収録社史一覧

会社名"は行" から始まる社史一覧 全120件中100件 1件〜100件目を表示

並び替え
表示切替
表示件数
会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
(株)博進社 パルプ・紙 『紙業界五十年 : 創業四十周年記念』(1937.07) 長岡出身の山本留次(やまもと・とめじ、1872-1852)は叔父大橋佐平(おおはし・さへい、1836-1901)の起こした博文館に創業時から勤務し支配人を務める。創立10年を機に大橋の勧めで独立し、1897年(明30)洋紙販売の博進堂を創業。1909年(明42)姉妹会社として文具製造販売の文運堂を設立。山本は翌年欧米紙業界を視察し、1911年(明44)博進堂を(株)博進社と改組、増資を行い事業を拡大する。創業40年を機にまとめた当該社史は、明治以降の日本の紙業界の歩みを19章にまとめ、博進社及び関係事業の沿革と山本留次の随想を付している。[1971年(昭46)大倉洋紙店と合併し、(株)大倉博進(現・新生紙パルプ商事(株))となる]
白鶴酒造(株) 食品 『白鶴二百三十年の歩み』(1977.10)
(株)博文館 サービス業 『博文館五十年史』(1937.06) 長岡出身の大橋佐平(おおはし・さへい、1836-1901)は教育・出版に携わった後上京し、1887年(明20)博文館を創業。雑誌『日本大家論集』を創刊して好評を博し、宗教・教育・実業関係の雑誌を次々発行。翌年息子の大橋新太郎(1863-1944)も上京し社業に参加、図書出版にも進出し頭角を現す。1890年(明23)取次販売の東京堂を創立。1895年(明28)雑誌『太陽』創刊、「懐中日記」の出版を開始。1897年(明30)専用印刷工場の博文館印刷所(現・共同印刷)と、洋紙店博進堂(現・新生紙パルプ商事)を創設。1902年(明35)大橋図書館(現・三康図書館)を開設。1918年(大7)博文館は株式会社に改組し発展する。50年史は役員の執筆で創業からの歩みを編年体で記述し、巻末に出版年表を付す。[1947年(昭22)廃業。継承する出版社として1949年(昭24)博友社、翌年博文館新社が創立している。東京堂は1964年(昭39)東京堂出版と東京堂書店に分離]
(株)博報堂 サービス業 『広告六十年』(1955.10)
(株)白洋舎 サービス業 『白洋舎五十年史』(1955.03) 五十嵐健治(いがらし・けんじ、1877-1972)は勤務していた三越呉服店から独立するにあたり、社会に必要とされながら人気のない洗濯業に取り組み、1906年(明39)東京日本橋に白洋舎を創業。出入り先の三越に得意客を紹介され、要望に応じて研究を重ね日本初のドライ・クリーニングを開始する。1920年(大9)会社組織に改組し全国に支店を広げる。戦時中の資材・人手不足の困難を乗り越え、戦後は進駐軍の洗濯を手始めに民需拡大によりめざましく発展する。50年史ではドライ・クリーニング研究開発当初の苦労から戦後の興隆期までの沿革を、多くの写真を交えながら記述。創業者が熱心なキリスト教信者であったため、社業とキリスト教との関わりについても触れている。
函館水電(株) 電力 『創立貳拾週年記念帖』(1926.09)
函館船渠(株) 造船 『函館船渠株式会社四十年史』(1937.06) 明治維新後北海道でも西洋型船の製造が奨励され、1878年(明11)より函館の平田文右衛門らは船渠及び製鉄所設立を計画。長年の運動の結果渋沢栄一ら東京・大阪の有力実業家の援助を得、政府補助金の下附も受けて1896年(明29)函館船渠が設立された。初期の経営危機を栄一らの尽力で乗り越え、第一次大戦期を経て発展する。40史では会社設立までの経緯を詳述し、巻末には船渠建設工事中から開業当時、また工場内部などの写真を多数掲載している。[1951年(昭26)函館ドック、1984年(昭59)函館どつくに社名変更、2001年(平13)名村造船所と業務提携、2007年(平19)名村造船所の連結子会社となる]
箱根温泉供給(株) サービス業 『箱根温泉供給社史』(1982.09) 渋沢栄一・益田孝(ますだ・たかし、1848-1938)らは1879年(明12)酪農のため仙石原に耕牧舎を設立。一方大涌谷の良質な温泉は1887年(明20)より宮内省が買収を進めていた。1928年(昭3)栄一らは耕牧舎の資産を引き継ぎ温泉付別荘分譲を行う仙石原地所を設立。次に温泉の集中管理のため、1930年(昭5)箱根温泉供給(株)を設立した。宮内省より広大な土地の提供を受け、箱根の土地開発と分譲地への温泉供給に多大な貢献を果たす。1941年(昭16)仙石原地所を合併。50年史は耕牧舎と仙石原地所の歩みを扱った前史、50年のあゆみ、現況、資料からなる。巻頭に会長を務めた渋沢秀雄(しぶさわ・ひでお、1892-1984)による絵と俳句を掲載。
(株)間組 建設 『間組百年史. 1889-1945』(1989.12) 土佐藩士族の家に生まれた間猛馬は、明治初期に上京し鉄道土木の技術を身につけ、1889年門司で間組を創業。鉄道建設請負業として事業を拡大、朝鮮・満州へも進出しダム工事も手がける。1920年本店を東京へ移し、1931年(株)間組となる。百年史上巻は1945年までの内容で、渋沢栄一に縁のある日英水電(株)についても触れている。下巻(1990年刊)は戦後1989年までの内容で、ゼネコンとして国内外へ発展した歩みを記述。索引と別冊の写真編(1945-1989)付。[1992年社名の呼称をハザマに変更]
