業種"小売業" 社史一覧 全30件中30件 1件〜30件目を表示
会社名 | 業種 | 社史タイトル(出版年) | 会社沿革と社史メモ |
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(株)伊勢丹 | 小売業 | 『新世紀への翔き : 伊勢丹100年のあゆみ』(1986.10) | |
(株)伊勢丹 | 小売業 | 『伊勢丹百年史 : 三代小菅丹治の足跡をたどって』(1990.03) | 相模出身で東京湯島の呉服店に奉公していた初代小菅丹治(こすげ・たんじ、1859-1916)は、1886年(明19)神田に伊勢屋丹治呉服店を創業。創意工夫を重ね「帯の伊勢丹」の評判をかち得、1907年(明40)商号を伊勢丹呉服店に改称。関東大震災で被災するが、呉服店から百貨店化を目指し1930年(昭5)(株)伊勢丹設立。1933年(昭8)には有望な商圏の新宿へ進出する。戦後は駐留軍による接収を経て、近代的百貨店として成長する。創業からの100年史は戦後のファッションビジネス形成史を主体とし、これを推進した三代小菅丹治(1918-1984)のリーダーシップを軸に写真を多用して記述。資料編には新宿店の増築工事やフロア構成の変遷が掲載されている。[2008年(平20)三越と共に三越伊勢丹ホールディングスを設立し、その子会社となる] |
(名)一誠堂書店 | 小売業 | 『古書肆100年 : 一誠堂書店』(2004.07) | |
(株)伊東屋 | 小売業 | 『銀座伊東屋百年史 : one hundred years in stationery』(2004.10) | 東京・銀座生まれの伊藤勝太郎(いとう・かつたろう、1875-1964)は築地居留地で英語を学び西欧文明に触れる。1901年(明34)帝国博品館の勧工場(かんこうば)に洋品小間物店を出店、1904年(明37)には和漢洋文房具店の伊東屋を銀座通りに開業。一般事務の主流は明治後期でも大福帳に算盤であったが、勝太郎は洋帳簿を伊東屋オリジナルとして考案、製造販売した。1910年(明43)の営業品目録には洋式帳簿80種以上を掲載している。第二次大戦後は銀座2丁目に移転し、高度経済成長と共に発展する。100年史は沿革のほか鼎談・座談会・写真で見る百年史など様々な角度で文房具販売の歩みを記述している。 |
栄養食(株) | 小売業 | 『会社五十年の歩み』(1989.03) | 冷凍魚を扱っていた関法之(1905?-)が職場の集団給食を専門に請け負う目的で、1938年(昭13)栄養食会社を設立。軍需工場の増加に伴い全国の食堂の委託経営を引受ける。戦後休業していたが1949年(昭24)ごろから再出発の準備にかかり、翌年社員食堂の請負を始める。縁のある渋沢敬三(しぶさわ・けいぞう、1896-1963)の計らいもあり漸次発展する。50年史は創業者の弟で現会長関誠三郎(せき・せいざぶろう、1911-)の執筆。第1部は設立から第2次大戦終了まで、第2部は戦後の再出発と会社の現況、第3部は著者自身の経営哲学で、渋沢栄一の訓言にも触れる。[関兄弟の祖父関直之は渋沢家洲崎養魚場管理人で、後に洲崎養魚を設立した] |
(株)亀井商店 | 小売業 | 『風調雨順 : 亀井商店の八十年』(1984.03) | |
ジャスコ(株) | 小売業 | 『ジャスコ三十年史』(2000.12) | 1758(宝暦8)年四日市で初代岡田惣左衛門が商売を始める(後の岡田屋)。1937(昭和12)年姫路市で二木一一がフタギ洋品店開業。1955年大阪に井上次郎が服地小売業創業。三者は1969年合併して大阪にジャスコ(株)設立、会長二木一一、社長岡田卓也、副社長井上次郎。その後も次々と合併、業務提携で大きくなった。ローラアシュレイ、タルボット、ツヴァイ、ボディショップも提携先。35歳からの雇用もあり。タイ、マレーシア、中国進出。災害寄付(落果リンゴ)やリサイクル運動も行う。 |
