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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
開城電気(株) 電力 『開城電気株式会社沿革史』(2003.07)
花王(株) 化学工業 『花王史100年 : 1890-1990年』(1993.03)
花王(株) 化学工業 『花王史100年 : 1890-1990年. 年表/資料』(1993.03) 『花王史100年 : 1890-1990年』(社史ID:03100)の年表/資料
花王(株) 化学工業 『花王史年表 : 1990-2000年』(2000.11)
花王(株) 化学工業 『暮らしを拓く : 花王を築いた商品たち : 社内報「花王ファミリー」連載』(2002.03)
花王(株) 化学工業 『花王120年』(2012.05)
花王(株) 化学工業 『花王120年. 資料編』(2012.05) 『花王120年』(社史ID:03140)の資料編
花王石鹸(株) 化学工業 『花王石鹸五十年史』(1940.10) 岐阜出身の初代長瀬富郎(ながせ・とみろう、1863-1911)は1887年(明20)東京馬喰町に洋小間物の長瀬商店を開業、普及し始めた舶来石鹸を扱う。国産品優良石鹸の創製を決意し、石鹸職人や薬剤師らの協力を得て1890年(明23)「花王石鹸」を発売。1911年(明44)合資会社へ、1925年(大14)花王石鹸株式会社長瀬商会となる。油脂製品の多角製造をはかり1935年(昭10)吾嬬工場を独立させ大日本油脂を設立、化学工業分野へスタートを切る。石鹸発売から50年記念に編纂した社史は研究者の執筆で、欧米石鹸業発達史を序編とし、本編の日本石鹸業発達史の中に花王石鹸発達史を位置付けている。巻末索引付。[1946年(昭21)花王に改称、後に変遷を経て1985年(昭60)再び花王に改称]
花王石鹸(株) 化学工業 『花王石鹸七十年史』(1960.11)
花王石鹸(株) 化学工業 『花王石鹸八十年史』(1971.01)
花王石鹸(株) 化学工業 『日本清浄文化史』(1971.01)
花王石鹸(株) 化学工業 『四〇〇〇人の軌跡 : 花王石鹸90周年記念出版』(1980.10)
花王石鹸(株) 化学工業 『年表・花王90年のあゆみ』(1980.10)
花王石鹸(株) 化学工業 『花王広告史』(1989.04)
加賀製紙(株) パルプ・紙 『加賀製紙百年』(2016.03)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設 : 百三十五年の歩み』(1974.03)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設 : 百四十年の歩み』(1980.04)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設の歩み : 人が事業であった頃』(1989.09)
鹿島建設(株) 建設 『Kajima Corporation 150 years in pictures』(1989.09)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設社史 : 一九七〇年~二〇〇〇年』(2003.05)
鹿島建設(株) 建設 『鹿島建設社史 : 1970年~2000年. 付録・年表』(2003.05) 『鹿島建設社史 : 一九七〇年~二〇〇〇年』(社史ID:00380)の付録
鹿島建設(株) 建設 『鹿島の軌跡 : 歴史の中から見えてくるものがある』(2021.10) 1840(天保11)年、鹿島岩吉により創業。1880(明治13)年、鹿島岩蔵を初代組長として鹿島組が創立。江戸時代から続けていた建築業に加え鉄道工事を請け負うようになる。1909(明治42)年にはダム、発電所工事に進出。1930(昭和5)年、株式会社鹿島組設立。全国の建築・土木工事にかかわり、災害や戦災の復旧工事にも従事している。1947(昭和22)年、鹿島建設株式会社に改称。本社史は社内報『KAJIMA』に連載し、その後同社ホームページで公開しているコンテンツ『鹿島の軌跡 : 歴史の中から見えてくるものがある』をまとめて、加筆再編集したもの。本編は人、建築、鉄道などテーマ別の全6章構成。巻頭には「渋沢栄一と鹿島岩蔵」を掲載している。鹿島岩吉・岩蔵親子は、渋沢栄一が設立にかかわった抄紙会社の王子工場建設を請け負っている。岩蔵は工場の建設場所選定にもかかわり、のちに同社の監査役、取締役も務めた。栄一が朝鮮半島でかかわった京仁鉄道、京釜鉄道の工事では鹿島組が施工に加わっている。
