三菱造船(株)長崎造船所『創業百年の長崎造船所』(1957.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
元亀2年(1571) - ポルトガル船、長崎に来航(船長トリスタン・デ・ウェイガ) 参考事項
- この年、長崎に市街を開く 参考事項
天正8年(1580) 6月 英船、平戸に来航 参考事項
天正9年(1581) 2月 スペイン船、平戸に来航 参考事項
天正10年(1582) 1月 大友・有馬・大村の諸大名、使をローマに派遣 参考事項
天正19年(1591) - 志摩鳥羽城主九鬼嘉隆、秀吉の命により「日本丸」建造。征韓の役後、鳥羽に繋留、その後改造し「大龍丸」と改称、安政3年ごろ腐敗解撤 参考事項
文禄元年(1592) - 朱印船の制度を設ける 参考事項
慶長10年(1605) - 幕命により英人ウィリアム・アダムス、80噸および100噸帆船建造(本邦西洋型帆船の濫觴)内1隻「サンブエナベンツーラ」メキシコへ渡航 参考事項
慶長14年(1609) 7月 蘭人に平戸における通商許可 参考事項
9月 家康、豊臣氏に対する政略上、西国諸大名の500石積以上の大船建造を禁止 参考事項
慶長18年(1613) 9月 この船にて支倉常長ローマおよびスペインへ渡航 参考事項
9月 英人に平戸における通商を許可 参考事項
- 仙台藩主伊達政宗、江戸船手頭、向井将監忠勝と謀り、幕府の船大工を借入れ、西洋型帆船建造(長18間、巾5間半、高14間1尺、180人搭載)なお、建造にスペイン僧ソテロ援助す 参考事項
元和4年(1618) 8月 平戸および長崎貿易の制を定む 参考事項
寛永11年(1634) 5月 耶蘇教および奉書船以外渡航禁止の高札を長崎に建つ 参考事項
寛永12年(1635) 5月 貿易を長崎に限り、海外渡航を禁止、500石以上の船舶を没収し、同時にその新造を禁止、また2本檣を禁じ1本檣とし、船底竜骨の使用を禁止 参考事項
寛永13年(1636) 5月 商船の外航禁止 参考事項
6月 長崎出島成る(総坪数3,969坪) 参考事項
寛永15年(1638) 5月 500石積以上の商船建造許可 参考事項
寛永16年(1639) 7月 貿易禁止、蘭人、中国人のみ許可 参考事項
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