収録社史一覧

業種"鉄鋼業" 社史一覧 全62件中62件 1件〜62件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)尼崎製鋼所 鉄鋼業 『尼鋼十年史』(1942.05)
岡谷鋼機(株) 鉄鋼業 『鉄一筋 : 岡谷鋼機三百年の歩み』(1968.11)
川崎製鉄(株) 鉄鋼業 『川崎製鉄二十五年史』(1976.04) 1878年(明11)創業の川崎造船所は造船用鋳鋼品の自給等のため、1906年(明39)神戸に工場を開設し製鉄部門へ進出。1929年(昭4)川崎重工業に社名変更。第二次大戦後企業再建整備法による再建計画が立案され、製鉄所担当役員の西山弥太郎(にしやま・やたろう、1893-1966)は、将来の発展のために製鉄部門と造船部門の分離を主張。1950年(昭25)製鉄部門を第2会社として分離し、西山を社長に川崎製鉄が誕生する。25年史は川崎造船所の創業からの沿革、生産と技術、管理と販売の3編からなり、資料・年表・索引付き。[渋沢栄一発起の日本鋼管と合併し、2003年(平15)JFEスチールとなる。]
川崎製鉄(株) 鉄鋼業 『川崎製鉄五十年史』(2000.12)
川鉄商事(株) 鉄鋼業 『川鉄商事25年の歩み』(1980.06) 朝鮮戦争後の反動不況を乗り越え経営基盤の充実と競争力強化をめざし、川崎製鉄初代社長西山弥太郎(1893-1966)は川崎製鉄直系問屋8社の合併統合を説得。摩耶興業、青山特殊鋼、新庄鋼材の3社が応じ川崎製鉄の商社として1954年(昭29)川鉄商事が設立された。川崎製鉄と一体となって製品の販路拡大に努め、1958年(昭33)川崎製鉄千葉製鉄所のストリップ・ミル稼動を機に大量生産された鋼材の販売に力を入れる。同じく直系問屋の小倉商事と1961年(昭36)、川一岐商と1969年(昭44)合併し、販売力強化と経営効率化を図る。25年史は設立からの沿革と部門史、現況、資料、年表からなり、工場や取扱商品等の写真を多く掲載。[2004年(平16)会社分割と合併によりJFE商事(株)となる]
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神鋼三十年史』(1938.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神鋼五十年史』(1954.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼70年. [本編]』(1974.09) 神戸の貿易商社鈴木商店の番頭金子直吉(かねこ・なおきち、1866-1944)が「これからの日本は工業である」という先見性のもとに1905年(明38)小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所と改称。1911年(明44)鈴木商店から分離・独立し株式会社となる。大恐慌による鈴木商店倒産後も機械、伸銅品などに生産品種を拡大し、大正後半には鋼材圧延に進出。鉄鋼需要増大に伴い鉄鋼大手メーカーとして発展する。1929年(昭4)に分離した播磨造船所は1960年(昭35)石川島重工業と合併し、石川島播磨重工業となる。70年史はカラー写真やエピソードを多く掲載し、年表を数年ごとに併載して時代との関連がわかりやすく読みやすい体裁。別冊資料編付。
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼70年. 資料編』(1974.09) 『神戸製鋼70年. [本編]』(社史ID:04550)の資料編
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼80年 : since 1905』(1986.09) 1905年(明38)の創業からの80年史。金子直吉による小林製鋼所買収から誕生した神戸製鋼所は、1927年(昭2)の親会社鈴木商店の倒産、1945年(昭20)の企業解体および海外資産没収などの数々の危機を乗り越え、ついに国際的企業へと大発展をとげる。構成は総合史・部門史・資料の3部から成る。
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼グループ100周年記念誌 : 一番星も一等星も』(2005.09)
(株)神戸製鋼所 鉄鋼業 『神戸製鋼100年 : 1905-2005』(2006.03)
(株)酒井鉄工所 鉄鋼業 『酒井鉄工所65年の流れ』(1969.05)