柏井紙業(株) パルプ・紙 『清流永遠に : 柏井紙業株式会社・80年史』(1992.04) 明治以降貿易港として発展していた神戸は和紙の集積地でもあった。鈴木商店で商売を学んだ柏井慶治(1889?-1964)は紙の需要に着目し、1910年(明43)柏井紙店を開業。和紙販売を軌道に乗せ、1936年(昭11)には合名会社柏井商店を設立。戦争を経て1947年(昭22)設立の柏井紙業(株)に事業を移し、需要の変化に合わせ洋紙販売に転換。1971年(昭46)には東京支店を開設し、全国に営業拠点を広げる。王子製紙と上質紙の共同開発を進めるなど、洋紙専門商社として発展する。80年史は創業期からの歩みを時代順に13章にまとめ、14章は資料編。各章扉にその時期の年表を記載。[2007年(平19)国際紙パルプ商事(株)と合併]
片倉工業(株) 繊維 『片倉工業株式会社三十年誌』(1951.03) 長野で製糸業を営む初代片倉兼太郎(かたくら・かねたろう、1849-1917)は1895年(明28)片倉組を組織し、全国に事業網を展開。1920年(大9)片倉製糸紡績(株)に組織変更し、更に事業を拡大する。戦時中は製糸事業を日本蚕糸製造へ譲渡し航空機製造等へ事業転換、1943年(昭18)片倉工業と社名変更。戦後すぐに事業再転換し、製糸・蚕種・加工部門を再開する。30年史は『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941年刊)の形式を踏襲しその続編として編集、主に1941年(昭16)以降の10年を詳述している。発刊当時完成した自社製自動操糸機を記念して、自社で製織した布を装幀に使用。
片倉製糸紡績(株) 繊維 『片倉製糸紡績株式会社二十年誌』(1941.03) 信州諏訪の片倉市助は1873年(明6)座繰製糸を開始。1878(明11)年長男兼太郎(かねたろう、1849-1917)が天竜川畔に洋式機械製糸工場を開設、事業は軌道に乗り1895年(明28)片倉組を組織する。1920年(大9)片倉製糸紡績を設立し経営を刷新。1939年(昭14)には渋沢栄一に縁のある富岡製糸所を合併。紀元二千六百年を期に編纂された20年史は、4章までが設立までの沿革、5章から20章が現況、海外での蚕糸業経営、原料繭の購入、製糸技術の変遷、生糸の販売、関連会社の小史など。[1943年(昭18)片倉工業と社名変更]
片倉チッカリン(株) 化学工業 『八十年史』(2000.10) 大分の蚕種製造家古椎文夫と片倉合名会社大分製糸所長の片倉耕介(片倉合名社長2代片倉兼太郎の三男)は、1920年(大9)桑園用専用肥料製造販売会社の日支肥料を創業。しかし第一次大戦後恐慌の影響を受け、創業後わずか3年で会社は解散寸前となる。片倉合名会社の経営参加によって会社は存続し、1924年(大13)片倉米穀肥料と改称。養蚕業の発展に伴い事業を拡張するが、戦時下の統制で1943年(昭18)片倉化学工業と改称。戦後八洲産業、片倉肥料と改称の後、1957年(昭32)日本チッカリン肥料、昭和肥料工業との合併により商号を片倉チッカリンとする。80年史は既刊の40年史・60年史を踏まえ、1980年(昭55)以降の事業展開を詳述している。
神奈川電気(株) 電気機器 『神奈川電気社史 : 創立75周年』(1982.12)
神奈川トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『モビリティライフの創造 : 神奈川トヨタ50年の軌跡』(1998.02) 渋沢栄一の下で帝国劇場の創設に参画した上野芳太郎の息子上野建は、財界人との交流の中で日本GMの神谷正太郎と出会う。神谷は豊田喜一郎からトヨタ車の販売をまかされ、神奈川地区の販売を上野建に依頼、1939年神奈川トヨタ販売(株)設立。戦後販売会社が再編成され、1946年神奈川トヨタ販売(株)再設立、1948年神奈川トヨタ自動車(株)に社名変更。50年史は創業からの歩みを経営者の人物像を織り込みながら記述。
鐘淵化学工業(株) 化学工業 『化学を超えて : カネカ40年の技術水脈』(1990.10)
