三菱造船(株)長崎造船所『創業百年の長崎造船所』(1957.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
10月 佐賀三重津にて「凌風丸」竣工(蒸汽外車、木製、長60尺、巾11尺、10馬力)本船は藩公の近海御召船 参考事項
1865年 - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
- 小菅修船場設置の方案胚胎す 重要事項
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
1月 奥州青森にて「安済丸」竣工(バーク、木製、長21間4尺、巾5間2尺、660石) 参考事項
5月13日 幕府、英・米・仏・蘭と改税約書調印 参考事項
5月 製鉄所縦覧を一般公衆に許可 重要事項
5月 石川島にて製造中の「千代田形」竣工 参考事項
5月 幕府、海外渡航の禁を解く 参考事項
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
1月9日 明治天皇践祚 参考事項
3月 岩崎弥太郎、長崎土佐商会主任として赴任(主として外商と船舶武器の取引に当る) 重要事項
4月 幕府の許可を受け、戸町村小菅浦に修船場設置を企図し、薩藩士五代才助(友厚)は小松帯刀らと謀り工事を開始、岩瀬公圃、工事を監督す 重要事項
10月 土佐大阪商会設立 重要事項
11月16日 製鉄所取建方伝習掛山本惣次郎没(66歳) 重要事項
12月9日 王政復古 参考事項
- 幕府海軍創立から明治維新まで船籍に入りたる船舶は軍艦9隻、運輸船45隻、計54隻 その内訳は、汽船28隻(暗車19隻、外輪9隻)、帆船26隻、製造国別は、日本20隻、英国14隻、米国11隻、蘭国4隻、仏国1隻、不詳2隻、以上54隻の船舶中、売却、破壊、老朽などで、船籍を脱した26隻を差引くと、幕末の海軍力は軍艦8隻、運輸船20隻であった 参考事項
- なお維新の際艦船造修の用に供すべき多少の設備所持の藩は14藩あり、主な所在地は、鹿児島、石川島、姫路、津、寒風沢、萩、鞆津、佐賀、青森、新宮、七尾などで、新造した艦船は、汽船1隻、帆船軍艦3隻、帆船運輸船12隻、合計16隻(日本近世造船史) 参考事項
- フルード、最初の水槽を造る(長85米、巾10米、深3米) 参考事項
- ノーベル、ダイナマイト発明 参考事項
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月 海陸軍務課設置 参考事項
4月1日 幕府の造兵造艦機構を官収、横須賀製作所、および横浜製鉄所は神奈川府裁判所管理となる//石川島造船所は朝廷に属しまた浦賀造船所は朝廷の所管となり閉鎖 参考事項
6月 長崎製鉄所官収され長崎府判事統轄の下に経営//製鉄所頭取本木昌造 〃青木休七郎(幼名久七郎) 助役6名 元締役2名 勘定役3名 機械方5名 附役3名 計21名 重要事項
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