(株)間組 建設 『間組百年史. 1945-1989』(1990.12) 『間組百年史. 1889-1945』(社史ID:00820)の続編
(株)間組 建設 『間組百年史. 1945-1989 写真編』(1989.12) 『間組百年史. 1945-1989』(社史ID:00830)の写真編
長谷川香料(株) 化学工業 『長谷川香料八十年史』(1985.05) 薬種貿易の松沢商店で香料を扱っていた長谷川藤太郎(1877-1947)は、1903年(明36)独立して日本橋に香料店の長谷川藤太郎商店を創業。石鹸や化粧品、バニラ入り食品等が広まるにつれ香料の需要も伸びる。1948年(昭23)株式会社に改組。経営近代化を図り、1961年(昭36)香料製造販売の長谷川香料(株)を設立し業務一切を引継ぐ。川崎に続き深谷にも工場建設し成長する。80年史は1・2章に「古代の香料」「文明開化と香料」を置き、3章から13章に創業からの歩みを年代順に記述。各頁欄外に該当年の年表を記載している。
八馬汽船(株) 海運 『100年の歩み』(1978.12) 西宮の米穀商八馬商店の八馬兼介(はちうま・けんすけ、1839-1918)は、1878年(明11)初めて帆船を購入し、海運業に従事。阪神・東京間に酒・塩・石炭などの運行を行い、日清・日露戦及び第一次大戦での需要をバネに大きく飛躍する。戦後不況の中1925年(大14)個人経営から改組し八馬汽船(株)を設立。第二次大戦後は日本郵船との提携を深め、合理化や国際化を進めて発展する。100年史は草創期、戦前戦中編、戦後編という区分けの沿革と、会社の福利厚生・関係会社事項、所有船腹異動表等の附表からなる。口絵に社旗やファンネルマークの由来を記載。
(株)八十二銀行 銀行 『八十二銀行史』(1968.05) 古来養蚕業が普及した長野県では明治期に生糸生産高が日本一に発展し、各地に製糸金融会社が興る。上田の名士らは1877年(明10)第十九国立銀行を設立、一方松代の士族らは1878年(明11)第六十三国立銀行を設立。1897年(明30)それぞれ私立の第十九銀行、六十三銀行となり、近隣銀行を合併しつつ製糸業発展と共に業績をのばす。両行は昭和恐慌克服のため1931年(昭6)合併し、八十二銀行を創立。行名は19+63=82から命名(既存の第八十二銀行後継の安田銀行は了解)。本社史は序編、本編、付編からなり、序編で明治初年から昭和恐慌までの、製糸業を中心とした長野県下の産業と金融機関の発展過程を記述。本編で八十二銀行創立後の業績推移と、県内産業が生糸から軍需産業、そして戦後の近代工業へ移行した過程を詳述し、合併諸銀行略史にも触れる。[渋沢栄一は第十九国立銀行の設立を指導]
(株)服部紙店 パルプ・紙 『社史』(1963.06) 伊勢商人の服部家初代仁平治は江戸へ出て1659年(万治2)煙草屋を開業。3代八左衛門(?-1774)が紙商を始め、明治以降は洋紙販売も開始。1887年(明20)設立の富士製紙の販売店となり業績を上げる。経営拡充のため1901年(明34)合資会社服部紙店を設立し、1918年(大7)には株式会社に改組。1933年(昭8)富士製紙が王子製紙と合併し、服部紙店は王子製紙の代理店となる。終戦後は紙業界の復興と共に業容を拡大する。開業300年を記念して出版した社史は12章からなり、1-4章は紙の伝播、江戸の問屋、伊勢商人について触れる。5-8章は服部紙店の創業と発展を紙業界の中に位置づけて記述。9-12章は支店や福利厚生、服部家等についてまとめている。初版(1959)に300年記念行事等の写真を追加した増補版。[1974年(昭49)服部紙商事(株)と改称、2006年(平18)国際紙パルプ商事(株)と合併]
(社)発明協会 経済団体 『発明協会70年史』(1974.12)
(社)発明協会 経済団体 『創造 : 私のひとこと』(1984.06)
早川運輸(株) 海運 『早川運輸創業百十年史』(1996.11) 横浜で創業、銅輸出の運送に従事するが、輸出不振と関東大震災で打撃を受ける。戦後は港湾運送事業、通関業、倉庫業、陸運事業を営む。1970年前後に渋沢倉庫を母体とする渋沢海運との合併の話が持ち上がったが、交渉不調で成立せず。1978年ころから海底ケーブルの荷役作業に進出、世界各地で活躍。
(株)播磨造船所 造船 『播磨50年史』(1960.11) 兵庫県相生の村長唐端清太郎を中心に相生の繁栄を図って出資者が募られ、1907年播磨船渠(株)が設立。第一次大戦後1916年に鈴木商店が買収、1932年帝国汽船(株)に合併、更に1921年には(株)神戸製鋼所に合併される。1929年に同社から独立し、(株)播磨造船所設立。戦後編集された40年史の原稿を元に1958年「50年略史」が刊行され、1960年11月にこの「50年史」を刊行。[同年12月石川島重工業と合併し、石川島播磨重工業(株)となる]
