※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月5日 | 喜多又蔵氏社長に就任 | ||
9月28日 | 喜多社長長江及北支視察の途に上る | ||
- | (下半期)欧洲大戦中の余沢を受け本邦綿業界大活躍、我社の成績も未曽有の良好にて二十五周年記念十割配当をなす(第五十期決算) | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | カラチ出張所開設 | ||
3月1日 | 生糸取引開始//横浜出張所開設、中外貿易会社の手を経て紐育出張所との間に取引を行ふ 其の後大正八年十月我社の直営に移す | ||
6月 | 資本金五百万円を千万円に増資 | ||
7月25日 | ブエノスアイレスに南米出張所を開設 | ||
7月25日 | 蘭貢出張所開設 | ||
11月11日 | 欧洲大戦終結 | ||
12月10日 | 喜多社長媾和使節隨員として渡欧の途に上る | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | ハーブルに我社出張所開設 | ||
8月31日 | 喜多社長媾和使節隨員としての滞欧の旅より帰途印度各店を巡視、帰朝す | ||
9月20日 | 喜多社長牧野媾和副使其他と共に参内、拝謁の光栄に浴す | ||
11月15日 | 名古屋出張所開設 | ||
- | 米、印棉対欧洲取引開始//大正八年喜多社長巴里に滞在中//「ハーブル」に対仏、米棉代理店設置//「リール」に対仏、印棉代理店設置//「リオン」に対仏、生糸代理店設置 | ||
- | スラバヤに南洋出張所開設 | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 資本金一千万円を五千万円に増資 | ||
3月30日 | 増資株第一回払込を終る | ||
3月 | (末日以降)大戦後の大恐慌期来る//大戦後の大恐慌に襲はれたる綿業界の自治的救済策として喜多社長は先約定綿糸布総解合の断行、輸出シンヂケート組織の二案を樹立し其代表実行委員として東棉児玉氏と共に之に当り綿業界救済に畢生の努力を尽す | ||
6月10日 | 中村利三郎氏、志方貞三氏、今村権九郎氏、楠本吉次郎氏、安井豊太郎氏取締役に就任 |