佐藤鉄工(株) 鉄鋼業 『佐藤鉄工85年史』(1996.11)
JFEスチール(株) 鉄鋼業 『JFE Steel : JFEスチール株式会社 : JFE 東日本製鉄所 (京浜地区)』([2003])
JFEホールディングス(株) 鉄鋼業 『JFEグループtoday : 創立10周年記念号. 2013』([2013])
新日本製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 新日本製鉄株式会社十年史』(1981.03) 1970年に八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)が合併して発足。この10年史は「炎とともに」の共通タイトルのもとに、「八幡製鉄株式会社史」「富士製鉄株式会社史」と同時に刊行された。第1部はわが国近代製鉄業の成立から日本製鉄(株)の設立と解体、第2部は八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)合併の経緯、第3部が新日本製鉄(株)の10年の歩み。
新日本製鉄(株) 鉄鋼業 『生きることのすべてに : 鉄とともに、時代とともに : 新日鉄20周年記念誌』(1990.08) 1970年の創業から20周年を記念して出版されたコンパクトな冊子。図・写真を豊富に使い、広報の視点から現状と将来展望を描いている。
新日本製鉄(株)大分製鉄所 鉄鋼業 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史』(1992.04) 古来砂鉄を多く産した大分では弥生時代から鉄の文化が興隆しており、日本刀や鉄砲製造に鍛冶技術が応用されていた。1876年の廃刀令以降は産業を支える製鉄業に転換していく。1970年設立の新日本製鉄(株)は高度経済成長に伴い増大した鉄鋼需要に応えるべく、従来の室蘭・釜石・君津・名古屋・堺・広畑・光・八幡の製鉄所に加え、新たな製鉄所として1972年大分製鉄所を建設。20年史は建設の経緯からを記述した総合史と部門史、別冊の資料集からなる。
新日本製鉄(株)大分製鉄所 鉄鋼業 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史. 資料集』(1992.04) 『未来を拓く : 大分製鉄所20年史』(社史ID:04620)の資料編
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『釜石製鉄所九十年史 : この十年の歩み』(1976.09) 1886年の創業から90年を記念して編纂。80年史に続く10年の歩みを、多くのエピソードと写真・グラフで綴った社史。
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『鉄と共に百年. 本編』(1986.10) 古来鉄作りの伝統がある岩手県釜石の大橋に1727年磁鉄鉱石が発見される。1878年官営製鉄所が操業開始するが挫折し1883年廃業。東京の鉄屋田中長兵衛と横山久太郎は設備の払下げを受け、1886年出銑に成功、翌年釜石鉱山田中製鉄所設立。1924年三井鉱山の傘下に入り釜石鉱山(株)創立。以降1934年~日本製鉄(株)、1950年~富士製鉄(株)を経て1970年新日本製鉄(株)釜石製鉄所となる。百年史は前半が創業からの総合史、後半が付設の病院史も含めた部門史。別冊は写真集と資料編。
新日本製鉄(株)釜石製鉄所 鉄鋼業 『鉄と共に百年. 写真・資料』(1986.10) 『鉄と共に百年. 本編』(社史ID:04650)の資料編
新日本製鉄(株)堺製鉄所 鉄鋼業 『堺製鉄所二十年史』(1984.11) 1950年発足の八幡製鉄(株)は経済の高度成長に伴う鉄鋼需要の急伸に対応するため、一大消費地である関西経済圏を後背に製鉄所建設を計画。堺市に1961年堺製鉄所が開設され、1970年に新日本製鉄(株)堺製鉄所となる。20年史は発足からの歩みを記述した総合史と、部門史・資料編からなる。
新日本製鉄(株)製品技術研究所 鉄鋼業 『製品技術研究所20年史』(1981.04) 第二次大戦後の鉄鋼業界では、自主的な技術研究の振興のために研究体制の確立が望まれていた。1959年富士製鉄(株)は中央研究所設置、1962年相模原市に研究所を建設し、研究活動を開始。1970年八幡製鉄との合併により、新日本製鉄(株)研究開発本部製品技術研究所となる。20年史は富士製鉄時代の10年と新日鉄発足後の10年に区切り、所員の座談会と回想録も取り入れた編集。
