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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)八木商店 繊維 『創業80年史』(1972.10)
(株)安川電機製作所 電気機器 『安川電機40年史 : 1915-1955』(1956.04)
安田火災海上保険(株) 保険 『80年史 : 安田火災海上保険株式会社』(1968.11) 明治初期に国営の火災保険事業が計画されたが実現せず、その計画書類を後に発見した柳川清助と鵜殿長らが1888年民営初の東京火災保険会社を設立。1893年武井守正と安田善次郎が帝国海上保険(株)を設立。両者は1944年政府の勧奨により、第一機缶保険(株)と共に合併し、安田火災海上保険(株)発足。80年史は東京火災・帝国海上それぞれの編年史に加え、次々合併した東洋火災・太平火災・第一火災・第一機缶各社の略史も掲載。最後に合併後の安田火災海上保険の編年史を載せている。
安田火災海上保険(株) 保険 『挑戦と躍進 : 安田火災百年小史』(1988.10) 『安田火災百年史 : 明治21年~昭和63年』(1990.10)(社史ID:11060)の普及版として刊行、執筆は外部研究者。内容の構成は80年史と同様。1976年に本店ビル内に設置した東郷青児美術館で所蔵する、ゴッホ「ひまわり」を社史巻頭に掲載。[2002年日産火災海上保険(株)と合併し、(株)損保ジャパンとなる]
安田火災海上保険(株) 保険 『The Yasuda Fire and Marine Insurance, 1888-1988 : a century of achievement』(1988) 『安田火災百年史 : 明治21年~昭和63年』(1990.10)(社史ID:11060)に先立ち刊行された、英語版100年史。
安田火災海上保険(株) 保険 『安田火災百年史 : 明治21年~昭和63年』(1990.10)
(株)安田銀行 銀行 『安田銀行六十年誌』(1940.09) 安田善次郎は両替商から始まり実質的に銀行であった安田商店を改組し、1880年東京日本橋に合本安田銀行を設立。紀元二千六百年に出された60年史は、設立以前の安田商店時代から、合本組織、合資会社、合名会社、株式会社の時代ごとに編年体で記述。1923年に11行が合同した経緯と各行の略史も記載。[1948年富士銀行と改称]
安田信託銀行(株) 銀行 『安田信託銀行四十年史』(1965.12) 1900年以降わが国民間信託会社が続々と設立され、1923年信託法と信託業法が施行。日本興業銀行総裁を務めた志立鉄次郎は安田銀行副頭取結城豊太郎の協力を得て信託会社設立を計画。全国から発起人を募り1925年大阪に共済信託(株)設立、社長は2代安田善次郎。1926年安田信託(株)と改称、1933年東京へ本店を移す。戦後信託銀行に転換し、1948年中央信託銀行(株)誕生、1952年安田信託銀行(株)となる。第1部では40年の歩みを編年体で記述、第2部は現況、資料等。900頁の大部ながら目次は20行と簡略。
安田信託銀行(株) 銀行 『安田信託銀行五十年史』(1976.09) 前半は40年史の内容を半分ほどにまとめているが、初代安田善次郎が1899年渋沢栄一の欧米視察の話により信託業務に関心を抱いた挿話は記載されている。後半は最近10年間の経済変動化での業務について詳述。
安田信託銀行(株) 銀行 『安田信託銀行六〇年のあゆみ』(1986.03) 前編として創立から50年までの歩みに触れた後、最近10年の出来事を中心に新商品の開発とサービス向上の側面に焦点をあてて編集。ハンディな体裁。[2002年みずほアセット信託銀行、2003年みずほ信託銀行となる]
安田生命保険(相) 保険 『八十年史』(1961.12)
安田生命保険(相) 保険 『安田生命百年史』(1980.12) 安田善次郎は我が国初の生命保険会社として1880年東京に共済五百名社を設立。1928年に安田生命保険(株)となり、戦後一時光生命保険(相)と称したが、1952年安田生命保険(相)に復帰。百年史は巻頭に研究者による論文「共済五百名社の歴史的意義」を掲げ、序章で安田善次郎の人と事業観に触れる。戦後史は長期計画期ごとの時代区分で経営史を述べ、更に付篇として10分野ごとの経営政策の軌跡を記す。
安田生命保険(相) 保険 『安田生命123年史』(2003.09) 創始者安田善次郎は生命保険業を営利事業でなく社会事業とみなし、一貫して「相互扶助」の原点にこだわる。また財閥の安定株主として常に競争より安全な経営を指向。2004年明治生命と合併。
安田生命保険(相) 保険 『45000日の「今日一日」 : 安田生命の123年』(2003.09) 『安田生命123年史』の姉妹編で、執筆を社外に依頼し読みやすくコンパクトにまとめたもの。本文の間に年代ごとのエピソードをまとめたコラムと、写真集をはさんだ構成。2004年明治生命と合併し、明治安田生命保険(相)となった経緯にも触れている。