(株)白木屋 | 小売業 | 『白木屋の歴史』(1937.08) | 近江長浜の大村彦太郎(おおむら・ひこたろう、1636-1689)が大志を抱いて上京、1662年(寛文2)江戸日本橋に白木屋(しろきや)を創業。次第に店を広げ越後屋(現・三越)と並ぶ呉服店として繁盛する。明治期から百貨店として設備を整え、1911年(明44)日本初のエレベーターを設置。関東大震災で被災するが復興し、1933年(昭8)には全館改修落成。本社史は江戸期の文書を始め創業からの資料の写真を解説と共に掲載、1932年(昭7)の火災や1935年(昭10)の日米親善人形使節の写真も含む。[1958年(昭33)東急百貨店と合併し(株)東横に商号変更、店舗名は白木屋で営業。1967年(昭42)(株)東急百貨店に改称し東急百貨店日本橋店となる。1999年(平11)閉店。] |
(株)白木屋 | 小売業 | 『白木屋三百年史』(1957.03) | |
(株)そごう | 小売業 | 『株式会社そごう社史』(1969.12) | |
(株)大丸 | 小売業 | 『大丸二百五拾年史』(1967.10) | |
(株)天賞堂 | 小売業 | 『商道先駆 : 天賞堂五十年の回顧』(1939.06) | 千葉出身の江沢金五郎(1852?-1896)は1879年(明12)東京銀座に印房店の天賞堂を創業。皇族や文人、清国からも広く注文を受ける。1888年(明21)頃から時計や高級宝石の輸入販売を開始。定価販売や品質保証制度を実施し信用を得る。1890年(明23)の第3回内国勧業博覧会以来内外の博覧会に工芸品を出品、最高賞を何度も受賞し評判を呼ぶ。1904年(明37)米国コロムビア社の写声機(蓄音機)を発売しレコードも制作、音曲の内容を「美音の栞」として頒布する等、独創的販売方法で業績を伸ばす。[1906年には渋沢栄一が演説をレコードに録音している。]50年史は創業からの歩みを創業者の弟が語ったもの。本文の随所に看板、広告文、報道記事などを引用している。 |
西川産業(株) | 小売業 | 『西川400年史』(1966.03) | |
(株)はせがわ | 小売業 | 『受け継ぐ心といのち 明日へ : 1929-2013』(2013.07) | |
(株)文祥堂 | 小売業 | 『感謝を乗せて知的航海 : 文祥堂創業80周年記念社史』(1994.08) | |
(株)町田糸店 | 小売業 | 『町田百年略史』(1965.04) | |
(株)町田糸店 | 小売業 | 『町田百二十年のあゆみ : 駒形一丁目一番』([1983]) | 初代町田徳之助(1840?-1888)は1864年(元治1)東京浅草に糸商を開業。二代徳之助(1866-1952)は渋沢栄一始め多くの実業家の知遇を得て家業を発展させ、1909年(明42)の渡米実業団にも参加。1918年(大7)町田糸店を株式会社に改組。人絹の事業化のため1926年(大15)東京人造絹糸を設立(1941年解散)。1934年(昭9)創業70年に私財を投じ町田報徳学舎を設立。町田糸店は1939年(昭14)卸部門を独立させ町田商事を設立。戦後は糸・紐への限りない需要に応えつつ業界をリードして発展する。120年史は沿革と現況をコンパクトにまとめ、小冊子ながら企業理念を十全に伝えている。既刊の『町田百年略史』(1965)は年表のみで構成。[町田報徳学舎は1950年(昭25)町田学園女子高等学校(現・品川エトワール女子高等学校)となる] |
(株)松坂屋 | 小売業 | 『松坂屋百年史』(2010.02) | |
