※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 香港、天津、青島、甲谷陀、蘭貢の各出張所を支店に昇格す | ||
9月7日 | 喜多社長乎和会議隨員としての功労に対し叙勲の光栄に浴す | ||
11月22日 | 欧洲出張所事務統轄の中心をハーブルより李浦に移し李浦に事務所を開設 | ||
- | (春)ラングーンに精米工場を買収し精米業に着手す | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
3月8日 | 浜松出張所を設置す | ||
3月10日 | ハーブル出張所閉鎖 | ||
3月31日 | 取締役今村権九郎氏逝去 | ||
3月 | 独逸綿花会社(MenkwaGeselschaft m. B. H.)をブレーメンに開設 | ||
3月 | シドニーに濠洲出張所を開設 | ||
9月25日 | 相談役志方勢七氏逝去 | ||
12月 | スラバヤ、シドニー、名古屋出張所を支店に昇格す | ||
- | (上半期)本年上半期(自大正九年十月一日至大正十年三月三十一日)は戦後の反動期に於ける綿業界大恐慌の余波を受け不成績に終れるも此間我社は商業道徳を固守し創業以来の方針を堅持せり | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月9日 | 取締役末吉勘四郎氏逝去 | ||
4月18日 | 喜多社長支那巡察の途に上る//五月二十二日帰阪 | ||
5月 | 倫敦出張所開設 | ||
6月 | 喜多社長棉花定期取引を大阪三品取引所に上場を提唱//斯くて昭和二年一月上場実現さる | ||
7月 | 伊太利ミラノに出張所(Ditta Menca)を開設 | ||
9月 | 広東出張所開設 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 鄭州出張所開設 | ||
9月1日 | 関東大震災起る//横浜支店にては社員三名雇員九名の犠牲者を出す、外に震災に因る我社の物的損害見積四百万円に達す//震災後生糸二港問題実現 |