※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月15日 | 英国造船材料の輸出を禁止す。 | 社会記事 | |
6月7日 | 山口技師は機械製作工業視察の為め、加藤技師は機械購入の為め何れも米国に向け渡航す。 | 会社記事 | |
8月20日 | 朝香宮鳩彦王殿下新潟市山ノ下工場を台覧あらせらる。 | 会社記事 | |
9月1日 | 九月一日より工場法施行につき各工場夫々工場管理人を選任す。 | 会社記事 | |
11月3日 | 迪宮裕仁親王(今上陛下)立太子の礼を行はせらる。 | 社会記事 | |
12月20日 | 技師渡辺儀助氏に長岡分工場主任を命ず。 | 会社記事 | |
12月 | 東京工場内工作機械工場拡張工事に著手[着手]す。 | 会社記事 | |
- | 此年春東京工場内に小規模の工作機械部を併設す。 | 会社記事 | |
- | 東京に開催の海事水産博覧会に舶用石油発動機を出品、金牌を受く。 | 会社記事 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月22日 | 機械購入の為め欧米出張中の技師加藤重男氏帰朝す。 | 会社記事 | |
3月9日 | 露国に革命起り、皇帝退位す。 | 社会記事 | |
4月6日 | 米国対独宣戦布告、欧洲へ出兵。 | 社会記事 | |
6月24日 | 新潟市改良座に於て創業二十周年祝賀会を挙行す。 | 会社記事 | |
7月1日 | 当社本店を東京市麹町区有楽町三丁目五番地に移転す。 | 会社記事 | |
7月6日 | 技師長本儀正、技師山下良彦両氏ディーゼル機関製作の用務を帯び横浜出帆米国を経て英国に渡航す。 | 会社記事 | |
8月29日 | 東京工場職工同盟罷業し、九月一日迄休業す。 | 会社記事 | |
10月1日 | 築地精養軒に於て本店移転の披露会を開催す。 | 会社記事 | |
10月31日 | 渡米中の技師野口善平氏帰朝す。 | 会社記事 | |
11月 | 東京工場内鋳工場落成し、技師松浦春吉氏新潟工場より東京工場に転勤す。 | 会社記事 | |
- | 昨冬来東京工場構内に建築中の工作機械工場竣功す。 | 会社記事 |