鐘淵紡績(株) 繊維 『鐘紡製糸四十年史』(1965.09) 1887年(明20)創業の鐘淵紡績(株)は綿糸だけでなく絹糸製造へ進出を企図。社長武藤山治(むとう・さんじ、1867-1934)は従来の家内工業的絹糸業から近代的な大規模絹糸工場経営を目指し、1921年(大10)群馬県の新町工場が操業を開始。その後次々と業容を拡大するが、戦後の経営合理化の一環で1958年(昭33)蚕糸部門を分離し鐘淵蚕糸(株)が設立。婦人靴下等新規事業に進出して発展する。新町工場操業からの絹糸事業の40年史は、前篇・総史と後篇・事業場史からなり千頁を超える大作。鐘紡の沿革から書き起こした総史は時代順に日本の蚕糸業の動向と会社の歩みを記述。事業場史は製糸工場、蚕種試験所、乾繭場等を扱い、附録に従業員111人の回顧録を掲載。[1965年(昭40)鐘紡繊維と改称。更に合併改称の後1998年(平10)カネボウ(株)に吸収合併。カネボウは繊維事業を2005年(平17)KBセーレン(株)に譲渡]
金子架設工業(株) 建設 『百年史』(1990.07)
鐘紡(株) 繊維 『鐘紡百年史』(1988.10) 東京の繰綿問屋5店は1886年東京綿商社の設立を決議。翌1887年認可され隅田川の鐘淵に紡績所を建設、1888年鐘淵紡績会社となる(渋沢栄一は顧問)。苦境期に三井の支援を受け、多くの紡績会社を吸収し、重化学工業へも進出。繊維以外の事業を行なっていた鐘淵実業と1944年合併し、鐘淵工業(株)発足。第二次大戦後は繊維事業中心に転換し、1946年鐘淵紡績(株)と社名復帰。化粧品・食品等の事業にも次々進出、1971年鐘紡(株)となる。百年史は武藤山治・津田信吾・武藤糸治ら歴代経営者の時代を軸に編集され、千頁を越す大作。
兼松(株) 商社 『兼松回顧六十年』(1950.05)
兼松(株) 商社 『兼松六十年の歩み』(1955.04)
兼松江商(株) 商社 『KG物語 : 1889-1969 兼松江商80周年記念』(1970.08) 大阪商船の設立に参加した兼松房次郎(かねまつ・ふさじろう、1845-1913)は豪州との直貿易を志し、1889年(明22)大阪に豪州貿易兼松房次郎商店設立。取扱商品は当初からの羊毛・牛皮に加え小麦・木材と広げ中国大陸にも進出、1943年(昭18)に兼松(株)となる。一方滋賀県生まれの綿花商北川商店の北川与平(きたがわ・よへい、1855-1929)は江州(近江)の有志と1905年(明38)大阪に江商(資)設立。1917年(大6)株式会社に改組し、繊維商社として発展する。両社は1967年(昭42)合併し兼松江商誕生。80年史は簡潔な沿革の後に全社員の写真と名簿入りの現況が綴られている。[1990年(平2)兼松に商号変更]
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(1993.07)
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 本文篇 下巻』(1998.11) 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(社史ID:14370)の下巻
(株)歌舞伎座 サービス業 『歌舞伎座百年史. 資料篇』(1995.04) 『歌舞伎座百年史. 本文篇 上巻』(社史ID:14370)の資料編
神岡鉱業(株) 鉱業 『第1期営業報告』(1950.11)
(株)亀井商店 小売業 『風調雨順 : 亀井商店の八十年』(1984.03)
かもめプロペラ(株) 非鉄金属・金属製品 『かもめプロペラ五十年史』(1973.05)
樺太工業(株) パルプ・紙 『真岡工場要覧』([1925]) 輸入に頼っていたパルプの国産化を目指し、大川平三郎(おおかわ・へいざぶろう、1860-1936)は原料木材と燃料石炭の豊富な樺太に1913年(大2)樺太工業(株)を創立。泊居(とまりおる)工場に続いて1924年(大13)恵須取(えすとる)工場も操業し、両工場合わせ年間8万トンのパルプを生産する。一方で上質洋紙生産を目指し1919年(大8)真岡工場を操業。模造紙、印刷用紙、半紙など年間4千万ポンド(約2万トン)を生産し国内やアジア各地で販売。行啓記念として刊行された真岡工場要覧は、小冊子ながら沿革と現況を写真・図表入りでわかりやすく記述している。[1933年(昭8)王子製紙(株)に合併(現・王子ホールディングス(株))]
樺太電気(株) 電力 『樺太電気株式会社十五年史 : 電気事業より見たる(旧)王子製紙株式会社樺太開拓史』(1976.12)
