※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保6年(1835) | - | 幕府、天保通宝を鋳造し、鉄銭を増鋳する | 社会・経済・文化 |
天保8年(1837) | 4月4日 | 六代目死去五五歳(大渕蒼竜居士)。七代目当主となる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 大塩平八郎、大阪で反乱を起こし鎮圧される | 社会・経済・文化 | |
弘化3年(1846) | - | 新版大江戸持丸長者鑑(東都正源堂版)に瀬戸物町伊勢屋伊兵衛で前頭に出ている(日比谷図書館蔵) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | イギリス、フランス、アメリカの軍艦が来航 | 社会・経済・文化 | |
嘉永2年(1849) | 6月9日 | 七代目死去四四歳(賢道令徳居士)。八代目当主となる。八代目は七代目娘あいの婿養子として、牛込の大阪屋という江戸でも指折の質屋の息子で、七代目が見込んでたってと望んでもらい受けた人だけあって中興の祖といえる傑物。勘定奉行から御用達を命ぜられ、徳川五人衆(仙波太郎兵衛、中井新右衛門、鹿島清左衛門、後藤長左衛門、高津伊兵衛八代目)に挙げられ苗字帯刀を許される。幕府に莫大な御用金をおさめる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 幕府、各藩に沿海の深さ、防備などの書上げを命じる | 社会・経済・文化 | |
嘉永4年(1851) | - | [原資料は1851年、嘉永6年]八代目長女あや(のち九代目の妻)生まれる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 土佐漁民中浜万次郎ら、アメリカ船に送られ琉球に上陸する | 社会・経済・文化 | |
嘉永7年(1854) | - | 『東都長者鑑』『御冥加上納金大都会持丸銘鑑』に一五〇〇両伊勢屋伊兵衛上納と載る | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 幕府、ペリーと日米和親条約を締結し、下田・箱館二湾を開く | 社会・経済・文化 | |
安政7年(1860) | - | 「見世(店)取締仕法書」(職務権限規定・就業規則にあたる)下巻ができる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 咸臨丸、米国に向う。 | 社会・経済・文化 | |
- | 水戸浪士らに、大老井伊直弼暗殺さる | 社会・経済・文化 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 八代目四男松吉(のち十代目になる)生まれる | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
- | 将軍慶喜、大政奉還を上奏。朝廷、王制復古の大号令 | 社会・経済・文化 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 廃藩置県 | 社会・経済・文化 | |
11月22日 | 六代目妻死去八一歳(堪室貞忍大姉) | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 『高名三幅対』に鰹節伊勢屋伊兵衛で紹介される | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
- | 新橋~横浜間鉄道開通 | 社会・経済・文化 |