(株)新潟鉄工所『新潟鉄工所四十年史』(1934.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
4月1日 農林、商工両省分設せらる。 社会記事
4月15日 元東京工場敷地二千三百二十一坪余の内現作業場敷地二百八十五坪を除く借地権を内務省復興局に売渡す。 会社記事
6月 六月の常例取締役会に於て取締役技師長本儀正氏の職名を常務取締役と改む。 会社記事
8月23日 新潟港に於て第三古志丸火災の為め廃船となりたるにより、九月運輸部を廃止す。 会社記事
9月4日 土崎分工場内鋳物及木型工場を閉鎖す。 会社記事
- 治安維持法公布。 社会記事
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
4月 労働争議調停法公布、七月一日より実施。 社会記事
6月25日 漁業用発動機検査規則公布実施。 社会記事
6月 新潟市に開催の新潟築港記念博覧会に舶用五十馬力ディーゼル機関を出品す。 会社記事
8月18日 蒲田工場職工の組織する労働組合たる労友会を公認す。 会社記事
8月 日本硫曹株式会社註文の十二瓲硫化炭素タンク車一輛を納入す。本邦に於ける此種タンク車の嚆矢なり。 会社記事
10月1日 (一、二両日)蒲田工場に於て製作中の陸用二サイクル空気噴油式五百馬力ノベル・ディーゼル機関及四サイクル式百馬力ニイガタ・エーアレス・ディーゼル機関完成につき其試運転状況を披露す。 会社記事
10月20日 多年内燃機関其他鉄工業に従事し産業貿易上功績尠からざる廉に依り日本産業協会総裁伏見宮博恭王殿下より表彰状を授けらる。 会社記事
10月 大阪市に開催の電気協会主催電気大博覧会に発電機直結七十五馬力ディーゼル機関を出品し、名誉賞牌を受く。 会社記事
11月23日 土崎分工場職工怠業状態に入り、同工場は経営の見込なきにより、十二月二日閉鎖す。 会社記事
11月30日 内藤社長、本儀取締役辞任につき十二月二十三日定時株主総会に於て補欠選挙を行ひ、橋本圭三郎氏、支配人長島吉次郎氏当選就任す。同日内藤氏を相談役に、本儀氏を顧問に推薦す。 会社記事
12月17日 蒲田工場健康保険組合設立認可せられ、新潟県下三工場は健康保険者に加入の手続を了す。 会社記事
- 此年新潟市入船町所在土地二千二百余坪を売渡す。 会社記事
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月25日 午前一時二十五分大正天皇崩御遊ばされ、今上陛下御践祚あらせらる。 社会記事
12月27日 参事制度を設け、蒲田工場長山口八次氏、新潟工場長鈴木春雄氏を参事に任ず。 会社記事
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