各地(大阪、名古屋、北海道等)営業所開設、販売体制充実(昭21) p103
全国販売網さらなる拡大、強化(昭33) p125
生産体制構築(名古屋、品川、羽田工場新設、平坂工場操業、大崎工場改築、増強)生産効率向上(昭10) p84
戦後の生産体制整備(戦災、甲府工場再建、羽田工場接収、企業再建整備計画)(昭20) →工場統廃合 p101
生産体制強化 沼津新工場建設(昭34) p135
戦時体制下生産、軍需会社指定(昭13) p93
戦火避け生産設備全国各地へ分散疎開(昭18) p94
戦後復興、記録品生産(水車発電機、圧延機用三相誘導電動機、変圧器ほか)(昭20) p108
戦後の生産体制整備(戦災、甲府工場再建、羽田工場接収、企業再建整備計画)(昭20) →工場統廃合 p101
生産性向上、労働時間短縮(土曜日休日増)(昭43) p165
税制適格退職年金制度導入(昭53) p232
戦時体制下企業内義務教育化(青年学校、技能者養成所)(昭14) p90
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