播磨耐火煉瓦(株) 窯業 『三十年史』(1980.04) 1934年(昭9)国策で発足した日本製鉄(株)の製鉄所増設に伴う耐火煉瓦需要に応じるため、黒崎窯業(株)は兵庫県播州地区と北海道室蘭に工場を建設。日本製鉄は炉材確保のため黒崎窯業と提携し両工場を独立させ、1938年(昭13)日本炉材製造(株)を設立。同社は1942年(昭17)日本製鉄の傘下に入り日鉄炉材製造(株)となり、1944年(昭19)日本製鉄に吸収合併。戦後の再建整備計画で日本製鉄の炉材工場は分離して1950年(昭25)播磨耐火煉瓦(株)が発足。以降工場を広畑、東海、室蘭、大分に設置し発展する。30年史は創業前史を含む沿革史と、10章からなる部門史で構成されている。[1998年(平10)ハリマセラミック(株)と改称、2000年(平12)黒崎窯業(株)と合併し黒崎播磨(株)となる]
阪神電気鉄道(株) 鉄道・バス 『輸送奉仕の五十年』(1955.04) 1893年(明26)神戸近郊の有力者30名が阪神間に電気鉄道の敷設を出願。既設鉄道と並行する郊外電車の申請は政府の中で異論があり、会社設立の免許交付は1899年(明32)、停留場34ヶ所で神戸・大阪間の営業を開始したのは1905年(明38)であった。路線を延長し沿線開発を進め、1924年(大13)には甲子園球場を開設。1933年(昭8)神戸に地下鉄を開業、その後大阪駅前にも大地下駅を建設する。戦後いち早く復旧し路線の充実を目指す。50年史は関係資料の多くが戦災で失われたため略史として編纂され、100頁を越える写真版と多くの関係者の回顧録も掲載している。[2006年阪急ホールディングスとの事業統合により、阪急阪神ホールディングスの事業会社となる]
万有製薬(株) 医薬品 『万有製薬八十五年史』(2002.07) 1915年岩垂亨により万有合資会社として創業。第1次大戦によりドイツからの輸入が途絶えたサルバルサンを、国内で合成するのに成功。1944年にペニシリン開発・製造に着手、戦後の製造のリーダーとなる。副腎皮質ホルモンを製造する米国メルク社と提携し、1984年にはその傘下にはいる。巻末にメルク社の小史も掲載。
(株)肥後銀行 銀行 『肥後銀行史』(1960.11) 細川家城下町熊本では1879年(明12)宇土郡の士族らが第百三十五国立銀行を創立。1896年(明29)普通銀行の九州商業銀行となり、1918年(大7)熊本銀行と改称。1925年(大14)飽田銀行・植木銀行と合同し、肥後協同銀行を新立した。1928年(昭3)肥後銀行と改称し、現在にいたる。本社史は前編「熊本県における銀行業の生成と発展」、本編「肥後銀行三十五年史」、附録からなる。前編に前身銀行の略史も記述、本編は章ごとに沿革と一般および熊本県内経済情勢を記載し、熊本県経済史としても充実している。[渋沢栄一は九州商業銀行発起人の一人]
(株)肥後銀行 銀行 『肥後銀行七十年史』(1996.05)
日立化成工業(株) 化学工業 『日立化成工業社史』(1982.12)
(株)日立製作所 電気機器 『日立要覧』(1930.08)
(株)日立製作所 電気機器 『日立製作所史』(1949.06) 明治以降日本の電気事業は外国からの輸入品によって進展していた。東京帝大電気工学科を卒業した小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)は東京電灯等に勤務の後、1906年(明39)久原鉱業所日立鉱山に入社、1908年(明41)から機械修理を始める。持論の国産電気機械製造を目指し1910年(明43)茨城県日立村に新工場を建設、日立製作所と称した。1920年(大9)独立して(株)日立製作所となる。発電機、変圧器を始め一般機械や鉄道関係製品の製造にも業容を拡大する。当該社史は1908年からの30年の歴史を、小平浪平と同窓の渋沢元治(しぶさわ・もとじ、1876-1975。渋沢栄一の甥、名古屋大学総長)が編纂したもの。巻末に英文略史を掲載。[1960年(昭35)に改版を『日立製作所史. 1』として刊行している]
(株)日立製作所 電気機器 『日立製作所史. 1』(1960.10) 日立製作所の1908年(明41)の創設から1938年(昭13)までの足跡を記した『日立製作所史』(1949)の改訂版。創業50年記念事業の一環として、初版以降1939年(昭14)から1960年(昭和35)までの足跡を記した第2巻とセットで刊行された。初版は創業者小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)と同窓の渋沢元治(しぶさわ・もとじ、1876-1975。渋沢栄一の甥)が編纂したもので、巻末に英文略史を掲載。A5判縦組みであったが、改訂版はB5判横組み。初版に若干の追加訂正をしたことが巻頭に記されている。
(株)日立製作所 電気機器 『日立製作所史. 2』(1960.12) 日立製作所の1939年(昭14)3月から1960年(昭35)9月までの足跡を記した社史。第1編「日華事変期および太平洋戦争期」と、第2編「戦後の復興期および躍進期」からなる。本文の間に工場や製品の写真ページを挟む。巻末に英文略史を掲載。創業50年記念事業の一環として、創業から1938年(昭13)までの足跡を記した第1巻(1949年初版の改訂版)とセットで刊行された。なお第1巻では創業者小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)が電気機械の修理を始めた1908年(明41)を創業としていたが、第2巻では日立製作所と称した1910年(明43)を創業とすることに改められている。[海外向けの社史として、"50 years of Hitachi" (120p)と"50 años de Hitachi" (124p)が1960年に刊行されている]
