ニチボー(株)『ニチボー75年史』(1966.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和34年(1959) - 【渋沢敬三】日本学術振興会より『明治前日本漁業技術史』刊行。角川書店より『日本魚名の研究』刊行。 渋沢関係略年譜
9月12日 大蔵省、ドル為替の自由化を実施。 業界ならびに内外情勢
9月21日 (大日本紡績) 社長原吉平、ウイーンの国際綿連年次総会に出席。(~10.4) ニチボー関係
9月26日 (大日本紡績) 伊勢湾台風により三重・愛知・岐阜3県下の各工場に被害。 ニチボー関係
10月3日 (大日本紡績) 常務取締役塩塚忠美、ブラジルに出張。(~12.16) ニチボー関係
10月26日 (大日本紡績) 資本金6,562,500,000円となる(戦後5回目の増資、無償交付25%、8月31日の取締役会できまる)。 ニチボー関係
11月16日 (大日本紡績) 社長原吉平、藍綬褒章を受ける。 ニチボー関係
12月1日 (大日本紡績) 総務部に広報課を設置。 ニチボー関係
12月26日 (大日本紡績) 特殊人造繊維月産3トンを12月度より大垣化学工場において生産承認される。 ニチボー関係
12月26日 経済閣僚懇談会は原綿・原毛の輸入自由化を36年4月1日より実施することを決定。 業界ならびに内外情勢
昭和35年(1960) - 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 渋沢関係略年譜
1月12日 政府は貿易・為替自由化の基本方針を決定。 業界ならびに内外情勢
2月8日 原綿輸入自由化に備え紡績安定協力会を結成。 業界ならびに内外情勢
2月 (大日本紡績) 宮川毛織工場のハイパイル生産を本格化。 ニチボー関係
3月4日 (大日本紡績) 山崎工場に不織布据付け開始(5月18日綿入れ式、11月11日本生産開始)。 ニチボー関係
3月19日 (大日本紡績) 東京工場の織布を閉鎖(2月26日休止)。 ニチボー関係
5月19日 新安保条約反対を叫ぶ安保騒動勃発(6月23日発効)。 業界ならびに内外情勢
7月1日 日独新貿易協定調印。 業界ならびに内外情勢
7月11日 (大日本紡績) 大垣化学工場のファイバーN(仮称)をジュビランと正式命名。 ニチボー関係
8月1日 改正繊維工業設備臨時措置法施行。 業界ならびに内外情勢
8月9日 (大日本紡績) ニチボーブラジル建設のため常務取締役塩塚忠美・参与人事部長付市居誠一・人事部長付近藤進勇ら出発。サンパウロ州アメリカーナに工場敷地を決定。 ニチボー関係
8月27日 (大日本紡績) 貝塚工場女子バレーボールチームはインドネシアに遠征。(~9.18) ニチボー関係
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