安田保善社 商社 『安田保善社とその関係事業史』(1974.06) 1838年富山の下級士族の家に生まれた初代安田善次郎は、商人として身を立てるため江戸へ出、1864年両替商安田屋を開業。1880年に安田銀行を設立、また生命保険事業を行う共済五百社を結成。1887年には資産を維持し一族の繁栄に資するため私盟組織保善社が発足。1912年合名会社保善社設立、1925年に合名会社安田保善社と改称。以後戦後の財閥解体により解散までの事業史を編年体で記述した社史は、1960年から13年かけて関係者により編纂される。1988年には別冊で詳細な人名・企業名索引が出版されている。
安田保善社 商社 『安田保善社とその関係事業史. 人名索引,企業・団体名索引』(1988.12) 『安田保善社とその関係事業史』(社史ID:08020)の索引
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(1981.12)
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 2』(1982.06) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の2巻
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 3』(1984.01) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の3巻
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 4』(1986.03) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の4巻
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 5』(1987.10) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の5巻
八幡製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 八幡製鉄株式会社史』(1981.03) 1950年過度経済力集中排除法の適用により日本製鉄(株)が解体され、富士製鉄(株)・日鉄汽船(株)・播磨耐火煉瓦(株)とともに八幡製鉄(株)が発足。以降日本経済の発展に沿って成長し、光・堺・君津にも製鉄所を建設。1970年富士製鉄(株)と合併、新日本製鉄(株)となる。社史は20年間の歩みを総合史と部門史に分けて記述。同時に刊行された「富士製鉄株式会社史」「新日本製鉄株式会社十年史」は「炎とともに」の共通タイトルを持つ。
八幡製鉄(株)八幡製鉄所 鉄鋼業 『八幡製鉄所五十年誌』(1950.11) 明治初期に官民の鉄鋼業がいくつか起こったがいずれも不振であり、政府は新たな官営製鉄所の設置を図る。1896年製鉄所官制発布、福岡県遠賀郡八幡村に設置が決まり、和田維四郎が長官就任。外国人技師を雇い1901年に八幡製鉄所が作業開始、東洋一の操業を誇る。1934年法律に基づき民間の5社と合併、日本製鉄(株)となる。50年史は創業から1950年に日本製鉄が解体し民間の八幡製鉄(株)となるまでの歩みで、簡単な沿革の後に部門ごとの詳細を述べている。渋沢栄一の三男正雄が1940~1942年に所長を務めた。
山一証券(株) 証券 『山一証券史』(1958.11) 1897(明30)年株式売買の小池国三商店(後に小池(資))を創業した小池国三(こいけ・くにぞう、1866-1925)は、東京商業会議所議員となり1909年(明42)渡米実業団(渋沢栄一団長)の一員として渡米、株式仲買の新知識を得る。帰国後1911年(明44)商栄銀行を買収して経営にあたる(後に小池銀行と改称)。1927年(昭2)銀行法公布により銀行の公社債業務兼業廃止が決まり、証券業務を分離し1930年(昭5)小池証券を設立。一方解散した小池(資)関係者設立の山一(資)は1926年(大15)山一証券に組織変更。1943(昭18)年金融統制により小池、山一両証券が合併し、新たに山一証券が設立される。創業60周年を記念して出版された本社史は、前編が明治以来のわが国証券市場発達史、後編が小池国三商店創業から1957年(昭32)までの山一証券史。[1997年(平9)自主廃業、企業資料は東京大学経済学部図書館へ寄贈される]
山一証券(株) 証券 『山一証券100年史. 上』(2011.10)
山一証券(株) 証券 『山一証券100年史. 下』(2011.10) 『山一証券100年史. 上』(社史ID:10270)の下巻
(株)山口銀行 銀行 『山口銀行史』(1968.09)
(株)山口銀行 銀行 『山口銀行史』(1999.06) 1878年設立の第百十国立銀行を母体に、1944年国策に従い山口県下の5行が合併して山口銀行となる。1977年に徳山東支店で起きた不祥事件についても記載あり。社史は索引は簡単だが目次は詳細。山口県の歴史文化を表した本店の壁面彫刻が絵引き付で掲載されている。
