※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月30日 | 三井物産会社、兜町五番地角に移転 | ||
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月26日 | 三井物産社長益田孝、渋沢栄一とともに借款交渉のため清国へ渡航(借款破約となる) | ||
1月 | 大蔵省、三井物産会社に輸出米の回漕・販売を委託 | ||
2月21日 | 三野村利左衛門死去(五七歳) | ||
2月 | 三井物産会社、馬関出張店を開設 | ||
6月 | 三井物産会社、R・W・アルウィンをロンドンに派遣して代理店開設 | ||
12月 | 三井物産会社、上海支店を設置 | ||
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 三井物産会社、パリ支店を設置 | ||
4月 | 三井高福、家政改革の方針を表明 | ||
5月1日 | 三井物産会社、口ノ津出張店を設置 | ||
11月25日 | 三井高福長男高朗、第一四代八郎右衛門を襲名 | ||
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月16日 | 三井物産会社、ニューヨーク出張員を支店に昇格(明治一五年閉鎖) | ||
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 三井物産会社、函館支店を設置 | ||
9月1日 | 三井物産会社、ロンドン代理店を改め支店を設置 | ||
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月7日 | 三井家大元方の合議機関として元方寄合を再興 | ||
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | 三井同苗、月並寄合を再開 | ||
6月27日 | 日本銀行条例公布(一〇月一〇日開業) | ||
10月4日 | 三井銀行副長三野村利助、日銀理事に就任、後任副長に西邑乕四郎就任 | ||
12月 | 三井物産会社、英国プラット社製紡績機およびハーグリーブズ社製原動機を大阪紡績に納入 | ||
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月27日 | 三井家首脳部、三井銀行の官金取扱業務返上に備えて対策を協議 |