業種"造船" 社史一覧 全29件中29件 1件〜29件目を表示
会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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(株)浅野造船所 | 造船 | 『我社の生立』(1935.12) | 1896年(明29)東洋汽船を設立した浅野総一郎(あさの・そういちろう、1848-1930)は、自ら手掛けた東京湾大規模埋立事業地に造船所設立を計画。当初は横浜造船所として1916年(大5)創立し、同年浅野造船所と改称。造船工事に着手し第一次大戦による船舶需要に応じる。1918年(大7)浅野製鉄所を合併し製鉄業を始め、船渠も築造し船舶修繕業にも事業を広げる。創立から20年を経て編纂された社史は、創立の経緯と現況を8章に分けて元役員が執筆し、浅野総一郎が関わった幅広い事業の流れを概観している。[1936年(昭11)鶴見製鉄造船と改称、1940年(昭15)日本鋼管に合併] |
今治造船(株) | 造船 | 『今治造船史』(1977.03) | 瀬戸内、来島海峡に面した波止浜湾(現・今治市)は南北朝の頃より造船業が発達していた。檜垣正一(ひがき・しょういち、1901-)は父が1901年(明34)に波止浜に興した檜垣造船所で修業。1924年(大13)独立し自営、1940年(昭15)には今治造船(有)を設立。同年今治の有力者により設立された今治船渠(株)と1943年(昭18)合併し、今治造船(株)を設立した。木造船から鋼造船、内航船、近海船、さらに大型遠洋船を手掛け急成長する。1970年(昭45)には丸亀に進出。当社史は檜垣造船所創業からの沿革や檜垣一族の足跡をジャーナリストが執筆し、郷土史のコラムも掲載。建造船はじめ多くの写真付。 |
浦賀船渠(株) | 造船 | 『浦賀船渠六十年史』(1957.06) | 1853年ペリーが浦賀沖に来航、衝撃を受けた幕府は浦賀に造船所開設。軍艦で来所していた榎本武陽らは後に船渠会社設立に奔走し、浅野総一郎等の賛同を得て1897年浦賀船渠(株)設立。1902年東京石川島造船所の浦賀分工場を買収した時から渋沢栄一との関係が強まり、同年経営不振に陥った際栄一の尽力で再建する。60年史は創業前後から太平洋戦争後の復興発展期までを年代を追って記述。50年史編集のために戦前から収集した資料を元に社内で執筆。 |
川崎重工業(株) | 造船 | 『川崎重工業株式会社社史. 年表・諸表』(1959.10) | 『川崎重工業株式会社社史. 本史』(社史ID:06240)の年表・諸表 |
川崎重工業(株) | 造船 | 『川崎重工業株式会社社史. 本史』(1959.12) | |
川崎重工業(株) | 造船 | 『九十年の歩み : 川崎重工業小史』(1986.10) | 1896年(株)川崎造船所として創立以来、1986年までの内容。従業員向けのハンディな略史として刊行。 |
川崎重工業(株) | 造船 | 『創立百周年の企業像を求めて : 川崎重工業小史』(1996.10) | 1896年(株)川崎造船所と改組以来、1996年までの内容で、1986年以降10年の記述が主体。従業員向けの略史として刊行。 |
川崎重工業(株) | 造船 | 『川崎重工業株式会社百年史 : 夢を形に : 1896-1996』(1997.06) | 1837年薩摩藩生まれの川崎正蔵は貿易海運業を営みながら造船業開業へ情熱を燃やす。1878年東京・築地に川崎築地造船所を開業、1880年に神戸にも開設。のち松方幸次郎を招き、1896年(株)川崎造船所が誕生。1919年川崎汽船、1928年川崎車両、1937年川崎航空機工業を設立。1939年川崎重工業(株)に社名変更。1950年川崎製鉄設立。戦後の高度成長の波に乗り、1969年川崎車両と川崎航空機工業を合併し陸・海・空にわたる新しい事業分野を開拓。渋沢栄一の関わった汽車製造(株)を1972年(昭47)合併。社史の後半は詳細な部門史と合併各社の略史。別冊資料編あり。 |
川崎重工業(株) | 造船 | 『川崎重工業株式会社百年史 : 1896-1996. 資料・年表』(1997.06) | 『川崎重工業株式会社百年史 : 夢を形に : 1896-1996』(社史ID:06270)の資料編 |
