(株)新潟鉄工所『新潟鉄工所四十年史』(1934.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
4月25日 東京市京橋区本材木町三丁目日石本社販売店内に鉄工所東京出張店を置き、高谷出張所品川主任此に転任す。加藤〓[金+虎]松氏に高谷出張所主任を命ず。 会社記事
5月18日 鋼鉄製帆走油槽船宝国丸進水す。是れ本邦に於ける油槽船建造の嚆矢なり。 会社記事
6月24日 造船部鉄船機械工場建築を入札により新潟市高橋某に請負はしむ。 会社記事
7月 坂田貞一博士、寺野精一博士及内務省技師中川吉造氏来所、造船工場及修船架の位置を調査せらる。 会社記事
9月4日 同市[新潟市]に再び大火あり、二千百数十戸烏有に帰す。 社会記事
10月13日 戊申詔書煥発。 社会記事
- 此年ダン式舶用石油発動機の製作販売を開始す。 会社記事
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
6月5日 鉄工所運輸部所管船にして小樽西谷氏傭船中の第五日本海丸青森湾内にて火を発して沈没し、行衛不明約百二十五名に達す。 会社記事
6月11日 日石社長内藤久寛氏勅定緑綬褒章を授けらる。 会社記事
10月4日 逓信大臣兼鉄道院総裁男爵後藤新平氏当所を視察せらる。 会社記事
12月9日 日石本社監査役山口万吉氏逝去。 会社記事
12月18日 長岡分工場主任春山鍵太郎氏死去に付、同工場は当分柏崎分工場主任野口善平氏に兼掌せしむ。 会社記事
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月27日 造船部製材工場より発火、同工場及附属建物二棟、機械工場一棟を焼失す。 会社記事
3月5日 当所経理部楼上に於て重役会議開催、新潟鉄工所を日本石油株式会社より分離独立せしむる件を株主総会に附議することを議決す。 会社記事
3月6日 臨時株主総会開催、満場一致を以て資本金二百万円の株式会社新潟鉄工所を創立し、日本石油株式会社新潟鉄工所の財産全部を買収し、其営業及一切の権利義務を継承することを議決す。 会社記事
4月1日 株式を募集す。 会社記事
5月 英国倫敦に開催の日英博覧会に鑿井機械十三点を出品名誉金牌を受く。 会社記事
6月17日 株式会社新潟鉄工所創立総会を開き、附議の案件を可決す。 会社記事
6月17日 当夜新潟市鍋茶屋に於て創立披露会を開催す。 会社記事
6月25日 法学士長島吉次郎氏入社、監事兼経理課長に就任。 会社記事
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