東宝(株)『東宝二十年史抄』(1954.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
12月10日 ★臨時株主総会の結果、取締役に渋沢秀雄、大沢善夫、秦豊吉、大橋武雄、田辺加多丸、増谷麟、那波光正、森岩雄、風間健治、中俣正男、岡庄五、林正之助、五島慶太、山本為三郎、池永三治、安藤栄吉の十六氏、監査役に八馬兼介、松岡潤吉、川喜多長政、上野奎司の四氏夫々就任と決定 尚、取締役会の互選により取締役会長に渋沢秀雄氏、取締役社長に大沢善夫氏、取締役副社長に秦豊吉、大橋武雄、田辺加多丸の三氏、常務取締役に増谷麟、那波光正、森岩雄、風間健治、中俣正男、岡庄五の五氏、夫々当選就任 東宝の動静
12月18日 ★帝国劇場に於て当社と東宝映画株式会社との合併記念式を挙行 東宝の動静
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
3月1日 ★第一次決戦非常措置令により向う1ケ年大都市の高級興行は五日限り一斉閉鎖を命ぜられ、当社関係では東宝劇場、日劇、有楽座、帝劇、北野劇場、梅田映画劇場、宝塚大劇場等が閉鎖と決定 東宝の動静
3月9日 ★取締役五島慶太氏運輸大臣就任のため辞任 東宝の動静
4月10日 ★帝劇及び有楽座の二劇場は東京都防衛局に賃貸決定 東宝の動静
12月26日 ★株式会社梅田映画劇場及び株式会社南街映画劇場を合併、資本金壱千八百九拾弐万円とする案決定 東宝の動静
12月 ☆帝都空襲本格化し映画その他の興行場は日没以后閉鎖となる 社会芸能界の重要事項
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月8日 ★寺本熊俊氏常務取締役に、安藤栄吉氏監査役に就任 東宝の動静
4月1日 ★臨戦体制を確立し、独立的責任経営を図るため業務部門を地方別に十二部門に分割する 東宝の動静
8月6日 ☆広島(六日)長崎(九日)に原子爆弾投下される 社会芸能界の重要事項
8月9日 ☆ソ連対日宣戦 社会芸能界の重要事項
8月15日 ☆終戦詔書発せらる 社会芸能界の重要事項
9月18日 ★東宝劇場「東宝芸能大会」をもつて開場 東宝の動静
10月1日 ★北野劇場開場 東宝の動静
10月4日 ★帝劇、菊五郎一座の出演で開場 東宝の動静
11月3日 ★有楽座、新国劇「無法松の一生」その他で開場(27日まで) 東宝の動静
12月 ★東宝従業員組合が撮影所に結成される 東宝の動静
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
2月17日 ★事業経営者の立場を明確にするため従来の現業重役制度を廃止し、日常の業務遂行は別に左記経営担当者を任命し、これに当らしめることとする。因に、重役会は主として株主を代表する機関とし、社長及び副社長は重役会を代表すると共に経営担当者を統率することとなる//(社長補佐)秦豊吉(芸能)森岩雄(営業)那波光正(営業)佐生正三郎(総務)岡庄五(撮影所長)金指英一(関西支店監督役)寺本熊俊 東宝の動静
2月24日 ★東宝劇場は進駐軍専用として接収、アーニイパイルと改称 東宝の動静
3月1日 ☆労働組合法実施 社会芸能界の重要事項
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