(株)山口銀行 銀行 『山口銀行史. 資料編』(1999.06) 『山口銀行史』(社史ID:10030)の資料編
山下新日本汽船(株) 海運 『社史 : 合併より十五年』(1980.06)
(株)山武 電気機器 『山武百年史 : 新たなる価値創造・オートメーションの拓く未来』(2007.06)
山種証券(株) 証券 『山種証券50史話』(1984.02)
大和運輸(株) 陸運 『大和運輸五十年史』(1971.03) 東京数寄屋橋生まれの小倉康臣(おぐら・やすおみ、1889-1979)は、貨物輸送が荷車と牛馬車全盛の時代にトラック輸送専門の企業化に強く心をひかれ、1919年(大8)大和運輸を創業。三越呉服店等との配達契約を結び、1929年(昭4)には東京・横浜間の定期運輸を開始する。1940年(昭15)鉄道省の勧奨により全資本を日本通運が持つが、1948年(昭23)日通資本を離脱。1957年(昭32)米国アライドヴァン社からネコマークの使用承認を受け「親子猫」のマークを制定。サービス向上に努め海上コンテナや航空貨物の取扱いも開始する。50年史は社史編、創業者の自伝編、トラックの移り変わりや制服等の写真も含む資料編からなる。索引付。[1982年(昭57)ヤマト運輸と商号変更、2005年(平17)純粋持株会社ヤマトホールディングスへ移行]
ヤマト運輸(株) 陸運 『ヤマト運輸70年史』(1991.06)
(株)山梨中央銀行 銀行 『創業百年史』(1981.03) 幕府直轄の山梨は維新後武士が四散し、士族授産事業に見るべきものはなかった。山梨県令らが殖産興業を目的に地元富農豪商の出資者を募り、1874年(明7)銀行類似会社興益社を設立、第一国立銀行とコルレス契約を結び体制を整備する。1877年(明10)第十国立銀行へ転換し、1897年(明30)国立銀行の営業満期により普通銀行の第十銀行に商号変更。産業経済の発展と共に業容を拡大する。1941年(昭16)一県一行の国の強力な要請に応えて有信銀行と合併、山梨中央銀行となる。100年史は創業前史、本誌、県内銀行史、資料からなり、創業前史で興益社を、本史で第十国立銀行創立から山梨中央銀行の沿革を詳述。県内銀行史には合併した有信銀行ほか80行もの略史を掲載している。
山本鋼業(株) 鉄鋼業 『山本家創業八十周年小史』(1952.06)
ヤンマーディーゼル(株) 機械 『ヤンマー50年小史』(1963.04)
ヤンマーディーゼル(株) 機械 『燃料報国 : ヤンマー70年のあゆみ』(1983.06)
湯浅金物(株) 小売業 『三百年ののれん』([1969.06])
(株)有終会 不動産 『有終会のあゆみ : 創立40周年を記念して』(1989.10) 有終会は1893年(明26)頃、第一銀行行員の自社株取得の便宜を図り、福利厚生策の一部を分担するため、渋沢栄一の「合本主義」の思想に基づき栄一を会長に任意団体として設立された。社名は四書五経によるもので、命名者は栄一と推察される。1912年(明45)第一銀行が二十銀行を合併したため二十銀行所有の根室牧場の移管を受け、1912年(明45)合資会社有終会として酪農および畜産に寄与する。戦後1948年(昭23)年解散するが、翌年には不動産および保険業を定款に掲げ合資会社として再スタート、1952年(昭27)株式会社となる。40年史は前史に任意団体発足時から解散まで、本史に再スタートからの歩みを記載。[1993年(平5)ユウシュウコープ、2009年(平21)ユウシュウ建物に社名変更]
(株)有隣堂 小売業 『有隣堂八十年史』(1989.10) 横浜生まれの松信大助(まつのぶ・だいすけ、1884-1953)は、1894年(明27)に父と長兄が横浜に開業した書籍販売の第一有隣堂から独立、1909年(明42)第四有隣堂を開業した。姉は第二有隣堂、次兄は第三有隣堂を開業していたが、大助は義兄と共に1917年(大6)有隣堂文具部を設立。1919年(大9)第四有隣堂は第一有隣堂と有隣堂文具部を合併し、(株)有隣堂と改組。しかし関東大震災の打撃が重く1927年(昭2)株式会社を解散、個人経営として経営再建に努め、1931年(昭6)(名)有隣堂を設立。1956年(昭31)株式会社に改組し、書店を中心とした地域の文化センターを目指して発展する。80年史では横浜地域史、出版業界の状況も含めて記述。社名の有隣は論語から採っている。
雪印乳業(株) 食品 『雪印乳業沿革史』(1985.04)
ユサコ(株) 商社 『ユサコ55年の歩み』(2004.08)
ユニチカ(株) 繊維 『ユニチカ百年史. 上』(1991.06)
ユニチカ(株) 繊維 『ユニチカ百年史. 下』(1991.06) 『ユニチカ百年史 上』(社史ID:02520)の下巻