(株)松屋 | 小売業 | 『松屋百年史』(1969.11) | 甲州出身の初代古屋徳兵衛(ふるや・とくべえ、1849-1911)は横浜の呉服商に奉公し、1869年(明2)独立して呉服中継商の鶴屋を開業。商売繁盛し1889年(明22)には東京神田今川橋の呉服商松屋を店員ごと買収。店舗を改装し呉服商から百貨店への脱皮をはかり、1919年(大8)には松屋鶴屋呉服店を設立。関東大震災を克服し1925年(大14)銀座本店開店。戦後米軍に店舗を接収される中で松屋と商号変更、1953年(昭28)接収解除され銀座本店が新装開店、高度成長期に発展する。100年史は創業前史で古屋家を扱い、1969年(昭44)までの沿革の最後には6つの傍系事業にも触れている。包装紙、商品券、ポスターなどの写真も掲載。 |
丸善(株) | 小売業 | 『丸善外史』(1969.02) | |
丸善(株) | 小売業 | 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 上巻』(1980.09) | 明治維新期に西洋諸国の科学・技術・文化を導入すべく、福沢諭吉門下の早矢仕有的(はやし・ゆうてき、1837-1901)が洋書輸入を主とする貿易事業を始め、1869年(明2)横浜に丸屋商社(丸屋善八店)を創立。1880年(明13)株式組織に改組し丸善商社と改称、本店を東京へ移転。貿易商会や丸屋銀行を開設するが景気変動などで破綻。丸善商社は再建に奮闘し1893年(明26)丸善と改称する。以来洋書を中心とした衣料・雑貨などの輸入販売を通じ、欧米文化紹介の一翼を担う。100年史は日本文化の近代化の軌跡を辿る側面史を意図し、研究者が執筆。三分冊構成で、上巻は明治時代、下巻は大正から100周年までを記述、資料編巻頭には機関誌「学鐙」の表紙写真等を掲載している。[2008年大日本印刷の連結子会社となる] |
丸善(株) | 小売業 | 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 下巻』(1981.12) | 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 上巻』(社史ID:08240)の下巻 |
丸善(株) | 小売業 | 『丸善百年史. 資料編』(1981.12) | 『丸善百年史 : 日本近代化のあゆみと共に. 上巻』(社史ID:08240)の資料編 |
(株)ミキモト | 小売業 | 『輝きの世紀 : 御木本真珠発明100周年記念』(1993.01) | 『御木本真珠発明100年史』(社史ID:08280)のビジュアル版 |
(株)ミキモト | 小売業 | 『御木本真珠発明100年史』(1994.07) | 鳥羽出身の御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858-1954)は海産物商の傍ら、乱獲されていた志摩の真珠貝を守るため真珠養殖を試みる。1893年(明26)半円真珠の養殖成功を機に御木本真珠養殖場を創設、本格的に事業化に乗り出す。1899年(明32)には東京・銀座に日本初の真珠専門店である御木本真珠店を開設。1949年(昭24)個人経営の養殖場と真珠店は、法人組織の御木本真珠と御木本真珠店に改組。その後1972年(昭47)両社の合併によって現在の(株)ミキモトとなる。100年史ではまず御木本100年の歩みとして御木本幸吉と一族について記述し、幸吉が実業界で最も兄事した渋沢栄一と森村市左衛門にも触れている。次に御木本グループのミキモト、ミキモト装身具、御木本製薬、御木本真珠島の4社についてそれぞれ沿革と資料・年表を掲載。100周年記念にビジュアル版社史『輝きの世紀』も出版。 |
