(株)新潟鉄工所『新潟鉄工所四十年史』(1934.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
11月10日 八時間制実施、同時に職工の日給を時給に改む。 会社記事
12月14日 新潟工場入船町事務所改築成り、之に移転す。 会社記事
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月15日 俄然財界に大反動起る。 社会記事
4月7日 恐慌来の為銀行取付頻発し、政府財界救済を声明す。 社会記事
5月2日 我国最初のメーデー上野公園に挙行せらる。 社会記事
6月19日 東京工場に於て最初のマーリース型四サイクル空気噴油式陸用三百馬力ディーゼル機関完成し、試運転を行ふ。 会社記事
8月9日 当社取締役社長山口達太郎氏逝去。 会社記事
9月23日 蒲田鋳物工場九百二十四坪の新築を清水組に請負はしむ。 会社記事
9月27日 臨時株主総会開催、取締役補欠として山口誠太郎氏当選就任す。同日取締役の互選により内藤久寛氏社長に就任す。 会社記事
9月 技師長本儀正氏を蒲田工場長に、技師加藤重男氏を同工場主任に任ず。 会社記事
9月 下旬より蒲田工場一部の操業を開始す。 会社記事
- 此年東京蒲田両工場財団を設定し、之を担保として日本興業銀行より金五十万円を借入る。 会社記事
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
7月10日 海軍大臣加藤友三郎氏、海軍大将島村速雄氏新潟工場を視察せらる。 会社記事
8月 日本興業銀行よりの借入金五拾万円を返済し、日本勧業銀行より財団担保にて金壱百万円を借入る。 会社記事
11月12日 米国華盛頓に於て第一回海軍々縮会議開かる。 社会記事
11月14日 総理大臣原敬氏東京駅に於て遭難薨去せらる。 社会記事
11月25日 皇太子殿下摂政の任に就かせらる。 社会記事
11月27日 蒲田工場機械工場及鋳造工場落成につき、其披露会を同工場広場に於て開催す。 会社記事
11月 大阪市に開催の農商務省主催工作機械展覧会に工作機械三種を出品し、一等賞状を授与せらる。 会社記事
- 本年下半期より新潟工場は鉄道省指定工場となる。 会社記事
PAGE TOP