日本毛織(株)『日本毛織三十年史』(1931.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
8月 日本羊毛工業会第二部会の紛糾に対して大阪モスリン同盟会調停の結果市中の滞貨は問屋側と各会社に於て引取ることとなり更に操短問題に就ては当社三割他社六割の操短を実行することに決したるを以て円満解決し当社は羊毛工業会に復帰することとなる。
9月 東京モスリン紡織会社日本絹綿紡織会社を併合し尚資本金の倍額増加を行ふ。
11月 上毛モスリン会社は震災其他の欠損六百五十八万円に対して積立金其の他にて二百七十万円の一時補填をなす。
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
1月 取締役滝川辨三氏死去。
2月 日本羊毛工業会第二部会は五月まで従来の操短を維持し六月より九月まで各社七割まで操短し得るの決議をなす。
4月 当社明石工場竣成毛メリヤスの製造を開始す。
6月 当社事業を拡張のため更に資本金三千万円を増加して五千万円となすの議を可決す。
8月 増資新株式六十万株の中四十万株を株主に割当十万株を功労株として残り十万株を一株三十五円以上のプレミアム附にて一般より公募したるに応募株数倍に達したるを以て最低三十八円十銭以上を募入す。
10月 上毛モスリン会社欠損繰越金八百十二万円を整理するため資本金を四百五十万円に減ず。
10月 名古屋工場工事大部分竣成毛糸事業を開始す。
12月 塚脇敬二郎氏常務取締役に就任す。
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月 日本羊毛工業会毛織物関税改正に関する意見書を政府に提出す。
3月 名古屋工場開業式を挙行す。
3月 関税改正法発布せられ毛織物関税は主として厚物の従量税引上げらる。
6月 日本羊毛工業会第二部会問屋側と聨合して関東関西重要都市に於てモスリン宣伝会を開く。
7月 当社各工場に青年訓練所を設置す。
8月 日本羊毛工業会輸入染料制限令撤廃の陳情書を政府に提出す。
8月 上毛モスリン会社債務のため破産を申請せらる。
9月 名古屋人絹工場大部分竣成す。
9月 モスリン宣伝会大阪側委員は山陰山陽北陸九州四国及鮮満台湾の各市を歴訪して宣伝会を開く。
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