(株)日立製作所 電気機器 『日立製作所史. 3』(1971.01) 日立製作所の創業60周年記念に刊行された社史。巻頭に「50年の歩み」として、既刊の第1・2巻の概要を掲載。その後の1960年(昭35)10月から1970年(昭45)9月までの10年間の歩みを、本文8章に詳述している。国際化と高度経済成長に伴う業容拡大の流れに沿い、海外進出や系列会社についても触れている。本文中に多くの写真ページを挟む。装丁は第1・2巻と同じだが、巻末に付されていた英文略史は第3巻には無い。["60 years of Hitachi 1910-1970"(118p)が1970年に刊行されている]
(株)日立製作所 電気機器 『日立製作所史. 4』(1985.10) 日立製作所の創業75周年記念に刊行された社史。第3巻(1971年刊)以降1970年(昭45)から1985年(昭60)までの15年間の足跡を記載している。本文は第3巻同様の8章からなる構成で、石油危機から産業構造変革期を経て安定成長時代へ入った時期の業容を詳述。エネルギー部門の進展や高度情報化社会の到来によるエレクトロニクス部門の発展、研究開発部門の充実、新製品の拡大等に触れている。1-3巻と同様の装丁で、写真ページを本文中に挟む。年表は創業期1908年(明41)からの内容。
(株)日立製作所 電気機器 『日立製作所史. 5』(2010.12) 日立製作所の創業100周年記念に刊行された社史。第4巻(1985年刊)以降1985年(昭60)から2010年(平22)3月までの25年間の足跡を記載している。本文は第4巻同様の8章からなる構成で、東西冷戦終結とバブル崩壊期を経てグローバルな環境変化に対応した社業の歩みを記載。巻頭「日立製作所史に見る100年」には、既刊5巻の社史の目次を年代順に並べ、創業者小平浪平(おだいら・なみへい、1874-1951)および第1巻編纂者である渋沢元治(しぶさわ・もとじ、1876-1975)の序文を第1・2巻から再掲している。装丁は1-4巻と同様だが、4巻までは裏表紙にあった日立マークが表紙に移動している。
日立造船(株) 造船 『日立造船株式会社七十五年史』(1956.04) 神戸のキルビー商会小野浜鉄工所で木造汽船の建造に携わった英国人E.H.ハンター(Edward Hazlett Hunter, 1843-1917)は、1881年(明14)大阪鉄工所を創業。船舶の建造・修理とともに特殊船や鋳鉄管事業等にも力を注ぎ、その特技と権威とを誇った。1914年(大3)株式会社に改組、1934年(昭9)日本産業(株)へ合併し(株)日本産業大阪鉄工所となる。1936年(昭11)全株式を日立製作所が取得し、1943年(昭18)日立造船に改称。戦後は施設の近代化と合理化を進め、創業以来の活況を呈する。大阪鉄工所創業からの75年史は4篇からなり、第1-3篇は未定稿の60年史を中心に編集、第4篇は戦後の記録をまとめている。製品写真や工場図面など多くの図表を掲載。[2002年(平14)造船事業を日本鋼管(現JFEエンジニアリング)との共同出資会社ユニバーサル造船に営業譲渡]
日立造船(株) 造船 『八十周年を迎えて』(1961.04)
日立造船(株) 造船 『堺工場竣工・創業85周年』(1966.04)
日立造船(株) 造船 『日立造船90周年を迎えて : インテグレーター』(1971.04)
日立造船(株) 造船 『日立造船百年史』(1985.03)
広島ガス(株) ガス 『広島ガス80年史』(1990.06) 横浜に日本初のガス灯が点火してから34年後の1906年(明39)、広島でガス事業の計画が起る。しかし日露戦争後の不況で地元での資金調達は断念、計画は大阪の財界へ持ち込まれた。1909年(明42)大阪銀行集会所において、大阪財界発起人による創立総会が開かれ、広島瓦斯が発足。ガス需要増大に伴い設備を拡充する。第二次大戦で壊滅的被害を受けるが1946年(昭21)には供給再開。1970年(昭45)広島ガスに社名変更。需要側ニーズの多様化に対応しLNG(液化天然ガス)導入を進める。80年史は研究者の執筆で、既刊の60年史(序章~7章)と70年史(8~9章)を要約した「広島ガス70年通史」と、直近10年の歩みを詳述した10~11章からなる。原爆被害にも写真入りで触れている。
広島電気(株) 電力 『広島電気沿革史』(1934.11) 広島では1889年(明22)地元有志により広島電灯が設立され、近隣会社を合併して業容を拡大。一方1897年(明30)設立の広島水力電気(初代会長渋沢栄一)は、1911年(明44)呉電気鉄道と合併し広島呉電力と改称。両社は同一地域での事業合理化のため1921年(大10)合併し、広島電気が創立。発電設備を増設し山陰地方及び岡山県と愛媛県島嶼部にも事業を拡大する。当該社史では第1章に前身2社の沿革、第2章以下で広島電気の沿革と現況を記述。合併各社の略史も記載し、巻頭に役員と事業所写真、巻末に重役小伝を掲載している。姉妹篇の『感想録』は3代社長守屋義之(もりや・よしゆき、1867-1938)による回想録。[1941年(昭16)配電統制令により解散し中国配電となる]
広島電気(株) 電力 『感想録 : 広島電気沿革史. 姉妹篇』(1934.11) 『広島電気沿革史』(社史ID:13980)の姉妹篇
風帆船会社 海運 『風帆船会社明治15年度報告計算書』([188-?])