カルピス食品工業(株) 食品 『70年のあゆみ』(1989.07) 大阪の寺に生まれた三島海雲(みしま・かいうん、1878-1974)は仏教大学に学び、大志を抱いて1902年(明35)中国大陸に渡る。蒙古の地で緬羊事業に携わり、蒙古民族の活力源である酸乳に出会い、1915年(大4)帰国。翌年醍醐味(資)を設立し滋養料「醍醐味」を生産、販売。その事業を継承して1917年(大6)ラクトーを創立、1919年(大8)に酸乳をベースにした日本初めての乳酸菌飲料「カルピス」を発売。「カル」はカルシウム、「ピス」は味覚を表すサンスクリット語から三島が命名。1923年(大12)カルピス製造に商号変更、1948年(昭23)、第2会社としてカルピス食品工業を設立。53年間にわたって経営の第一線にあった三島海雲は、1970年(昭45)93歳で取締役社長を勇退。70年史は全8章のうち6章が三島海雲に関わる記述で、学術振興に私財を投じた三島海雲記念財団についても触れている。[1997年(平9)カルピス(株)に商号変更。2007年(平19)味の素(株)の完全子会社になる]
川崎汽船(株) 海運 『川崎汽船五十年史』(1969.08) 1886年(明19)発足の川崎造船所では船舶部を設置し海運を行っていた。社長の松方幸次郎(まつかた・こうじろう、1865-1950)は1916年(大5)からの欧米滞在中に米英の海運事情の底力を知り、わが国の発展のためには国内に新造船を温存し、日本郵船・大阪商船に伍して活躍し得る程度の大規模な海運会社を新設して船舶を運航する事業を興さねばならぬ、と決断。1919年(大8)に川崎造船所の船舶部門を分離独立し、川崎汽船を設立。世界各地へ航路を広げ発展する。50年史は沿革・航路・船舶・組織および制度・業績・収支・関係会社・資料および年表からなる。
川崎汽船(株) 海運 『Kライン物語 : 川崎汽船75年史』(1994.04)
川崎重工業(株) 造船 『川崎重工業株式会社社史. 年表・諸表』(1959.10) 『川崎重工業株式会社社史. 本史』(社史ID:06240)の年表・諸表
川崎重工業(株) 造船 『川崎重工業株式会社社史. 本史』(1959.12)
川崎重工業(株) 造船 『九十年の歩み : 川崎重工業小史』(1986.10) 1896年(株)川崎造船所として創立以来、1986年までの内容。従業員向けのハンディな略史として刊行。
川崎重工業(株) 造船 『創立百周年の企業像を求めて : 川崎重工業小史』(1996.10) 1896年(株)川崎造船所と改組以来、1996年までの内容で、1986年以降10年の記述が主体。従業員向けの略史として刊行。
川崎重工業(株) 造船 『川崎重工業株式会社百年史 : 夢を形に : 1896-1996』(1997.06) 1837年薩摩藩生まれの川崎正蔵は貿易海運業を営みながら造船業開業へ情熱を燃やす。1878年東京・築地に川崎築地造船所を開業、1880年に神戸にも開設。のち松方幸次郎を招き、1896年(株)川崎造船所が誕生。1919年川崎汽船、1928年川崎車両、1937年川崎航空機工業を設立。1939年川崎重工業(株)に社名変更。1950年川崎製鉄設立。戦後の高度成長の波に乗り、1969年川崎車両と川崎航空機工業を合併し陸・海・空にわたる新しい事業分野を開拓。渋沢栄一の関わった汽車製造(株)を1972年(昭47)合併。社史の後半は詳細な部門史と合併各社の略史。別冊資料編あり。
川崎重工業(株) 造船 『川崎重工業株式会社百年史 : 1896-1996. 資料・年表』(1997.06) 『川崎重工業株式会社百年史 : 夢を形に : 1896-1996』(社史ID:06270)の資料編
川崎重工業(株)航空機事業本部 その他輸送機器 『川崎重工岐阜工場50年の歩み』(1987.11) 1922年設置された(株)川崎造船所飛行機部各務原分工場が1937年各務原工場に昇格、同年神戸にあった飛行機機体工場が各務原工場に移転し、航空機の生産工場として本格的に稼動を始めた。以来1987年3月までの50年の内容。前史として1936年までの歩みを記述。本史は沿革、経営管理、技術・生産、製品、資料・年表という構成。
川崎製鉄(株) 鉄鋼業 『川崎製鉄二十五年史』(1976.04) 1878年(明11)創業の川崎造船所は造船用鋳鋼品の自給等のため、1906年(明39)神戸に工場を開設し製鉄部門へ進出。1929年(昭4)川崎重工業に社名変更。第二次大戦後企業再建整備法による再建計画が立案され、製鉄所担当役員の西山弥太郎(にしやま・やたろう、1893-1966)は、将来の発展のために製鉄部門と造船部門の分離を主張。1950年(昭25)製鉄部門を第2会社として分離し、西山を社長に川崎製鉄が誕生する。25年史は川崎造船所の創業からの沿革、生産と技術、管理と販売の3編からなり、資料・年表・索引付き。[渋沢栄一発起の日本鋼管と合併し、2003年(平15)JFEスチールとなる。]
