※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月1日 | 三菱商船学校設立 東京商船学校の前身である | 参考事項 | |
12月 | ボイド商会と合同で「三菱製鉄所」と称する造船機械所を建設(日本郵船横浜支店附近)後日本郵船会社設立に際し同社へ移管され、一部の使用人、機械類を長崎へ移転す | 重要事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 鉱山局註文の木造汽船小菅丸(一、四九六噸)を小菅工場に於て起工 | 重要事項 | |
10月 | 石川島旧造兵所跡に「石川島平野造船所」を設立横須賀造船所海軍省直轄となる。 | 参考事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月13日 | 長崎製作所を「長崎工作分局」と改称 | 重要事項 | |
2月15日 | 西南の役起り 三菱会社軍務輸送に従事 | 参考事項 | |
- | 横須賀工厰に於て「磐城」起工、邦人計画の最初の軍艦(六五〇馬力) | 参考事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月5日 | 三菱商業学校(神田錦町、後明治義塾と改称)設立 | 参考事項 | |
5月 | 東京川崎築地に「東京川崎造船所」を起工 | 参考事項 | |
12月12日 | キルビー神戸に「小野浜造船所」を設立 | 参考事項 | |
- | 東京海上保険会社創立(資本金五〇万円) | 参考事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月21日 | 立神船渠完成し 井上工部卿来臨の上船渠開渠式を挙行す 長さ四二六呎 当時東洋一であつた | 重要事項 | |
9月 | 雇仏人建築師長ワンサン・フロラン解雇帰国 | 重要事項 | |
- | エー・チェー・ハンター大阪六軒家新田に造船業を企す | 参考事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 三菱為替店設置 | 参考事項 | |
5月 | 雇英人機械師長フランク・ロベルト・ストリー解雇帰国 | 重要事項 | |
7月26日 | 雇英人水夫頭目ダグラス解雇帰国 | 重要事項 | |
11月15日 | 「工場払下概則」制定 | 参考事項 | |
- | 東京風帆船会社設立(資本金三〇万円)兵庫川崎造船所設立 | 参考事項 | |
- | 平野氏横浜製鉄所を借受く | 参考事項 |