(株)川崎造船所 | 造船 | 『川崎造船所四十年史』(2003.10) | 薩摩出身の商人川崎正蔵(かわさき・しょうぞう、1837-1912)は近代造船所創設を志し、1878年(明11)東京築地に、1880年(明13)神戸に造船所を設立した。1886年(明19)政府より兵庫造船所を借受、翌年払下を受け、築地・神戸両造船所を合併し川崎造船所と改称。日清戦争により大拡張を迫られ、1896年(明29)個人経営から株式組織に変更。鉄道車両・自動車・航空機・製鋼・海運業の各分野に進出し発展する。40年史は時局がら簡潔な記述であるが、各工場も含む沿革と設備・主要製品・特許等幅広い内容。1936年(昭11)に刊行されたものの複製。[1939年(昭14)川崎重工業と社名変更。渋沢栄一の関わった汽車製造(株)を1972年(昭47)合併。2002年(平14)に船舶部門が分離し、(株)川崎造船となる] |
新三菱重工業(株)神戸造船所 | 造船 | 『新三菱神戸造船所五十年史』(1957.05) | 三菱社は三菱造船所(長崎)の拡張とともに神戸港の有望な将来性に着眼し、1905年三菱合資会社神戸三菱造船所発足。1917年三菱造船(株)発足に伴いその傘下に入り、1934年三菱航空機会社を合併し三菱重工業(株)となる。1950年財閥解体により中日本重工業(株)神戸造船所となり、1952年新三菱重工業(株)と社名変更。社史は1955年までの50年史で、沿革、経営、生産、勤労の4編と附録の資料からなる。 |
住友重機械工業(株)横須賀造船所 | 造船 | 『浦賀・追浜百年の航跡 : 1897-1997』(1997.06) | 1897年創業の浦賀船渠(株)は創業時から第一銀行の支援を受けていたが、1955年ごろから住友銀行との関係を深める。1962年玉島ディーゼル工業(株)と合併し、浦賀重工業(株)誕生。しかし業績悪化が進み、住友機械工業(株)がこれを支援、1969年両者は合併して住友重機械工業(株)発足。社史の第1編は「浦賀船渠六十年史」の概要を写真入りで読みやすくまとめたもの。第2編以降は合併の経緯、1971年の追浜造船所開設とその後の発展を、同様に写真を交えてビジュアルに記述している。 |
(社)造船協会 | 造船 | 『造船協会四十年史』(1937.04) | |
(株)東京石川島造船所 | 造船 | 『東京石川島造船所五十年史』(1930.12) | 1880年ごろ前身の石川島平野造船所に対し、創設者平野富二の懇請により渋沢栄一は第一銀行から融資。1889年有限責任石川島造船所が栄一らにより創立、栄一は委員。1893年株式会社東京石川島造船所に改組。序文は晩年の栄一筆。社史後半は関係者からの聞き取りをまとめて載せている。 |
(株)名村造船所 | 造船 | 『造船55年』(1967.04) | |
西日本重工業(株)長崎造船所 | 造船 | 『三菱長崎造船所史. 続篇』(1951.12) | |
函館船渠(株) | 造船 | 『函館船渠株式会社四十年史』(1937.06) | 明治維新後北海道でも西洋型船の製造が奨励され、1878年(明11)より函館の平田文右衛門らは船渠及び製鉄所設立を計画。長年の運動の結果渋沢栄一ら東京・大阪の有力実業家の援助を得、政府補助金の下附も受けて1896年(明29)函館船渠が設立された。初期の経営危機を栄一らの尽力で乗り越え、第一次大戦期を経て発展する。40史では会社設立までの経緯を詳述し、巻末には船渠建設工事中から開業当時、また工場内部などの写真を多数掲載している。[1951年(昭26)函館ドック、1984年(昭59)函館どつくに社名変更、2001年(平13)名村造船所と業務提携、2007年(平19)名村造船所の連結子会社となる] |
(株)播磨造船所 | 造船 | 『播磨50年史』(1960.11) | 兵庫県相生の村長唐端清太郎を中心に相生の繁栄を図って出資者が募られ、1907年播磨船渠(株)が設立。第一次大戦後1916年に鈴木商店が買収、1932年帝国汽船(株)に合併、更に1921年には(株)神戸製鋼所に合併される。1929年に同社から独立し、(株)播磨造船所設立。戦後編集された40年史の原稿を元に1958年「50年略史」が刊行され、1960年11月にこの「50年史」を刊行。[同年12月石川島重工業と合併し、石川島播磨重工業(株)となる] |