風帆船会社 海運 『風帆船会社創立要旨並定款』([1880.11])
(株)福井銀行 銀行 『福井銀行六十年史』(1965.05) 日本有数の産米地帯である福井県では、明治初期の地租改正により地主が蓄積した資本を、近代産業へ投資する熱が高まる。進歩的地主らは市橋保治郎(いちはし・やすじろう、1864-1954)を中心に1899年(明32)福井銀行を創立、殖産興業の国策に応じ羽二重機業の育成に努めた。繊維業の変遷に応じた金融措置、関連産業の助成、農業の体質改善に伴う農村金融などにも応じる。県内多数の銀行を合併し1945年(昭20)には一県一行を実現する。60年史は時代ごとの事業史と現況からなる。
福井精練加工(株) 繊維 『福井精練70年史 : 1889-1959』(1961.01) 明治期に福井の羽二重は需要が伸びたが、精練染色加工は京都で行われていた。京都の黒川栄次郎(1866-1948)らは1889年(明22)福井に京越組を創立し精練加工を開始。続いて多くの精練業者が乱立し競争する中、京越組を継承した黒川練工場は2度の合同を経て1923年(大12)福井精練加工(株)が創立。輸出用絹織物の生産を伸ばし人絹加工にも進出。戦時中は落下傘等軍需用品を生産。戦後は衣料の需要増と輸出再開で復興する。京越組創立からの70年史は沿革、現況、回想、資料という構成で、戦災を免れた多くの史料や図版を本文中に取り入れた編集。[1973年(昭48)セーレン(株)と改称][羽二重=上質の白い絹織物][精練=繊維中の夾雑物を除き、繊維の特性を発揮させて、漂白・染色をするための準備工程]
福助(株) その他製造業 『フクスケ100年のあゆみ』(1984.05)
福助足袋(株) その他製造業 『福助足袋の六十年 : 近世足袋文化史』(1942.10)
(株)福武書店 サービス業 『福武書店30年史 : 1955~1985』(1987.04)
富国生命保険(相) 保険 『富国生命五十五年史』(1981.11) 日本では明治初期に徴兵制度が導入され、日清戦争で外国と戦火を交えると、兵士と家族救済のための徴兵保険が考案される。徴兵保険(株)勤務の吉田義輝(1874-1943)は相互組織の会社設立を目指し、郷里の先輩根津嘉一郎(ねづ・かいちろう、1860-1940)の賛同を得て1923年(大12)富国徴兵保険(相)を設立。業績を拡大し1937年(昭12)業界1位の保険契約高を獲得。1945年(昭20)終戦で徴兵制度が廃止されて徴兵保険の存在意義が無くなり富国生命保険(相)と改称、生命保険会社に生まれ変わる。55年史は第1部徴兵保険時代と第2部生命保険時代からなり、末尾に新本店ビルの詳細を掲載。保険料や配当率の変遷等の詳細資料付。創業50年記念の略史『フコク生命50年の歩み』(1973)あり。
(資)冨山房 サービス業 『冨山房』(1932.10) 土佐出身の坂本嘉治馬(さかもと・かじま、1866-1938)は18歳で上京後、同郷の小野梓(おの・あずさ、1852-1886)主宰の出版社東洋館で実務に携わる。小野没後その志を継ぎ、1886年(明19)冨山房を設立。人文社会科学分野の教科書や辞典類を次々出版し、『大日本地名辞書』『大言海』『大日本国語辞典』等図書雑誌3000点余を世に出す。社屋新築記念に出版した社史は、設計図や写真入りの本店新築工事概要、各界名士53人からの祝辞、冨山房47年史、社員一覧、冨山房出版年史からなる。渋沢栄一は同社の雑誌『新日本』に顧問として関わる。[1993年(平5)冨山房4代目坂本嘉広は(株)冨山房インターナショナルを新たに創立し、新刊出版とともに明治大正期の冨山房出版物を復刻再版している]
(資)冨山房 サービス業 『冨山房五十年』(1936.10)
富士瓦斯紡績(株) 繊維 『富士紡生るゝ頃』(1933.03)
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行七十年誌』(1952.03) 安田善次郎は事実上銀行であった安田商店を改組し、1880年東京日本橋に合本安田銀行を設立。1893年合資会社、1900年合名会社、1912年株式会社へ改組。1923年に11行が合同し新たに安田銀行が発足。渋沢栄一が相談役を務めた帝国商業銀行は1927年第三銀行となり、1944年安田銀行が買収。戦後安田保善社の解体に付随して1948年(株)富士銀行と改称。70年史は1935年に刊行された『安田銀行六十年史』以降の10年の歩みを、戦時篇、戦後篇、現況に分けて記述、巻末に「六十年略誌」も載せている。
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行八十年史』(1960.11) 1880年安田銀行の発足からの80年史。前半は安田商店誕生からの「八十年通史」で、組織の変遷ごとの章立てで富士銀行の発足経緯も詳述。後半は1948年改称した「富士銀行史」で、戦後の経済状況の中での銀行経営の歩みを述べる。
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行の百年』(1980.11) 1880年安田銀行の発足からの100年史。第1~3編は創業者安田善次郎と銀行業の創設からの歩みを述べ、第4~7編では戦後1948年改称した富士銀行の成長と発展を詳述している。[2002年第一勧業銀行、日本興業銀行と合併統合し、(株)みずほ銀行及び(株)みずほコーポレート銀行となる]
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行百年史』(1982.03)