(株)横河橋梁製作所 建設 『横河橋梁五十年史』(1960.05) 帝国大学造家学科出身の横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は三井元方でわが国初の鉄骨構造の三井総本店の設計・施行を担当、渡米してアメリカの工法を学ぶ。1903年(明36)横河工務所を設立。鉄骨構造物を主体とする建築物の鉄材の自給および鉄材による橋梁の建設を目指し、1907年(明40)製作組立て部門を分離独立させ、横河橋梁製作所を創業。1918年(大7)株式会社へ改組、各地の鉄道橋梁や無線電信塔など鉄骨建造物を数多く建設する。50年史は1章から7章は時代順に会社の発展過程を記述、8章から11章は部門別の資料と現況。随所に製品写真を多数盛り込んでいる。[1991年(平3)横河ブリッジと社名変更]
(株)横河橋梁製作所 建設 『横河橋梁八十年史』(1987.11) 1907年(明40)創業からの80年史。創業者横河民輔の伝記を序章とし、戦前編4章、戦後編5章、資料編からなり、人名・製品・事項索引付。1960年(昭35)刊行の50年史の不足を補い、経営上の失敗や過誤も記述している。執筆は社内だが、社史作りの専門家との共同作業の過程を編集後記に詳述。[1991年(平3)横河ブリッジに社名変更]
(株)横河建築設計事務所 建設 『横河建築設計事務所 : 80年の流れ』(1983.10) 1890年(明23)帝国大学造家学科を卒業した横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は、三井元方の建築掛技師として三井総本店の設計監督にあたる。その完成を機に三井を退社し、1903年(明36)日本橋に建設の設計・監理を行なう横河工務所を開設。三越呉服店などを建築し、帝国劇場の設計を劇場創立委員会(委員長渋沢栄一)より依頼され、1911年(明44)に竣成。その他日本工業倶楽部・東京株式取引場など数多くの建築にあたる。1953年(昭28)株式会社となり、1969年(昭44)横河建築設計事務所と改称。80年史は創立からの歩みを概観した後、建築作品写真を各時代ごとに掲載している。
(株)横河電機製作所 電気機器 『計測器ひとすじに : 横河電機の50年』(1965.09) 1903年(明36)横河工務所を起こした建築家横河民輔(よこがわ・たみすけ、1864-1945)は、建築と関係の深い電気設備に着目。欧州で技術を学んだ甥の横河一郎(よこがわ・いちろう、1885?-1938)と技術者青木晋(あおき・しん、1888?-1938)を中心に1915年(大4)電気計器研究所を設立。翌年横河電機製作所と改称し、第一次大戦の影響で欧州産電力計の輸入が途絶すると、電気計器国産化の旗手として急成長。さらに工業計器、オートメーションの自動制御装置などの開発により工業化の波に乗る。50年史は序章で創立者横河民輔の人物に触れ、第1-10章では時代を追って沿革をまとめている。[1983年(昭58)北辰電機製作所と合併し横河北辰電機となり、1986年(昭61)横河電機に社名変更]
(株)横河ブリッジ 建設 『横河ブリッジ百年史』(2008.04)
横浜生糸取引所 その他金融業 『横浜と絹の百年』(1994.04) 明治以降横浜から積み出される生糸は輸出商品の花形であった。横浜の蚕糸貿易商は生糸価格の安定と需給の円滑化を目的に取引所設立を計画。1894年(明27)蚕糸、製茶、綿布、織物、海産物を対象とした横浜蚕糸外四品取引所が設立。1910年(明43)横浜株式米穀取引所と合併し横浜取引所と改称。戦時下蚕糸業の縮小により経営悪化し1943年(昭18)解散。戦後GHQは蚕糸業復興を支援し生糸取引が再開、1951年(昭26)横浜生糸取引所が創立される。明治期の取引所開設からの100年史は開国から昭和前期の生糸貿易最盛期に重点をおき、蚕糸取引業の歩みを簡潔にまとめたもの。[1998年(平10)前橋乾繭取引所と合併し横浜商品取引所となる(現(株)東京穀物商品取引所。2009年(平21)生糸取引は休止)]
(株)横浜銀行 銀行 『横浜銀行四十年史』(1961.04) 1878年横浜に設立された第七十四国立銀行(後に七十四銀行)は、大正期に経営不振から休業。原富太郎ら横浜の財界人が奔走し、七十四および横浜貯蓄銀行を整理して1920年新たに(株)横浜興信銀行を設立。神奈川県下の銀行と次々合同し、1957年(株)横浜銀行と改名。40年史は1950年に出版された「横浜興信銀行三十年史」以降の10年間の歩みを詳述し、後半に30年略史を載せている。
(株)横浜銀行 銀行 『横浜銀行六十年史』(1980.12) 1920年の(株)横浜興信銀行設立からの60年の歩みを通史で述べる。第1部は神奈川県の中枢金融機関として横浜開港から記述を始め、1957年の(株)横浜銀行への行名変更まで。第2部では以降の20年間の躍進について詳述。
(株)横浜銀行 銀行 『横浜銀行の歩み : 地域とともに141年 : 創立90周年記念誌』(2011.05)
(株)横浜銀行 銀行 『写真でみる横浜銀行の歩み : 地域とともに141年』(2011.05)
横浜護謨製造(株) ゴム 『四十年史』(1959.01)