川崎製鉄(株) 鉄鋼業 『川崎製鉄五十年史』(2000.12)
(株)川崎造船所 造船 『川崎造船所四十年史』(2003.10) 薩摩出身の商人川崎正蔵(かわさき・しょうぞう、1837-1912)は近代造船所創設を志し、1878年(明11)東京築地に、1880年(明13)神戸に造船所を設立した。1886年(明19)政府より兵庫造船所を借受、翌年払下を受け、築地・神戸両造船所を合併し川崎造船所と改称。日清戦争により大拡張を迫られ、1896年(明29)個人経営から株式組織に変更。鉄道車両・自動車・航空機・製鋼・海運業の各分野に進出し発展する。40年史は時局がら簡潔な記述であるが、各工場も含む沿革と設備・主要製品・特許等幅広い内容。1936年(昭11)に刊行されたものの複製。[1939年(昭14)川崎重工業と社名変更。渋沢栄一の関わった汽車製造(株)を1972年(昭47)合併。2002年(平14)に船舶部門が分離し、(株)川崎造船となる]
川鉄商事(株) 鉄鋼業 『川鉄商事25年の歩み』(1980.06) 朝鮮戦争後の反動不況を乗り越え経営基盤の充実と競争力強化をめざし、川崎製鉄初代社長西山弥太郎(1893-1966)は川崎製鉄直系問屋8社の合併統合を説得。摩耶興業、青山特殊鋼、新庄鋼材の3社が応じ川崎製鉄の商社として1954年(昭29)川鉄商事が設立された。川崎製鉄と一体となって製品の販路拡大に努め、1958年(昭33)川崎製鉄千葉製鉄所のストリップ・ミル稼動を機に大量生産された鋼材の販売に力を入れる。同じく直系問屋の小倉商事と1961年(昭36)、川一岐商と1969年(昭44)合併し、販売力強化と経営効率化を図る。25年史は設立からの沿革と部門史、現況、資料、年表からなり、工場や取扱商品等の写真を多く掲載。[2004年(平16)会社分割と合併によりJFE商事(株)となる]
関西電力(株) 電力 『関西電力の10年』(1961.09) 10余年にわたる電力事業の国家管理にピリオドをうち、公益事業としての新たな規制の下に、関西配電と日本発送電の一部資産・負債を承継し、1951年(昭26)関西電力が発足。発→送→配電一貫経営の電力会社に再編成される。電力需要の急激な伸びに対処するため、電源の開発を最大目標とし、経営の合理化により料金の安定に努力。発足からの10年史は写真を多く採り入れ、統計類もグラフ化し、事業内容を業務ごとにわかり易く紹介している。
関西電力(株) 電力 『関西電力二十五年史』(1978.03) 1939年(昭14)以来国家管理にあった電力事業は戦後再編成が決定、1951年(昭26)関西配電と日本発送電の一部資産・負債を承継し、大阪に関西電力が発足。初代社長の太田垣士郎(おおたがき・しろう、1894-1964)は、電力需給・料金・労使関係の安定という三大経営方針を掲げる。発足後ただちに当時日本最大の規模を誇る丸山発電所を筆頭に水力電源開発に着手、ついで世紀の難工事といわれた黒部川第四発電所(くろよん)を建設、また1970年(昭45)当社初の原子力発電所、美浜発電所が営業運転開始。25年史は、明治期からの創立前史編、戦後の本史編、資料編の3編から構成。なおこの25年史以前には、発足後の経緯をまとめた10年史と20年史が刊行されている。
関西電力(株) 電力 『関西地方電気事業百年史』(1987.10)
関西電力(株) 電力 『関西電力五十年史』(2002.03)
関西電力(株) 電力 『関西電力五十年史. 統計・資料編』(2002.03) 『関西電力五十年史』(社史ID:13500)の統計・資料編
関西配電(株) 電力 『関西配電社史』(1953.08)
関西ペイント(株) 化学工業 『明日を彩る : 関西ペイント六十年のあゆみ』(1979.05)
神崎製紙(株) パルプ・紙 『神崎製紙の歩み』(1971.01) 幕府開成所に学んだ真島襄一郎(1852-1912)は1894年(明27)大阪淀川の支流神崎川にのぞむ地区に真島製紙所を創立。後に野田製紙、富士製紙を経て1933年(昭8)王子製紙に吸収される。戦後1948年(昭23)王子製紙から分離独立し、神崎製紙(株)創立。アート紙を生産していた神崎工場を中心に発展する。真島製紙所創立から書き起こした社史は7章からなり、巻末に資料。[1993年(平5)王子製紙と合併し新王子製紙(株)となる]
(株)関電工 建設 『関電工50年史 : 1944-1994』(1996.12)
(株)関東つくば銀行 銀行 『関東銀行五十年史』(2003.12)