(株)富士銀行 銀行 『富士銀行百年史. 別巻』(1982.03) 『富士銀行百年史』(社史ID:09700)の別巻
藤倉電線(株) 非鉄金属・金属製品 『フジクラ100年の歩み : 1885-1985』(1987.12)
藤沢薬品工業(株) 医薬品 『藤沢薬品七十年史』(1966.12) 三重出身の初代藤沢友吉(ふじさわ・ともきち、1866-1932)は大阪道修町の薬種問屋に奉公し、1894年(明27)独立して売薬業の藤沢商店を開業。樟脳事業の有望性に目をつけ家庭用防虫剤として開発生産し、販売高を伸ばす。新薬開発も進めて業容を拡大し1930年(昭5)(株)藤沢友吉商店に改組。戦時下医薬品生産の拡充に伴い1943年(昭18)藤沢薬品工業(株)と改称。戦後は組織改革や研究開発、海外企業との連携を進め発展する。70年史は沿革を記した主篇、定款など資料をまとめた副篇、創業者の伝記である特集篇からなる。[2005年(平17)山之内製薬と合併し、アステラス製薬(株)となる]
藤沢薬品工業(株) 医薬品 『藤沢薬品八十年史』(1976.03)
富士写真フイルム(株) 化学工業 『創業25年の歩み』(1960.01) 1919年(大8)発足の大日本セルロイドでは、セルロイドの新しい需要先として写真フィルム・映画用フィルムの将来性に着目。その国産化を社会的責務であると考え、写真乳剤の研究のため写真用乾板の工業化を進めていた東洋乾板と提携。セルロイドとは製造販売共に異なる知識を要するので別会社を計画、政府の助成金も受け1934年(昭9)富士写真フイルムが誕生する。東洋乾板を統合し、写真フィルムをフィルムベースから一貫製造するとともに、乾板・印画紙の製造も行なう。戦後は不燃性ベースへ転換し、総合写真工業会社として発展する。25年史は現況・沿革・資料の3編からなり、沿革編では準備時代から創立25周年までを7時代に分け、設備拡張・技術革新・販売活動・労務事業等を記載。各頁掲載の写真はすべて自社のフィルム・印画紙・写真薬品による。[2006年(平18)富士フイルムホールディングスの事業会社の一つである富士フイルムとなる]
富士写真フイルム(株) 化学工業 『富士フイルム50年のあゆみ』(1984.10)
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『富士重工業三十年史』(1984.07)
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『六連星はかがやく : 富士重工業50年史 : 1953-2003 : Six stars shining briliantly』(2004.07) 前史として1917年設立の中島飛行機が数々の名機を生み、戦争で爆撃の対象とされ、戦後の財閥解体で12社に分割するまでを描く。戦後その中の主要5社が1953年合併し富士重工業(株)設立(社史タイトルには6社を象徴して六連星(ムツラボシ)を使用)、飛行機・自動車・二輪車・鉄道車両などの総合輸送機器メーカーとしてスタートする。1957年に完成したスバル360は最初の「国民車」と評価され、ロングセラーとなる。輸出産業として成長するが、1990年代から販売不振となり、1999年にGMと包括提携。別冊資料編あり。
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『富士重工業50年史 : 資料集 : 1953-2003』(2004.07) 『六連星はかがやく : 富士重工業50年史 : 1953-2003 : Six stars shining briliantly』(社史ID:06760)の資料編
富士製鉄(株) 鉄鋼業 『炎とともに : 富士製鉄株式会社史』(1981.03) 1950年過度経済力集中排除法の適用により日本製鉄(株)が解体され、八幡製鉄(株)・日鉄汽船(株)・播磨耐火煉瓦(株)とともに富士製鉄(株)が発足。以降日本経済の発展に沿って成長し、輪西(室蘭)・釜石・広畑・川崎の各製鉄所に加え東海・大分にも製鉄所を建設。1970年八幡製鉄(株)と合併、新日本製鉄(株)となる。社史は20年間の歩みを総合史と部門史に分けて記述。同時に刊行された「八幡製鉄株式会社史」「新日本製鉄株式会社十年史」は「炎とともに」の共通タイトルを持つ。
富士製鉄(株)室蘭製鉄所 鉄鋼業 『室蘭製鉄所50年史』(1958.07) 渋沢栄一らによって設立された北海道炭礦鉄道は1906年国有化され、鉄道以外の事業部門は北海道炭礦汽船(株)と社名変更、買収金を元に製鉄業に進出。北海道の豊富な砂鉄を精錬する溶鉱炉を室蘭に建設し1909年操業開始。1917年輪西製鉄場を分離し、三井との共同出資で北海道製鉄(株)発足、その後1931年~輪西製鉄(株)、1934年~日本製鉄(株)を経て1950年富士製鉄(株)設立、傘下の工場となる。50年史は前半が創業からの総合史、後半は部門史。写真や図版を多く取り入れた編集で、校閲土屋喬雄。
富士ゼロックス(株) 機械 『富士ゼロックスの歴史 : <1962~1992> : The Document Company』(1994.10)
(株)藤田組 建設 『藤田組の五十年』(1960.04)
富士通(株) 電気機器 『社史. 2. 昭和36年~50年』(1976.12)
富士通(株) 電気機器 『社史. 3. 昭和50年~60年』(1986.05)