新日本製鉄(株)中央研究所 鉄鋼業 『中央研究所10年史』(1971.05)
新日本製鉄(株)名古屋製鉄所 鉄鋼業 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 総合史』(1984.09) 急増する鉄鋼需要へ対応し中部地方産業構造の重化学工業化を図るために、1958年富士製鉄(株)と地元経済界の共同出資により東海製鉄(株)創立。1964年高炉に火が入り銑鋼一貫体制を確立する。1967年合併により富士製鉄(株)名古屋製鉄所となり、1970年には八幡製鉄と合併し、新日本製鉄(株)名古屋製鉄所となる。20年史は創業からの歩みを4編に分けて述べた「総合史」と、別冊の「部門史」からなる。
新日本製鉄(株)名古屋製鉄所 鉄鋼業 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 部門史』(1984.09) 『躍進 : 銑鋼一貫20年史. 総合史』(社史ID:04700)の部門史
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『30年史』(1970.09) 1934年国策により日本製鉄(株)が発足。第4次拡充計画で原産地から遠くても消費地に近い阪神地区に製鉄所建設が計画される。瀬戸内海沿岸の兵庫県飾磨郡広村広畑が選ばれ、1939年に高炉に火が入る。世界最新鋭の鋼板工場として稼動するが、戦後は全面休止となる。再開の交渉がみのり1950年再び高炉に火が入れられ、日本製鉄が解体し新発足した富士製鉄(株)の元で再スタートを切る。1970年からは新日本製鉄(株)広畑製鉄所となる。30年史は総合史と詳細な部門史から構成されている。
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 総合史』(1990.07)
新日本製鉄(株)広畑製鉄所 鉄鋼業 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 部門史』(1990.07) 『広畑製鉄所50年史 : 創造と挑戦. 総合史』(社史ID:04730)の部門史
住友金属工業(株) 鉄鋼業 『住友金属工業六十年小史』(1957.05) 1895年大阪に開業した日本伸銅(株)は日清戦争後の恐慌期に経営困難に陥り、1897年住友家が買収して住友伸銅場を開設。1901年同じく大阪に住友鋳鋼場開設。両者は大正年間にそれぞれ住友伸銅鋼管(株)、(株)住友製鋼所となり、1935年合併して住友金属工業(株)が誕生。60年史は50年史のために作成された稿本をもとに、創業から鉄鋼・非鉄金属両部門で発展した過程を、従業員向けにコンパクトにまとめたもの。
住友金属工業(株) 鉄鋼業 『住友金属工業最近十年史 : 創業七十周年記念』(1967.06) 60年史の後1967年までの10年間に、金属素材メーカーから総合鉄鋼メーカーへ脱皮成長した過程を、部門別にまとめたもの。
住友金属工業(株) 鉄鋼業 『住友金属工業最近十年史 : 創業八十周年記念』(1977.10) 1967年から1977年までの10年間の歩みを9章に分けて記述。前半は鹿島製鉄所建設に代表される高度成長期の躍進を述べ、後半はドル・ショック後の世界経済の激しい構造変化の中での経営施策を記述している。
(株)新潟鉄工所 鉄鋼業 『新潟鉄工所四十年史』(1934.06) 1888年(明21)の日本石油創立以来、北越地方は石油事業が盛況を呈していた。日本石油は米国からの輸入機械で鑿井に成功し、必要な機械製作のため自ら鉄工所設置を計画。1895年(明28)新潟鉄工所が創業、翌年営業を開始する。基礎を確立し事業が拡張したのを機に1908年(明43)日本石油から分離独立し、(株)新潟鉄工所となる。1917年(大6)に本社を東京へ移転し、石油機械の他輸送用機械や工作機械の製作で発展する。創業からの40年史は、沿革、歴代社長小伝、主要製品発達史等からなり、多くの製品写真や図面を掲載している。[2001年(平13)会社更生法を申請し、2003年(平15)設立の新潟原動機(株)と新潟トランシス(株)へ営業譲渡して解散]
(株)新潟鉄工所 鉄鋼業 『新潟鉄工所100年史』(1996.03)
日亜製鋼(株) 鉄鋼業 『日亜製鋼五十年史』(1960.06)
日新製鋼(株) 鉄鋼業 『日新製鋼新発足十年史』(1969.12)
日鉄住金建材(株) 鉄鋼業 『限界を超えて : 日鉄住金建材株式会社史』(2012.03)