(株)御木本真珠島 | 小売業 | 『御木本真珠島40年の歩み : 開島40周年記念誌』(1991.07) | 御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858-1954)は1893年(明26)鳥羽の相島で真珠養殖に成功。御木本真珠を創業し事業を広げると、真珠のふるさとの相島は内外に知られるようになる。幸吉は戦後復興期に真珠産業を世界に紹介するため、1951年(昭26)(有)御木本真珠ヶ島を設立、島を一般公開。1971年(昭46)(有)御木本真珠島に改称、1980年(昭55)株式会社となる。40年間に皇室や世界各国の要人を始め、国内外の一般観光客も4000万人近く訪れる観光地に成長する。40年史は「御木本幸吉と真珠島」「ロイヤルファミリーと真珠島」「真珠島40年の歩み」の構成で、多くの客人の写真を掲載している。 |
(株)三越 | 小売業 | 『株式会社三越85年の記録』(1990.02) | 伊勢の三井高利(みつい・たかとし、1622-1694)は1673年(延宝1)呉服店越後屋を江戸に創業。三井家の事業拡大により不振の呉服店は1872年(明5)三井から分離、新立の三越家の経営となる。1893年(明26)三井呉服店に改組するが、後に高橋義雄(たかはし・よしお、1861-1937)と日比翁助(ひび・おうすけ、1860-1931)が支配人となり改革を開始、再び呉服店を三井家の事業から切り離し1904年(明37)三越呉服店が誕生。呉服だけでなく日本初の百貨店を目指し「デパートメントストア宣言」を行なう。1914年(大3)本店新館が完成、1928年(昭3)三越と改称、その後数年で全国支店網の拡充を行なう。『大三越歴史写真帖』(1932年刊)、『三越の歩み』(1954年刊)等を参考に編集した85年史では、越後屋創業から三越呉服店誕生前までを前史、以降を本史として編年体で記述。各々の時代の経済事象や世相を背景に写真・史料を豊富に掲載し、資料編に本店フロア構成変遷や主要催物も載せている。[2008年(平20)伊勢丹と共に三越伊勢丹ホールディングスを設立し、その子会社となる] |
(株)明治屋 | 小売業 | 『明治屋百年史』(1987.12) | 津山出身の磯野計(いその・はかる、1858-1897)は東大法学部卒業後1880年(明13)三菱の援助で英国に留学し、3年間商業実務を学ぶ。後に郵便汽船三菱会社で食料品等の納入実務を経験。1885年(明18)日本郵船創立を機に、外国人が握っていた同社の食料品・雑貨の納入権を獲得し、同年横浜で明治屋を創業。1888年(明21)にはキリンビールの一手販売権を獲得、明治屋の基礎を強固なものにした。1903年(明36)合名会社、1911年(明44)株式会社に改組。第二次大戦後は占領軍家族向け日用品販売でいち早く復興を遂げ発展。100年史は社内で編集し、食文化向上を目指した創業者の開拓者精神を詳述。資料にある明治末期の取扱商品リストには当時の価格が掲載されている。 |
湯浅金物(株) | 小売業 | 『三百年ののれん』([1969.06]) | |
(株)有隣堂 | 小売業 | 『有隣堂八十年史』(1989.10) | 横浜生まれの松信大助(まつのぶ・だいすけ、1884-1953)は、1894年(明27)に父と長兄が横浜に開業した書籍販売の第一有隣堂から独立、1909年(明42)第四有隣堂を開業した。姉は第二有隣堂、次兄は第三有隣堂を開業していたが、大助は義兄と共に1917年(大6)有隣堂文具部を設立。1919年(大9)第四有隣堂は第一有隣堂と有隣堂文具部を合併し、(株)有隣堂と改組。しかし関東大震災の打撃が重く1927年(昭2)株式会社を解散、個人経営として経営再建に努め、1931年(昭6)(名)有隣堂を設立。1956年(昭31)株式会社に改組し、書店を中心とした地域の文化センターを目指して発展する。80年史では横浜地域史、出版業界の状況も含めて記述。社名の有隣は論語から採っている。 |
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