富士電機製造(株) 電気機器 『富士電機社史 : 1923-1956』(1957.12)
富士電機製造(株) 電気機器 『富士電機社史. 2 (1957-1973)』(1974.07)
富士電機製造(株) 電気機器 『富士電機二十二年の記録 : 主要経営問題を中心として』(1986.06)
富士紡績(株) 繊維 『富士紡績株式会社五十年史』(1947.12) 明治以降富士山系の水力を利用した産業創設の機運が起る。1890年(明23)開業の富士製紙の成功をみた事業家らは紡績会社起業を図り、日清戦争後資本家の出資を得て1896年(明29)富士紡績を創立。1906年(明39)東京瓦斯紡績を合併し、富士瓦斯紡績と改称。1945年(昭20)12月再び富士紡績と改称する。50年史は創立から現況までを9章に分け記述、会社再建に尽くした和田豊治(わだ・とよじ、1861-1924)についても詳述している。当初1945年刊行予定で印刷されたが戦災で全焼、初稿刷全文を再印刷して2年後に刊行したもので、1944年上期までの内容。[2005年(平17)持株会社へ移行し富士紡ホールディングス(株)と改称][渋沢栄一は協調会理事として富士瓦斯紡績労働争議に与る]
(株)武州銀行 銀行 『武州銀行史』(1988.04) 埼玉県では明治以降小規模な銀行が数多く設立される。地元有力者は県の中央銀行を株式組織により設立することを図り、尾高惇忠次男の尾高次郎東洋生命保険社長を創立委員長に選出、1918年(株)浦和町に武州銀行設立。渋沢栄一が関わった黒須銀行・熊谷銀行を含む県内6行を、大正の不況期に吸収合併。1943年に政府の一県一行主義の方針により、第八十五銀行、忍商業銀行、飯能銀行と合併し(株)埼玉銀行となる。武州銀行設立には渋沢栄一は尽力したものの表には出なかった、という関係者の談話も掲載。
婦女新聞社 サービス業 『婦人界三十五年』(1935.05) 福島四郎(1874-1945)は1900年(明治33)『婦女新聞』を創刊。創刊から35年を祝して刊行された本書は、福島が『婦女新聞』誌上に掲載した記事から約1/3を選び、9編に分類して掲載したもの。第1-4編は婦人論、婦人運動、女子教育、家庭等、女性の関わる問題に焦点を置いた記事。第5編は明治からの時代ごとの時事問題で、第6編は津田梅子(1864-1929)ら傑出した女性達および渋沢栄一(1840-1931)を含む関連人物のエピソード集。第7編は江戸時代の歌人井上通女(1660-1738)らの小伝集で、第8編は随筆などの著作。第9編「婦人界女教界小史」は、創刊以来35年間の婦人界女子教育界の主な事件を年月順に列記したもの。以上本書は福島個人の著作にとどまらず、日本の婦人問題変遷の資料となっている。なお渋沢栄一は婦女新聞後援会の相談役を務めた。また栄一長女の穂積歌子(1863-1932)は『婦女新聞』の熱心な読者であった縁で、本書序文は歌子長男の穂積重遠(1883-1951)が執筆している。[『婦女新聞』は1942年3月22日の2185号を以て廃刊]
ブリヂストンタイヤ(株) ゴム 『ブリヂストンタイヤ五十年史』(1982.03)
ブリヂストンタイヤ(株) ゴム 『ブリヂストンタイヤ五十年史 : 資料』(1982.03) 『ブリヂストンタイヤ五十年史』(社史ID:04093)の資料編
古河鉱業(株) 鉱業 『創業100年史』(1976.03) 小野組の生糸貿易で活躍した古河市兵衛は、小野組破綻後1875年に新潟の草倉銅山の経営に乗り出し、足尾銅山も譲り受ける。誠実な人柄で第一銀行総監渋沢栄一の信任厚く、援助を受ける。諸鉱山を譲り受け関連事業へも進出し、組織改革にも務め、1891年に「古河家仮家訓」を制定。市兵衛没後の1905年合名組織の古河鉱業会社設立、経営多角化し古河コンツェルン形成。第二次大戦後は事業基盤を金属・石炭から機械・化学他へ移す。百年史は経営史研究者の執筆で、古河電気工業はじめ多くの関連会社の略史も含む。
古河電気工業(株) 非鉄金属・金属製品 『創業100年史』(1991.09)
(株)文祥堂 小売業 『感謝を乗せて知的航海 : 文祥堂創業80周年記念社史』(1994.08)
(株)平凡社 サービス業 『平凡社六十年史』(1974.06) 兵庫県の立杭(たちくい)で陶業をしていた下中弥三郎が上京し1914年に創業。戦前の「大百科事典」は戦後「世界大百科事典」となり、雑誌「太陽」も創刊。社史本文は作家尾崎秀樹が執筆。巻末に「平凡社発行書目一覧」がついている。
(株)報知新聞社 サービス業 『報知七十年』(1941.06)
(株)報知新聞社 サービス業 『世紀を超えて : 報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』(1993.06)
宝田石油(株) 石油 『宝田二十五年史』(1920.05) 新潟県古志郡の東山油田は明治初期から開発が始まり、200もの事業者が競っていた。長岡石油会社を起こしていた山田又七は古志石油会社隣接地を入手し、1893年(明26)宝田石油(ほうでんせきゆ)を設立。1896年(明29)には古志石油を合併し古志宝田石油となるが、1899年(明32)には社名を宝田石油に戻す。1901年(明34)には小資本分立を排して合同の機運が起り、北越石油ほか24会社・組合を合併。その後も多くの会社を合併し規模を拡大する。25年史は沿革を創業期・合同期・整理期・成業期の区分で記述すると共に、各頁上部欄外に本邦石油の発見、採油法、製油の沿革、宝田鉱区の沿革と現況等を記載している。本文は総ルビ。[渋沢栄一は北越石油の発起人・相談役で、1901年の合同にも関わる][1921年(大10)日本石油に合併(現・JX日鉱日石エネルギー(株))]
