西日本重工業(株)長崎造船所『三菱長崎造船所史. 続篇』(1951.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
7月27日 民部省廃止//廃藩置県の結果諸藩所属船は政府の手に帰す 参考事項
8月 薩藩鹿児島集成館兵部省造兵司所管となる (その後鹿児島大砲製造所、同機械所、同製造所、同造船所等を経て機械を海軍造兵厰へ移す 一二年五月閉鎖) 参考事項
12月 加州製鉄所工部省所管となる(その後兵庫製作所、同工作分局等を経て一九年貸下げ川崎造船所となる) 参考事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 九十九商会を「三川商会」と改称 重要事項
6月16日 明治天皇長崎行幸の砌小菅修船場並びに飽ノ浦工場に臨幸さる 重要事項
8月10日 日本帝国郵便蒸汽会社設立さる 参考事項
10月20日 長崎造船所を「長崎製作所」と改称 重要事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三川商会を「三菱商会」と改称 重要事項
11月 横須賀製鉄所に於て軍艦「清輝」を起工(明治九年六月竣工) 参考事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 佐賀の乱起り三菱輸送役務に大功あり 参考事項
2月 立神船渠築造のため建築師長仏人ワンサン・フロランを雇入れ三月より改めて工事に着手 重要事項
4月1日 三菱商会本社を東京(南茅場町)に移す 重要事項
4月4日 征台の役起り 三菱商会軍務輸送に服す 参考事項
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
2月3日 三菱商会横浜上海航路を開始 本邦最初の外国航路である 参考事項
5月1日 三菱商会を「三菱汽船会社」と改称 重要事項
5月 西洋型商船備砲規則制定 参考事項
5月 大久保内務卿海権伸張を建議 参考事項
6月 日本帝国郵便蒸汽船会社解散し所有船舶三隻三菱商会に無償下渡さる 参考事項
9月15日 三菱汽船会社に郵便運送を命じ(第一命令書)航海助成金を下付 重要事項
9月18日 三菱汽船会社を「郵便汽船三菱会社」と改称 重要事項
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