日本綿花(株)『日本綿花株式会社五十年史』(1943.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
9月 済南出張所開設
10月 奉天出張所開設
12月 王正廷(当時の支露交渉委員)一行を歓迎す
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
5月 大正九年以来の財界大反動、大正十二年の大震災にて事業界不振、喜多社長は各店に経費節約と能率増進を要求す
7月 張店出張所開設
10月 漢口に泰安紡を創設
- バタビア出張所開設
- 支那内地に棉花荷造工場の設備をなす//河南省鄭州、山東省張店(大正十三年)山東省済南府(大正十二年)にそれぞれ棉花荷造工場を設置す
- 支那に棉花栽培を計画す(自大正十三年至大正十四年)
- バタビヤ出張所開設
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
1月 西貢へ出張員を派遺す
- 東阿弗利加へ進出を企図す
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
6月21日 加藤末雄氏取締役に就任
7月 タンガニカ及ウガンダに於ける繰棉工場を買収す
- 予て孟買支店よりモンバサに出張員を派出、棉花の買入、綿布の売込に従事せしめたるが大正十五年モンバサ出張所を設立
- (下半期)本年下半期(自大正十五年四月一日至同年九月三十日)は成績不振、配当は四分減の一割二分とす
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 東阿に於て棉花栽培に着手す(昭和三年より二ケ年間試培)
- (下半期)本年下半期(自昭和三年四月一日至同年九月三十日)配当は更に二分減の一割とす
- 御大典に際し喜多社長四位に叙せられる
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
- 一部社員を減員す
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