※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月24日 | 関東を中心に大暴風雨、死者459人、全壊1450戸、流失18万7499戸 | 米穀等関連事項 | |
- | 日露戦争終結による戦後恐慌起こる | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 東京米穀取引所(青木正太郎理事長)、東京商品取引所(雨宮敬次郎理事長)合併。東京米穀商品取引所(初代理事長青木正太郎、相談役雨宮敬次郎)となる。資本金150万円。12月1日商内開始 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米穀市場数度の立会停止。仕手による暴騰後、大豊作による暴落。理事長、監査役2人の解職、仲買人10人の停業 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 「非常特別税法」廃止。取引所税法は増税率そのままが取引所税法に引き直され、取引所は難局に陥る | 東京米穀商品取引所略年史 | |
8月8日 | 東海・関東・東北地方一帯に豪雨。各地に大洪水、鉄道・通信不通、浸水44万3000戸、うち東京府18万5000戸 | 米穀等関連事項 | |
- | 仕手戦後の混乱の責任をとって辞任の青木正太郎のあとを受け、第二代理事長松沢与七就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | 第三代理事長根津嘉一郎就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月7日 | 関東・東北一帯に大降雹、青森地方では90センチも積る場所あり被害甚大 | 米穀等関連事項 | |
7月29日 | 米・籾輸入税率低減令公布 | 米穀等関連事項 | |
- | 公称資本300万円払込資本225万円 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | 米籾輸入関税一石当たり1円 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 政府は正米市場の延取引禁止の牽制策 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
6月5日 | 金沢で、米の空相場・買占め容疑で米穀取引関係者62人拘引 | 米穀等関連事項 | |
6月7日 | 東京で正米師10人余拘引 | 米穀等関連事項 | |
6月 | 45年6月受渡米に台鮮米を代用 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
6月 | 立会停止 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
7月1日 | 堂島米市場、突飛高で大混乱 | 米穀等関連事項 | |
7月1日 | 米価、未曾有の暴騰、深川正米市場相場石当り平均24円台 | 米穀等関連事項 | |
- | 大正1・2年米価高騰期 | 東京米穀商品取引所略年史 |