日本鋼管(株)『五十年史』(1962.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月 国際聯盟正式成立 内外主要事項
3月 浅野造船所、浅野製鉄所を合併 わが社の沿革
4月 金融恐慌突発 一般経済恐慌に発展 内外主要事項
5月 戦時船舶管理令廃止 内外主要事項
7月 日本海軍八・八艦隊案発表 内外主要事項
8月 製板工場、厚板工場、小型高炉、スポンジ鉄各工場、諸鉱山の操業中止 わが社の沿革
9月 日本鋳造株式会社創立 わが社の沿革
12月 南洋委任統治宣言 内外主要事項
- 弱小鉄鋼会社倒産閉鎖続出 内外業界
- 八幡製鉄所南洋鉱石(ズングン)始めて入荷 内外業界
- ドイツ鋼材ダンピング開始 内外業界
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
2月 臨時財政経済調査会、本邦製鉄業振興の根本方針を発表 内外業界
4月 電気製鉄所にてフェロアロイ製造開始 わが社の沿革
4月 東洋製鉄株式会社、八幡製鉄所に経営委託 内外業界
4月 製鉄業奨励法改正(免税拡大、造船用鋼材奨励金) 内外業界
6月 厚鈑工場を小形条鋼工場に改造 わが社の沿革
10月 減資して資本金1050万円となる わが社の沿革
10月 白石元治郎社長を辞し、大川平三郎社長に就任、白石は副社長となる わが社の沿革
11月 ワシントン軍縮会議開催 内外主要事項
11月 皇太子裕仁親王殿下 摂政に就任 内外主要事項
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