日鉄住金建材(株) 鉄鋼業 『限界を超えて : 東日本大震災仙台製造所被災状況と復興 : 日鉄住金建材株式会社史』(2012.03) 渋沢栄一が関わった富士製綱(株)をルーツの一つにもつ日鉄住金建材(株)の社史『限界を超えて』(2012)の別冊。建材メーカーである同社の仙台製造所は仙台港に面しており、2011年(平成23)3月の東日本大震災の津波により壊滅的な被害を受けた。それにより編纂途中の社史の発行を延期することになり、被災状況と同年11月ごろまでの復旧・復興状況を、作成中の社史別冊として翌年3月11日に発行した。これは同時に社内限定で発行された『製造所の歴史』別冊の「東日本大震災仙台製造所被災状況と復興の記録」を、2/3に縮減編集したもの。本書は序章と本文12章、結びからなり、序章と第1-4章では地震発生から3月19日までの被災状況を、写真や図版も入れて記述。続く第5-8章は被災直後から5月末までの復旧に向けた取組みや具体的作業をまとめたもの。更に第9-11章には9月1日の操業再開に向けた動きを記述し、第12章で被災の経営への影響をまとめ、復旧工事の歩みの表と復旧状況の写真を載せている。そして「結び」に、復旧への期待を述べた11月の社長訓示を再掲。被災後直ちに復旧への活動を開始し、困難の中で創業を再開した同社の貴重な記録となっている。
日本金属(株) 鉄鋼業 『日本金属五十年史 : 昭和5年~昭和55年』(1980.11)
日本金属工業(株) 鉄鋼業 『二十五年誌 : 1932-1957』(1957.06)
日本鋼管(株) 鉄鋼業 『日本鋼管株式会社創業二十年回顧録』(1933.12) 明治期に我が国では官営製鉄所が生産開始したが、民需増大に追いつかず輸入が年々増大、明治末期に多くの製鉄会社が設立された。ガス・水道事業の発展に伴い、鋼管製造事業が有望になり、官営八幡製鉄所技師出身の今泉嘉一郎、東洋汽船で銑鉄の運搬を手がけた白石元治郎らが協力し、1912年日本鋼管株式会社創立。渋沢栄一は事業に賛同し多方面の協力を得、発起人に名を連ねる。回顧録の執筆は今泉嘉一郎で、当初大倉喜八郎他に事業創立の相談に行き、後設立に至った経緯等を年代順に克明に記載。
日本鋼管(株) 鉄鋼業 『日本鋼管株式会社三十年史』(1942.06) 30年史は前半が我が国の鉄鋼業の歴史と1942年までの編年史、後半は現況、資料集と創業者白石元治郎の回顧録。
日本鋼管(株) 鉄鋼業 『日本鋼管株式会社四十年史』(1952.11) 日華事変以降数年間のめざましい発展の足跡と、戦後の複雑な再建過程の詳細な記録。第1部は編年体の綜合史、第2部は資料編で総務、生産(製鉄・造船)、業務、経理の部門別概観。
日本鋼管(株) 鉄鋼業 『五十年史』(1962.06) 写真・図版をふんだんに取り入れた「眼で見る社史」。1000ページを超える大作。第1部総合史、第2部回顧録、第3部部門史。総合史は「40年史」からの概説と最近10年史からなる。
日本鋼管(株) 鉄鋼業 『日本鋼管株式会社六十年史』(1972.06) 1962年以降の10年を福山製鉄所、津造船所の建設を中心に積極的施策を推進した躍進の時期ととらえる。社史の構成は、1.最近10年の飛躍、2.60年の年輪、3.部門史、4.資料。
日本鋼管(株) 鉄鋼業 『日本鋼管株式会社七十年史』(1982.06) 70年史は1/3が通史、2/3が部門史。通史は創業60年のあゆみと最近10年のあゆみからなる。部門史は経営と管理、鉄鋼事業、重工事業、合金鉄および肥料事業の構成で、巻末に資料編。簡潔を旨とし内容の重複記述を省いたので、60年史より200ページほど減っている。
日本鋼管(株) 鉄鋼業 『ガイア・オデッセイ : Gaia odyssey : NKK創立80周年記念誌』(1992.12) 80年の歴史をたどりつつ、最近10年の活動を中心にテーマごとの切り口で描く。1988年社名の呼称をNKKに変更。“ものづくり”と環境保全の取り組みを前面に出し、写真を多用、レイアウトも斬新でハンディな装丁。[2003年川崎製鉄(株)と合併し、JFEスチール(株)設立]
(株)日本製鋼所 鉄鋼業 『日本製鋼所社史資料. 上巻』(1968.07) 1889年(明22)設立の北海道炭礦鉄道は、鉄道部門国有化のため1906年(明39)北海道炭礦汽船と改称。国有化補償金の一部で製鉄事業を起こし、英国アームストロング社及びビッカース社と共同出資して1907年(明40)日本製鋼所を設立。室蘭に工場建設して製鉄・兵器製造事業に進出。広島・横浜・東京でも操業し、第一次、第二次大戦下業容を拡大。戦後は民需転換し1950年(昭25)第二会社の日本製鋼所が事業を継承。機械・鋼材・金属製品・防衛機器等の製造販売事業を展開する。創立60年を機に収集した資料をもとにまとめた「社史資料」上下2巻は、10章にわたり創業から50年の歩みを記述。工場や製品等の写真を上巻巻頭に置き、図表などの関連資料は全て本文中に掲載している。
