会社名"え" から始まる社史一覧 全6件中6件 1件〜6件目を表示
会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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栄養食(株) | 小売業 | 『会社五十年の歩み』(1989.03) | 冷凍魚を扱っていた関法之(1905?-)が職場の集団給食を専門に請け負う目的で、1938年(昭13)栄養食会社を設立。軍需工場の増加に伴い全国の食堂の委託経営を引受ける。戦後休業していたが1949年(昭24)ごろから再出発の準備にかかり、翌年社員食堂の請負を始める。縁のある渋沢敬三(しぶさわ・けいぞう、1896-1963)の計らいもあり漸次発展する。50年史は創業者の弟で現会長関誠三郎(せき・せいざぶろう、1911-)の執筆。第1部は設立から第2次大戦終了まで、第2部は戦後の再出発と会社の現況、第3部は著者自身の経営哲学で、渋沢栄一の訓言にも触れる。[関兄弟の祖父関直之は渋沢家洲崎養魚場管理人で、後に洲崎養魚を設立した] |
AIU保険会社 | 保険 | 『AIU45年史』(1991.11) | |
(株)江木写真店 | サービス業 | 『江木五十嵐写真店百年の歩み』(1985.02) | 福山藩士の学者の家に育った江木保男(えぎ・やすお、1856-1898)は写真術に注目し、弟の松四郎をアメリカへ留学させ技術を習得、1884年(明17)東京神田に江木写真店を創設。1889年(明22)には新橋に支店を開設、華族や政財界人で繁盛する。1943年(昭18)に軍部の圧力で解散したが、直後の1944年(昭19)、かつて江木写真店の技術者であり経営にも参加していた五十嵐与七(1885-1967)らが五十嵐写真店を設立し、伝統を継承。1963年(昭38)株式会社となり、都内のホテル、結婚式場などで写真店を展開する。100年史は両社の沿革を通して扱い、技術の変化や顧客の著名人のエピソードを随筆風に記述。また渋沢栄一を含む多くの内外要人の写真、五十嵐与七への追悼文、五十嵐与七の遺稿などを収録し、栄一とオリエンタル写真工業との関連にも触れている。 |
NBC工業(株) | 繊維 | 『NBC工業五十年史』(1986.07) | |
江間忠木材(株) | 商社 | 『商人の道 : 江間忠70年のあゆみ』(1995.12) | |
遠州鉄道(株) | 鉄道・バス | 『遠州鉄道40年史』(1983.12) | 1889年(明22)の東海道線開通以来、浜松は近代産業が次々発展していた。甲州財閥の雨宮敬次郎(あめみや・けいじろう、1846-1911)は地元財界人と共に浜松鉄道を発起。他に敷設の7社を合同し1909年(明42)大日本軌道(株)を設立、浜松鉄道はその浜松支社(後の遠州電気鉄道)とした。一方浜名郡と引佐郡の有志は1912年(大1)浜松軽便鉄道(後の浜松鉄道)を設立、2年後に開業。第二次大戦下の政策により遠州電気鉄道と県内バス事業者は統合し、1943年(昭18)遠州鉄道が設立。終戦後1947年(昭22)浜松鉄道を合併し、遠州鉄道は地域の民営交通機関として発達する。40年史は第1部前史に合併以前の鉄道とバス事業のあゆみを記載、第2部に設立以来の沿革を述べる。 |
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