関東鉄道(株) 鉄道・バス 『関東鉄道株式会社70年史』(1993.03) 1922(大正11)年、鹿島参宮鉄道株式会社創立。茨城県内を中心に鉄道、バス事業などを行う。1944(昭和19)年、戦時企業統合政策により竜崎鉄道株式会社を買収。1965(昭和40)年には常総筑波鉄道株式会社と合併し、関東鉄道株式会社と改称。1979(昭和54)年、赤字路線を分離独立させ、筑波鉄道株式会社、鹿島鉄道株式会社設立。本社史は前身の鹿島参宮鉄道株式会社創立から数えて70周年を記念して制作された。本編11章のうち、3分の2にあたる第6章までを前身会社、第7章以降を同社発足後の記述とし、前身各社の歴史から関東鉄道株式会社の事業を紐解いた社史。巻末の資料編でも前身各社の定款などを掲載。
汽車製造(株) その他輸送機器 『汽車会社蒸気機関車製造史』(1972.04) 明治初期に開設された日本の鉄道は機関車ほかの資材一切を輸入に頼っていた。資材国産化を宿願とした鉄道局長官井上勝(いのうえ・まさる、1843-1910)は退官し、渋沢栄一らの援助を受け1896(明29)年大阪に汽車製造(資)を設立。1901(明34)年には同じく栄一の協力で東京に開業していた平岡熙(ひらおか・ひろし、1856-1934)の平岡工場を合併、以降数多くの蒸気機関車、電気機関車等を製造する。1972(昭47)年川崎重工業に合併。社史は1941(昭16)年製造の機関車第2000号を記念して社内で執筆した「蒸気機関車2000号記念誌」を元にしたもので、1941年までの内容。川崎重工との合併を機に出版された。会社の沿革に続き蒸気機関車、電気機関車、電車等の製造品別製造史を記述し、製造品の写真を豊富に取り入れている。巻末に1940年以降の略年表あり。初版2000部、再版1000部の限定出版。
岸和田紡績(株) 繊維 『岸和田紡績株式会社五十年史』(1942.03) 明治初期に大阪の実業家寺田甚与茂(てらだ・じんよも、1853-1931)は岸和田の泉州木綿問屋らと紡績会社設立を図り、同業者からの出資を受け1892年(明25)岸和田紡績を創立。日清戦争景気で業績を上げ、株主配当は常に高水準を保つ。1941年(昭16)経済統制による企業統合で大日本紡績と合併し解散。創業から合併までの50年史は前篇・明治時代、後篇・大正昭和時代、余録、余記からなり、商標と製品は余録に、年譜・役員等は余記に掲載。[1964年(昭39)ニチボー(株)に社名変更(現・ユニチカ(株))]
北日本汽船(株) 海運 『北日本汽船株式会社二十五年史』(1939.06) 明治末期の樺太には陸海交通網が徐々に整備されつつあった。海産物の漁獲増大に伴い各社の航路開設が続き、合理化のため合同経営の機運が高まる。大阪商船社長中橋徳五郎(なかはし・とくごろう、1864-1934)ら発起人は1914年(大3)北日本汽船を設立し、各社の航路を継承。その後も航路を次々開設し発展する。25年史は沿革、船舶、資本、事務組織、営業所、業績及財産の構成で、付録に年表と職員録を付す。「オットセイを繞る国際問題」等の樺太に関する挿話や購入船等の写真を随所に入れる。[1943年(昭18)大阪商船(現・商船三井)に合併]
キッコーマン(株) 食品 『キッコーマン株式会社八十年史』(2000.10) 1917年(大正6)千葉県野田で醤油醸造にたずさわる茂木・高梨一族と、流山の堀切家の8家の醸造家が合同して、野田醤油(株)設立。初代社長は茂木七郎右衛門(もぎ・しちろうえもん、1860-1929)。本書では創業前の「しょうゆ小史」で紀元前からの調味料の歴史を概観。戦後しょうゆ単品の経営から脱却し、多角化・国際化経営を軌道に乗せる。1964年(昭和39)キッコーマン醤油(株)、1980年(昭和55)キッコーマン(株)と社名変更。年表は簡略だが目次が詳細。
キッコーマン(株) 食品 『キッコーマン株式会社百年史』(2020.01) 現在の千葉県野田市でしょうゆ醸造業を営んでいた茂木家・高梨家および同県流山市の堀切家の一族8家が合同し、1917(大正6)年、野田醤油株式会社を設立。1925(大正14)年、合併のために設立した野田醤油醸造株式会社を存続会社とし、創業者一族で別々に経営していた野田醤油株式会社、万上味淋株式会社、日本醤油株式会社を統合。合同後の会社を新しい野田醤油株式会社とする。1964(昭和39)年、商号とブランド名を一致させる必要性などからキッコーマン醤油株式会社に社名変更。さらに1980(昭和55)年、事業の規模と内容の変化に合わせて社名をキッコーマン株式会社に変更。しょうゆ、みりん、ケチャップ、ワイン、豆乳などの生産のほか、食育など食に関する体験、食文化普及活動にも力を入れている。千葉県野田市には「キッコーマン国際食文化研究センター」がある。本社史は4部12章にまとめた本編としょうゆをテーマにした附編および資料編から構成される。野田醤油株式会社設立から2017(平成29)年までの100年間は本編に、野田醤油株式会社設立前史は附編後半にまとめられている。映像資料『海を渡ったしょうゆ:キッコーマン100年 野田から世界へ』(Blu-ray、DVD各1枚)を付属。
