※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | セメントキルン原料装入用としてセルシン自動制御装置を小野田セメント株式会社平壌工場に納入。 | 技術年表 | |
- | コンベヤ駆動電動機中11台が150kWという大規模の点で世界的記録品たる満鉄撫順炭鉱老万坑の斜坑ならびに選炭場の総括制御装置を納入。 | 技術年表 | |
- | ポンプ用直入起動方式特殊カゴ形3相誘導電動機1,000H.P.1,500R.P.M.を満鉄撫順炭鉱に納入。 | 技術年表 | |
- | フラッシュバット溶接機用単相交流発電機500kVA720R.P.M.を製作。 | 技術年表 | |
- | ポンプ用特殊カゴ形3相誘導電動機1,200H.P.1,200R.P.M.朝鮮人造石油株式会社に納入。(特殊カゴ形としては当社の容量記録品である) | 技術年表 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 水素ガス圧縮機用同期電動機5,000H.P.128.5R.P.M.を朝鮮人造石油株式会社に納入。(この種用途の同期電動機としてはわが国での容量記録品である) | 技術年表 | |
- | 100kW・300kW2台のカゴ形3相誘導電動機を使用したベルトコンベヤのタンデムドライブを日本炭砿株式会社遠賀鉱業所に納入。 | 技術年表 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 安川第五郎、電気機械統制会々長に就任のため、取締役社長を辞任す。 | 略年表 | |
2月 | 取締役安川寛、取締役会長に就任す。 | 略年表 | |
3月 | 3部制を廃し総務・生産・設計・製造・検定・販売の6部制とし、東京事務所を開設す。 | 略年表 | |
9月 | 経理部を復活し7部制とす。 | 略年表 | |
11月 | 診療所を開設す。 | 略年表 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 販売部を廃し業務部を設く。 | 略年表 | |
7月 | 陸軍航空本部の監督工場に指定さる。 | 略年表 | |
10月 | 陸軍兵器本部の管理工場に指定さる。 | 略年表 | |
12月 | 久喜分工場を設立す。 | 略年表 | |
- | 16年に試作したアルミ鋳込ロータを全面的に小型電動機に採用。 | 技術年表 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 西部電機工業株式会社の全株式を取得し、その経営に当る。 | 略年表 | |
2月 | 取締役会長安川寛、取締役社長に就任す。 | 略年表 | |
4月 | 資本金を1,500万円に増資す。 | 略年表 |