西日本重工業(株)長崎造船所『三菱長崎造船所史. 続篇』(1951.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
3月 機械師長英人ストフーを再度雇入れ 新たに鉄船製造師英人ラング及び器械助師英人ジョンデキソンを雇入る 重要事項
3月 郵便汽船三菱会社九州地方の事務総括のため「長崎事務所」を設置 重要事項
4月 エー・チェー・ハンター「大阪製鉄所」を設立 横須賀工厰鉄骨盤製造へ転換 参考事項
- 大阪汽船取扱会社設立 参考事項
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
2月28日 政府は三菱会社に船舶改良、兼業禁止の命令書(第三命令書)を交付 重要事項
7月12日 東京風帆船会社、北海道運輸会社及び越中風帆船会社合同で「共同運輸会社」を設立(資本金三〇〇万円) 小野浜造船所「大和」を建造 本邦民間造艦の嚆矢である 参考事項
- 石川島造船所帆船製造を停止 参考事項
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
3月 鉱山局註文の「小菅丸」竣工 本船主機は内国製舶用二聯成汽機の最大且つ最後である 重要事項
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
4月 船舶積量測度規則制定 参考事項
5月1日 有限会社大阪商船会社設立さる(資本金一二〇万円) 参考事項
7月7日 工部省より工場全部を官有物借用の名儀で三菱会社に引受け事業を本日より継承す//従業員次の通り//支配人 元高島炭坑事務長山脇正勝//英人 ゼー・エフ・コードル 二名//社員 五名//傭負 二八名//外国人勘定方 一名//〃[外国人]技術方 六名//計 四二名//職工 七六六名 重要事項
10月 工場払下概則廃止 参考事項
12月 海軍造船所条例制定 参考事項
- 大阪藤永田造船所設立 参考事項
- 西洋型船検査規則制定 参考事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
2月7日 初代社長岩崎弥太郎逝去(五二才) 重要事項
2月7日 岩崎弥之助二代社長に就任 重要事項
7月 五〇〇石積以上の日本形船製造禁止 参考事項
9月29日 郵便汽船三菱会社 共同運輸会社合併し日本郵船会社創立(資本金一、一〇〇万円) 参考事項
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
3月29日 郵船汽船三菱会社解散に伴い「三菱社」設立(事務所 京橋区霊岸島) 重要事項
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