キッコーマン醤油(株) 食品 『キッコーマン醤油史』(1968.10) 室町時代から醤油製造が始まった野田では、原料と水運の利に恵まれ江戸期に醤油生産が栄える。明治期に販路を全国へ広げ機械化も進み、1917年(大正6)一族の合同により野田醤油(株)創立。1964年(昭和39)従来の商標を社名にキッコーマン醤油(株)と改称。創立50年記念に編纂された社史は、既刊の20年史、30年史に多くの資料と図版を加え、更に日本の「食の歴史と醤油」の考察を附録としている。
(株)九州銀行 銀行 『九銀五十年史』(1990.12)
九州水力電気(株) 電力 『九州水力電気株式会社二十年沿革史』(1933.08) 日露戦争後の産業勃興期に水力発電の必要性が高まり、大分県では東京・福岡・中津の実業家3派が電力会社設立を企図。筑後川水力を利用した発電と電気化学工業品の製造販売を目的に、3派は共同して1911年(明44)九州水力電気を設立。1913(大2)女子畑(おなごはた)発電所が完成、翌年には八幡製鉄所への電力供給を行う。博多電気軌道ほか多くの電気会社を吸収合併し、1921年(大10)には日本窒素肥料(株)カーバイド製造日出工場、翌年には日本電化工業等を買収して電気化学工業へ進出する。20年史は創業顛末、年表、定款、事業概要、工作物、植林、供給区域明細、計画工作物、関係会社の構成で、巻頭に役員と事業所写真、巻末に役員伝と詳細な図表を付す。[1942年(昭17)電力国家管理により事業を九州配電へ引継ぐ]
九州電力(株) 電力 『九州電力10年史』(1961.11)
九州電力(株) 電力 『九州電力四十年史 : 1951-1991』(1991.12)
九州電力(株) 電力 『九州電力50年史 : 最近10年のあゆみ』(2001.12)
九州電力(株) 電力 『九州地方電気事業史 : 1887明治20年-2005平成17年』(2007.10)
九州配電(株) 電力 『九州配電株式会社十年史』(1952.12)
九州旅客鉄道(株) 鉄道・バス 『鉄輪の轟き : 九州の鉄道100年記念誌』(1989.10)
共同印刷(株) その他製造業 『創造の系譜 : 共同印刷の80年』(1977.06) 長岡出身の大橋佐平(おおはし・さへい、1834-1901)は1887年(明20)出版社博文館を設立、その自家用印刷工場として1897年(明30)博文館印刷工場を創設した。後に博文館以外のものも印刷、さらに美術印刷のため設立した精美堂を合併し1925年(大14)共同印刷を設立、初代社長は娘婿の大橋光吉(おおはし・こうきち、1875-1946)。海外から最新の印刷機を積極的に導入し発展、紙以外に布や金属の印刷も開始し「東洋一の印刷のデパート」と称される。80年史は日本工業新聞に連載した「共同印刷・社史挿話」をまとめて出版したもの。
共同印刷(株) その他製造業 『共同印刷90年史』(1987.06)
共同印刷(株) その他製造業 『共同印刷百年史』(1997.06)
共同印刷(株) その他製造業 『共同印刷百二十年史』(2017.10) 出版社、博文館の専用工場として、1897(明治30)年、博文館印刷工場が創設される。翌年、工場移転を機に合資会社博進社工場と改称。1905(明治38)年、合資会社博文館印刷所と改称し、博文館以外の発注も受けるようになる。1918(大正7)年に株式会社に改組。1925(大正14)年に株式会社精美堂と合併し、共同印刷株式会社となる。本社史は博文館印刷工場創設から数えて120周年を記念し制作された。第1部では既刊『共同印刷百年史』の内容を再編集し、第2部で近20年について詳述する構成となっている。巻末には資料編のほか、コラム、社長と若手社員の座談会を掲載。
共同漁業(株) 水産 『共同漁業株式会社の事業』(1929.08)