豊年製油(株) 食品 『豊年製油株式会社二十年史』(1944.07) 大正期に大豆油は抽出法が発達し、菜種油を抜いて需要が増大する。1915年(大4)神戸の鈴木商店は満鉄中央試験場から大豆製油工場を譲受し、鈴木商店製油部大連工場として操業。清水・鳴尾・横浜にも工場建設し増産するが第一次大戦後の不況で事業縮小となる。製油部は独立し、満鉄時代からの商標を社名に1922年(大11)豊年製油が創立。豆粕等製品の開発と宣伝普及に努め社業が発展する。20年史は巻頭の役員・事業場写真、9章からなる沿革、巻末附録の図表と年譜で構成。沿革第1章で創業前の植物油工業界を俯瞰し、物故社員慰霊祭や現況の章も設けている。[1989年(平1)(株)ホーネンコーポレーションに社名変更(現(株)J-オイルミルズ)]
豊年製油(株) 食品 『豊年製油株式会社四十年史』(1963.12)
(株)北越銀行 銀行 『創業百年史』(1980.09) 戊辰戦争に敗戦した長岡藩の三島億二郎は士族救済に奔走し、1878年第六十九国立銀行を設立。一方渋沢栄一らが発起人となった北越鉄道(株)が認可された際、長岡にもう一つ銀行を新設する計画が具体化し、1896年長岡銀行創立。両行は1942年行政指導のもとで合併し長岡六十九銀行となり、1948年(株)北越銀行と改称。百年史には合併された多くの前身銀行の沿革と主要勘定を記載。前身銀行の一つ宮城屋貯蓄銀行は、経営破綻の際渋沢栄一の尽力で整理され東京栄銀行となり、後長岡銀行が吸収している。
(株)北越銀行 銀行 『北越銀行史 : 110年のあゆみ』(1988.06) 「百年史」以降の1979年から1988年までの10年間の推移をまとめたもの。沿革と資料編からなる。
(株)北越銀行 銀行 『北越銀行史 : 120年のあゆみ』(1998.06)
北越製紙(株) パルプ・紙 『北越製紙百年史』(2007.04) 明治以降油田開発で活況を呈した長岡には渋沢栄一らにより北越鉄道が敷かれ、近代産業創業の機運が高まる。紙商の田村文四郎(たむら・ぶんしろう、1854-1920)と書籍商の覚張治平(がくはり・じへい、1862-1927)は共に長岡商業会議所常議員として活躍、洋紙需要の増加を見て製紙会社設立に奔走する。地元と東京の有力者の協力を得て1907年(明40)北越製紙を創業、長岡に工場を建て電動抄紙機を導入し生産を開始。以降戦争による打撃や地震などの災害も克服し業績を拡大する。100年史は通史として時代ごとの歩みを記述した本編と資料編からなる。[2009年(平21)北越紀州製紙(株)と社名変更]
(株)北洋相互銀行 銀行 『北洋相互銀行50年史』(1970.06) 第一次大戦期の好況時に北海道経済中心の小樽で、中小商工業者の為の庶民金融機関として地元有力者により1917年(大6)北海道無尽が創立。翌年免許が下りるが函館の北海無尽と商号類似のため、小樽無尽と改称し営業開始。第二次大戦時下の金融統制で1944年(昭19)全道の無尽会社を合併し北洋無尽となる。戦後1951年(昭26)相互銀行法施行により、北洋相互銀行となった。50年史では創業前史として明治初年からの北海道における金融事業と無尽の沿革を記述。本史は小樽無尽・北洋無尽・北洋相互の時代区分で沿革を詳述。最後に合併各無尽会社の小史を記載している。付録に相互銀行法・無尽業法を掲載。[1989年(平1)普通銀行に転換、北洋銀行に商号変更。1998年(平10)北海道拓殖銀行より北海道地区の営業を譲受]
(株)北陸銀行 銀行 『創業百年史』(1978.03) 金沢の士族らが1877年(明10)設立の第十二国立銀行は、売薬業者と密接な関係があった富山の第百二十三国立銀行と1884年(明17)合併し、本店を富山に移す。また1889年(明22)設立の高岡銀行は米穀・肥料商や綿商、1894年(明27)設立の中越銀行は地主主体の企業家、1896年(明29)設立の富山橋北銀行(後富山銀行)は中小商業者をそれぞれ主な取引先としていた。4行はそれぞれ富山県内の多くの銀行を吸収しながら発展するが、1943年(昭18)戦時下の政策で合併し、北陸銀行が誕生。1200頁を越える100年史は本編、産業編、資料編からなり、本編は創立前史、前身銀行史、北陸銀行史の3部構成。産業編は海運、売薬ほか北陸の地場産業の盛衰を詳述。合併の1943年を起点とする10年史、20年史、30年史が刊行されており、1877年の創業からの100年史では合併後の部分は簡潔にまとめている。
(株)北陸銀行 銀行 『北陸銀行50年史』(1994.03)
北陸電力(株) 電力 『北陸電力30年史』(1982.03)
北陸電力(株) 電力 『北陸電力40年史』(1992.03)
北陸電力(株) 電力 『北陸地方電気事業百年史』(1998.03)
北陸配電(株) 電力 『北陸配電社史』(1956.05)
保険銀行時報社 保険 『本邦生命保険業史』(1933.09)
北海道瓦斯(株) ガス 『北海道瓦斯55年史』(1966.11) 日露戦争後の1909年に北海道の拓殖計画が立てられ、各都市で都市ガス経営の計画が相次ぐ。渋沢栄一ら東京瓦斯関係者は出願を一本化して設立を申請、1911年北海道瓦斯(株)創立、本店東京、支店札幌。事業地域は札幌市・小樽市・函館市。1963年に本社を札幌に移転。55年史は総合史を東京瓦斯出身者が執筆、資料・年表は社内で編纂。
表示件数
PAGE TOP