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(1980.09) 横浜正金銀行は貿易に係わる為替金融の商権を外国人の独占から取り戻すため、政府の強力な支援のもと国立銀行条例に準拠する外国為替、貿易金融専門銀行として1880年(明13)神奈川に設立。第一次大戦を経て国際金融取引が飛躍的に伸長し、1930年(昭5)の金解禁に当り国策遂行機関となる。第二次大戦では必然的に臨戦体制の中に組込まれ、戦後はGHQにより閉鎖清算を命ぜられる。正金の国内資産負債の新勘定と整理済旧勘定をもって1946年(昭21)東京銀行が新たに設立され、正金は営業を停止し1964年(昭39)清算事務結了。当該社史は全6巻7冊からなり、第1巻は諸資料・史料を含む概説、第2-5巻は創立から清算までの沿革、第6巻は年表、年表索引(事項・人名)、調査統計資料、史話。第2巻前半は『横浜正金銀行史』(1920年刊)を書き改めたもの。[東京銀行は1996年(平8)三菱銀行と合併し東京三菱銀行となる(現・三菱東京UFJ銀行)]
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第2巻』(1981.04) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第2巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第3巻』(1981.08) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第3巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第4巻』(1982.03) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第4巻
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第5巻 上』(1983.01) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第5巻上
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第5巻 下』(1983.01) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第5巻下
横浜正金銀行 銀行 『横浜正金銀行全史. 第6巻』(1984.03) 『横浜正金銀行全史. 第1巻』(社史ID:10100)の第6巻
横浜商工会議所 経済団体 『横浜商工会議所百年史』(1981.02)
横浜倉庫(株) 倉庫・運輸関連 『横浜倉庫九十年史 : ハマ・ヒト・モノ』(1995.02) 明治後期八王子に集積された生糸を横浜へ運ぶため横浜財界人により横浜鉄道が設立され、運ばれた生糸の保管のため姉妹会社として1906年(明39)横浜倉庫が創立。役員の浅野総一郎の助言で土地事業にも進出し業績を伸ばす。戦時中は日本倉庫統制(株)に吸収され、戦後は米軍による施設接収のため休眠状態となる。1963年(昭38)東京へ進出し営業再開、倉庫業を拡大する。90年史は沿革の中に政財界著名人の談話コラムをはさみ、社長講演録・経営者列伝も含む親しみやすい構成。倉の文化史というコラムでは、日本史の中に登場する倉、倉庫という言葉や概念を紹介している。創業前の横浜倉庫業史の中で渋沢栄一の関わった倉庫会社・均融会社にも触れている。
吉沢石灰工業(株) 窯業 『100年のあゆみ』(1973.11)
吉田工業(株) 非鉄金属・金属製品 『YKK五十年史』(1984.05)
ヨシモトポール(株) その他製造業 『美しいくにづくりの半世紀』(2011.12)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞八十年史』(1955.12)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百年史』(1976.11)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百年史. 資料・年表』(1976.11) 『読売新聞百年史』(社史ID:15310)の資料・年表
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞発展史』(1987.11)
(株)読売新聞社 サービス業 『読売新聞百二十年史』(1994.11) 洋学と英語を学んだ子安峻、本野盛亨、柴田昌吉が1870年横浜で活版印刷所の日就社創設。1874年に読売新聞を創刊。その号から漢字にルビのごとく「傍訓」をふる。1917年読売新聞社に社名変更。警視庁出身の正力松太郎、報知新聞出身の務台光雄、そして渡辺恒雄が率いる。発行1000万部はギネス認定の世界最多。本社は銀座を経て大手町へ移転し、製版は1986年CTSに移行。読売巨人軍、日本テレビなどの関連会社の略史も含む。
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