共同石油(株) 石油 『共同石油20年史』(1988.03) 第2次大戦後石油輸入は禁じられていたが、石油の安定供給を図る石油業法が1962年(昭37)公布される。原油輸入自由化が検討され、外資の出資を受けていない民族系石油企業の育成等の石油政策が展開。それに伴い石油共同販売会社設立が図られ、日本鉱業、亜細亜石油、東亜石油3社による共販会社として1965年(昭40)共同石油が設立された。3社の規格・配油・特約販売店・LPG販売・銘柄等の集約・統一がなされ、1966年(昭41)には富士石油、1967年(昭42)には鹿島石油が加わる。2回の石油危機を経て1979年(昭54)東亜石油が、1981年(昭56)にはアジア石油が共石グループを離脱。合理化・効率化を進めて体制を整える。20年史では創立前史として戦後の石油産業と石油政策及び合併3社の沿革を記述。設立後の沿革を6章にわたり詳述、資料編には設立時の協定書や通産省通達文書も掲載。[1992年(平4)日本鉱業と合併し日鉱共石となる(現・JX日鉱日石エネルギー(株)]
(社)共同通信社 サービス業 『共同通信社三十五年』(1981.10)
(社)共同通信社 サービス業 『回想共同通信社50年』(1996.06)
(社)共同通信社 サービス業 『共同通信社50年史』(1996.06)
(社)共同通信社 サービス業 『共同通信社年表』(1996.06) 『共同通信社50年史』(社史ID:14430)の年表
(社)共同通信社 サービス業 『共同通信社60年史 : 1995-2005』(2007.04)
京都織物(株) 繊維 『京都織物株式会社五十年史』(1937.11) 京都の染織業は維新後の京都府の勧業政策により、織殿・染殿として全国にさきがけ洋式染織法を取り入れていた。東西の有力者間に大規模な洋式設備を持った織物会社創立の機運が高まり、渋沢栄一らが京都織物会社の創立願書を提出、1887年(明20)認許、織殿の払下げを受け開業する。1893年(明26)商法施行に伴い定款改正、栄一を取締役会長とし京都織物(株)となる。50年史は沿革・事業・現況・年譜からなり、内外博覧会受賞メダルなど多くの写真入り。見返しの山水屏風は1909年(明42)栄一が相談役辞任の際に会社から贈呈されたもの。[1968年(昭43)業績悪化により解散]
京都織物(株) 繊維 『京都織物株式会社全史』(1969.04) 京都府の勧業事業であった織殿(おりどの)の民間への払い下げを受け、京都織物会社として1887(明治20)年に創立。1893(明治26)年の商法の施行後、京都織物株式会社となる。1944(昭和19)年、京織工業株式会社に改称。1945(昭和20)年、再び京都織物株式会社に社名を戻した。1968(昭和43)年、経営難により解散。本社史は会社の解散を決議後、同社の歴史を後世に残しておくことを目的として制作された。明治篇、大正篇、昭和篇の3部構成で創業から解散までの変遷をまとめている。特に戦後の経営難から解散に至る経緯について詳しい。また元従業員や関係者の回顧を多く取り入れている。
京都銀行協会 銀行 『銀行 : 源流と進展 : 百周年記念誌』(1981.11) 1881年(明14)京都にある国立銀行等8行が、銀行団体である京都同盟銀行を結成し、手形交換業務を開始。加盟銀行の増加と日清戦争後の経済界発展に対応するため、1898年(明31)京都同盟銀行は解散し新たに京都銀行集会所が創立。1930年(昭5)社団法人に改組。1945年(昭20)各地の銀行団体は終戦後の新組織に移転し、京都銀行集会所も改組して(社)京都銀行協会が設立。同盟銀行結成からの100年を記念して刊行された本書は3編からなり、第1編で平安時代から三井、小野、島田組の興隆に至る京都の金融業の歴史を記述。第2編で明治以降の100年の歩みをまとめ、第3編は資料。第1編は東京銀行協会の月刊誌『銀行倶楽部』に連載した「金融業の源流を訪ねて」に加筆修正したもの。京都で保管され戦火を免れた膨大な資料を基にしている。[2012年一般社団法人に移行][渋沢栄一は1910年(明43)に京都銀行集会所で演説をした]
京都信用金庫 その他金融業 『ここに生まれここに育って五十年 : 京都信用金庫のあゆみ. [本編]』(1973.09)
京都信用金庫 その他金融業 『クロニクル [ここに生まれここに育って五十年 : 京都信用金庫のあゆみ]』(1973.09) 『ここに生まれここに育って五十年 : 京都信用金庫のあゆみ. [本編]』(社史ID:11210)の資料編
京都信用金庫 その他金融業 『コミュニティ・バンク論 : 地域社会との融合をもとめて』(1973.09)
京都信用金庫 その他金融業 『コミュニティ・バンク論. 2』(1978.09)
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