※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安永8年(1779) | - | 平賀源内没 | 社会・経済・文化 |
天明元年(1781) | - | 天明年間に土佐の与市、渡辺家に寄寓し、焙乾による鰹節製法を安房にもたらす | “にんべん”とかつお節の歴史 |
享和元年(1801) | - | 土佐の与市、伊豆安良里の高木家へ焙乾法を伝える | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 本居宣長没 | 社会・経済・文化 | |
文化2年(1805) | - | 五代目長男として七代目生まれる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | ロシア使節レザノフの通商要求を幕府拒否する | 社会・経済・文化 | |
文化3年(1806) | 11月21日 | 五代目妻照死去(観室妙照大姉) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 江戸芝の大火 | 社会・経済・文化 | |
文化11年(1814) | 1月22日 | 四代目死去六九歳(宜嶽宗雲居士)。五代目当主となるが、五月九日三七歳で死去(竜嶽自興居士) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 四代目、五代目と相次ぎ亡くなったものの、基礎をきずいていたので店はますます繁栄する。伊勢高津家六代目の娘あさと浦和の星野新助伜伊佐衛門を夫婦養子に迎え、伊佐衛門六代目当主となる。六代目の時代に、蜀山人、村田春海、狩野栄川等の文化人多数店に出入し、国宝級の名品多数所蔵(関東大震災で大部分焼失)、名実共に大商人の地位ができあがる | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
- | 馬琴『南総里見八犬伝』第一輯刊行。伊能忠敬、沿海実測全図を完成する | 社会・経済・文化 | |
文化12年(1815) | - | 「家内年中行事」できる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 杉田玄白『蘭学事始』刊行 | 社会・経済・文化 | |
文政2年(1819) | 9月22日 | 四代目妻死去七〇歳(観嶺祖門禅尼) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
文政5年(1822) | - | 『江戸買物独案内』(国立国会図書館所蔵)に「鰹節、塩干肴、問屋〓[「の逆向き+イ]伊勢屋伊兵衛・瀬戸物町」と紹介される | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 幕府、物価の引下げを命じる | 社会・経済・文化 | |
文政8年(1825) | - | 七代目一九歳、馬込菊屋治良兵衛長女徳一四歳と結婚 | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 幕府、諸大名に対し異国船の打ち払いを指示する | 社会・経済・文化 | |
天保6年(1835) | - | 七代目三女あい生まれる。長女・次女夭逝のため、のちあいに婿養子を迎えることになる。 | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | この頃商品券を発行する。平凡社刊『世界大百科事典』(旧版)に、日本最古の商品券は徳川時代末期に江戸日本橋にある鰹節店の〓[「の逆向き+イ]が発行したものであると紹介されている | “にんべん”とかつお節の歴史 |