日本碍子(株)『日本碍子株式会社三十年史』(1949.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
4月 英国金輸出解禁
10月24日 当社内に於て定時株主総会を開く
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
4月24日 当社内に於て定時株主総会を開く
8月 マッフル窯竣工
9月2日 午後八時マッフル窯火入、六日午前三時焚き上ぐ
10月25日 当社内に於て定時株主総会を開く
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月25日 天皇崩御、皇太子裕仁親王殿下御践祚、昭和と改元
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
2月 (初旬)トンネル窯の建設に関して江副孫右衛門、吉田吉三両氏渡米
4月25日 当社内に於て定時株王総会を開く 監査役田中幸三郎、星野恵助両氏満期に付改選の結果両氏再選
4月 金融恐慌勃発
4月 プロクター式ドライヤー新設
8月 (中旬)江副、吉田両氏米国より帰朝
10月24日 東京市日本橋区通一丁目三番地森村銀行に於て定時株主総会を開く
11月16日 天皇陛下陸軍特別大演習御統監の為名古屋離宮に御駐輦の砌、特に侍従子爵海江田幸吉氏を差遣わされ当工場の実況を視察せしめらる
11月17日 高松宮宣仁親王殿下御来社
12月28日 ハロップ会社より築窯技師ベエリー氏夫妻横浜着
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月 ハロップ式トンネル窯建設工事に着手
4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 取締役諸氏満期に付改選の結果何れも再選、監査役一名増員、森村義行氏当選
5月1日 福岡出張所開設(福岡市土居町博多ビル二階)
5月24日 元監査役田中幸三郎氏逝去
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