(株)日本製鋼所 鉄鋼業 『日本製鋼所社史資料. 下巻』(1968.07) 『日本製鋼所社史資料. 上巻』(社史ID:04900)の下巻
(株)日本製鋼所 鉄鋼業 『日本製鋼所社史資料. 続巻』(1978.11)
(株)日本製鋼所 鉄鋼業 『日本製鋼所百年史 : 鋼と機械とともに』(2008.03)
日本製鉄(株) 鉄鋼業 『日本製鉄株式会社史 : 1934-1950』(1959.04) 我が国鉄鋼業の強化を望む官民の宿願が実を結び、1934年日本製鉄株式会社法に基づき、官営八幡製鉄所、輪西製鉄、釜石鉱山、富士製鋼、三菱製鉄、九州製鋼の合同体として発足。渋沢栄一が設立に関わった東洋製鉄(株)も同年合同する。戦時体制の中で操業を続けるが、戦後は過度経済力集中排除法の適用を受け、1950年に解体し八幡製鉄・富士製鉄・日鉄汽船・播磨耐火煉瓦の4つに分割される。社史は第1部で設立の経緯を述べ、第2部は16年間の総合史、第3部は詳細な部門史、第4部で解体の経緯を記述している。
日本鋳造(株) 鉄鋼業 『日本鋳造50年史』(1970.09)
日本冶金工業(株) 鉄鋼業 『日本冶金工業六十年史』(1985.11)
富士製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 富士製鉄株式会社史』(1981.03) 1950年過度経済力集中排除法の適用により日本製鉄(株)が解体され、八幡製鉄(株)・日鉄汽船(株)・播磨耐火煉瓦(株)とともに富士製鉄(株)が発足。以降日本経済の発展に沿って成長し、輪西(室蘭)・釜石・広畑・川崎の各製鉄所に加え東海・大分にも製鉄所を建設。1970年八幡製鉄(株)と合併、新日本製鉄(株)となる。社史は20年間の歩みを総合史と部門史に分けて記述。同時に刊行された「八幡製鉄株式会社史」「新日本製鉄株式会社十年史」は「炎とともに」の共通タイトルを持つ。
富士製鉄(株)室蘭製鉄所 鉄鋼業 『室蘭製鉄所50年史』(1958.07) 渋沢栄一らによって設立された北海道炭礦鉄道は1906年国有化され、鉄道以外の事業部門は北海道炭礦汽船(株)と社名変更、買収金を元に製鉄業に進出。北海道の豊富な砂鉄を精錬する溶鉱炉を室蘭に建設し1909年操業開始。1917年輪西製鉄場を分離し、三井との共同出資で北海道製鉄(株)発足、その後1931年~輪西製鉄(株)、1934年~日本製鉄(株)を経て1950年富士製鉄(株)設立、傘下の工場となる。50年史は前半が創業からの総合史、後半は部門史。写真や図版を多く取り入れた編集で、校閲土屋喬雄。
三菱製鋼(株) 鉄鋼業 『三菱製鋼四十年史』(1985.06)
八幡製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 八幡製鉄株式会社史』(1981.03) 1950年過度経済力集中排除法の適用により日本製鉄(株)が解体され、富士製鉄(株)・日鉄汽船(株)・播磨耐火煉瓦(株)とともに八幡製鉄(株)が発足。以降日本経済の発展に沿って成長し、光・堺・君津にも製鉄所を建設。1970年富士製鉄(株)と合併、新日本製鉄(株)となる。社史は20年間の歩みを総合史と部門史に分けて記述。同時に刊行された「富士製鉄株式会社史」「新日本製鉄株式会社十年史」は「炎とともに」の共通タイトルを持つ。
八幡製鉄(株)八幡製鉄所 鉄鋼業 『八幡製鉄所五十年誌』(1950.11) 明治初期に官民の鉄鋼業がいくつか起こったがいずれも不振であり、政府は新たな官営製鉄所の設置を図る。1896年製鉄所官制発布、福岡県遠賀郡八幡村に設置が決まり、和田維四郎が長官就任。外国人技師を雇い1901年に八幡製鉄所が作業開始、東洋一の操業を誇る。1934年法律に基づき民間の5社と合併、日本製鉄(株)となる。50年史は創業から1950年に日本製鉄が解体し民間の八幡製鉄(株)となるまでの歩みで、簡単な沿革の後に部門ごとの詳細を述べている。渋沢栄一の三男正雄が1940~1942年に所長を務めた。
山本鋼業(株) 鉄鋼業 『山本家創業八十周年小史』(1952.06)
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