日立造船(株) | 造船 | 『日立造船株式会社七十五年史』(1956.04) | 神戸のキルビー商会小野浜鉄工所で木造汽船の建造に携わった英国人E.H.ハンター(Edward Hazlett Hunter, 1843-1917)は、1881年(明14)大阪鉄工所を創業。船舶の建造・修理とともに特殊船や鋳鉄管事業等にも力を注ぎ、その特技と権威とを誇った。1914年(大3)株式会社に改組、1934年(昭9)日本産業(株)へ合併し(株)日本産業大阪鉄工所となる。1936年(昭11)全株式を日立製作所が取得し、1943年(昭18)日立造船に改称。戦後は施設の近代化と合理化を進め、創業以来の活況を呈する。大阪鉄工所創業からの75年史は4篇からなり、第1-3篇は未定稿の60年史を中心に編集、第4篇は戦後の記録をまとめている。製品写真や工場図面など多くの図表を掲載。[2002年(平14)造船事業を日本鋼管(現JFEエンジニアリング)との共同出資会社ユニバーサル造船に営業譲渡] |
日立造船(株) | 造船 | 『八十周年を迎えて』(1961.04) | |
日立造船(株) | 造船 | 『堺工場竣工・創業85周年』(1966.04) | |
日立造船(株) | 造船 | 『日立造船90周年を迎えて : インテグレーター』(1971.04) | |
日立造船(株) | 造船 | 『日立造船百年史』(1985.03) | |
三井造船(株) | 造船 | 『三十五年史』(1953.11) | 1889年(明22)に海運業を開始した三井物産は船舶部を設け御用船を供給していた。第一次大戦の勃発とともに船腹がいよいよ不足し、修理工事さえ船主の意に任せない状況になっていた。そこで船舶部長川村貞次郎は造船部の新設を提議、1917年(大6)三井物産造船部が設立され、岡山県宇野湾大字玉に工場を建設する。1937年(昭12)三井物産から分離独立し、(株)玉造船所を設立。1942年(昭17)三井造船と改称。戦後の混乱を越え生産再開する。三井物産造船部設立からの35年史は、『三井物産株式会社造船部二十年史』(1938年刊)を参考として書き改めたものと、新規蒐集の史料を整理したものからなり、前編が沿革、後編が組織と経理。 |
三井造船(株) | 造船 | 『三井造船株式会社50年史』(1968.03) | |
三菱重工業(株)神戸造船所 | 造船 | 『三菱神戸造船所七十五年史 : 1905~1980』(1981.11) | |
三菱重工業(株)長崎造船所 | 造船 | 『長崎造船所150年史』(2008.01) | |
三菱造船(株) | 造船 | 『三菱造船株式会社史』(1967.06) | 旧三菱重工業の解体により1950年発足した西日本重工業(株)は、長崎造船所・下関造船所・広島造船所・長崎精機製作所・広島精機製作所の事業を継承。1952年三菱造船(株)に社名変更、1964年3社の合併により再び三菱重工業(株)となる。この15年史は他2社の「新三菱重工業株式会社史」「三菱日本重工業株式会社史」と同じ監修者の元に同時に刊行された。第1部総論では15年間の沿革、第2部各論では部門・事業所ごとの歩みを詳述。詳細な図表目次と索引付。 |
三菱造船(株)長崎造船所 | 造船 | 『創業百年の長崎造船所』(1957.10) | 1853年ペリーが来航し幕府は開国の方針を決め海軍創設を企図。外国への窓口であった長崎に1857年長崎鎔鉄所が建設され、後に官営長崎造船所となる。海運を営んでいた三菱社の岩崎弥太郎は1887年長崎造船所の払下を受け、三菱造船所と改称。1934年三菱重工業(株)に改組、戦後財閥解体により西日本重工業(株)を経て1952年三菱造船(株)長崎造船所となる。明治期から軍艦や舶用ボイラなどの造機の建造も手がけ、1956年には世界一の船舶建造量を誇る。百年史は写真を多くとりいれ目で見る社史として編纂。 |
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