収録社史一覧

業種"自動車・自動車部品" 社史一覧 全39件中39件 1件〜39件目を表示

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会社名 業種 社史タイトル(出版年) 会社沿革と社史メモ
曙ブレーキ工業(株) 自動車・自動車部品 『半世紀の歩み』(1979.05) 岡山出身で同志社に学んだ納三治(おさめ・さんじ、1873-?)は、米国留学後自動車のブレーキライニング(摩擦材)製造の将来性に着目。1929年(昭4)東京に曙石綿工業所を設立、曙は故郷の景色から、社章は同志社の許可を得て校章と同じ三稜とした。外国車だけでなく国産車にも部品供給し1936年(昭11)株式会社に改組。戦時中は軍需物資供給元として業績拡大。戦後米国ベンディックス社との技術提携を機に1960年(昭35)曙ブレーキ工業と改称。自動車だけでなく鉄道車輛や産業機械用の総合ブレーキメーカーとして、時代の要請に応える。50年史は巻頭グラビアに各種交通機関とブレーキの発達史を載せ、本文は沿革編と部門別の技術編、資料、年表で構成。
安全自動車(株) 自動車・自動車部品 『交通報国 : 安全自動車70年のあゆみ』(1989.04)
(株)いすゞカーライフ 自動車・自動車部品 『いすゞカーライフの30年』(1991.02) 朝鮮戦争需要を契機に自動車の供給台数が増加。いすゞ自動車(株)では需要増加した自動車補修用部品の純正品を販売推進する為、それまで部品特約販売店として指定していた折橋商事、帝国部品、親和興業の3社との共同出資で、1958年(昭33)協同産業(株)を設立。高度経済成長期に国内外へ発展する。1984年(昭59)社名を(株)いすゞカーライフに変更。30年史では序章の創立前史で戦後の復興と自動車産業、いすゞ自動車と部品流通事情に触れ、前身3社の略史も記載。コラム記事をはさむハンディな体裁で、巻末索引付。[1994年(平6)社名を(株)アイ・シー・エルに変更]
いすゞ自動車(株) 自動車・自動車部品 『いすゞ自動車史』(1957.04) (株)東京石川島造船所自動車部では1922年(大11)ウーズレーA9型国産第1号乗用車を完成させ、1929年(昭4)(株)石川島自動車製作所として独立。初代社長は渋沢正雄(しぶさわ・まさお、1888-1942)。1933年(昭8)ダット自動車製造を合併して自動車工業(株)と改称。この時期から製品の自動車の名称に、伊勢の五十鈴川に因んだ「いすゞ」を採用。自動車製造を企画していた東京瓦斯電気工業(株)との合併で1937年(昭12)東京自動車工業(株)を創立、1941年(昭16)にヂーゼル自動車工業(株)と改称。1949年(昭24)再建整備の過程でいすゞ自動車(株)に社名変更する。当社史では第1部が石川島自動車製作所創業時からヂーゼル自動車工業まで、第2部が戦後の復興といすゞ自動車の発展の軌跡。本文中に製品写真等を多数掲載している。
いすゞ自動車(株) 自動車・自動車部品 『いすゞ自動車80年史』(2017.08)
神奈川トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『モビリティライフの創造 : 神奈川トヨタ50年の軌跡』(1998.02) 渋沢栄一の下で帝国劇場の創設に参画した上野芳太郎の息子上野建は、財界人との交流の中で日本GMの神谷正太郎と出会う。神谷は豊田喜一郎からトヨタ車の販売をまかされ、神奈川地区の販売を上野建に依頼、1939年神奈川トヨタ販売(株)設立。戦後販売会社が再編成され、1946年神奈川トヨタ販売(株)再設立、1948年神奈川トヨタ自動車(株)に社名変更。50年史は創業からの歩みを経営者の人物像を織り込みながら記述。
(株)小糸製作所 自動車・自動車部品 『小糸製作所50年史』(1968.04) 明治末期に信号設備の国産化を図った鉄道院は、指定業者に試作研究を依頼。日本橋のガラス問屋勤務の小糸源六郎(こいと・げんろくろう、1883-1974)は、独立して鉄道院の試作研究を請負い、信号機用フレネル・レンズを開発。外国製品にも遜色ない製品を試作し、1915年(大4)小糸源六郎商店を設立、鉄道院指定商人として開業する。1930年(昭5)小糸製作所と改称、1936年(昭11)株式会社に改組、自動車や航空機用部品生産にも進出。戦後は民需転換し、特殊照明器具生産を推進する。50年史は本文5章と付録からなり、製品写真を多数掲載。付録資料には就業規則も載せている。
(株)小糸製作所 自動車・自動車部品 『小糸製作所70年史』(1985.11)
鈴木自動車工業(株) 自動車・自動車部品 『50年史』(1970.04) 静岡出身の鈴木道雄(すずき・みちお、1887-1982)は大工徒弟で覚えた技術を活かし、1909年(明42)鈴木式織機製作所を創立。遠州は織物が盛んで織機メーカーとして順調に成長し、1920年(大9)鈴木式織機(株)へ改組。海外へも輸出し発展するが、織機以外の製品として1936年(昭11)自動車製造の研究を始める。戦時中は中断していたが、戦後自動車エンジン試作を再開し、軽自動車を中心とする自動車メーカーへと成長を遂げた。1954年(昭29)鈴木自動車工業と社名変更し、更に大きく発展する。50年史は沿革と、経営・技術・生産・営業・管理からなる現況、座談会とインタビューからなる回顧と展望の3部構成。オートバイや乗用車の製造工程の写真を多く取り入れた編集。[1990年(平2)スズキ(株)に社名変更]
東洋工業(株) 自動車・自動車部品 『東洋工業株式会社三十年史』(1950.01)
東洋工業(株) 自動車・自動車部品 『東洋工業五十年史. 沿革編 1920-1970』(1972.01)
東洋工業(株) 自動車・自動車部品 『明日をひらく東洋工業 : 東洋工業五十年史. 現況編 1970』(1970.11) 『東洋工業五十年史. 沿革編 1920-1970』(社史ID:06590)の現況編
トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『創造限りなく : トヨタ自動車50年史』(1987.11) 1937年(昭和12)創業のトヨタ自動車(株)の50年史。プロローグに豊田佐吉の小伝を置き、本文ではトヨタ自動車工業(株)としての創立からの50年の歩みを、時代順に12章に分けて記述。1950年(昭和25)に販売部門を分離してトヨタ自動車販売(株)を設立するが、1982年(昭和57)再び合併し、トヨタ自動車(株)発足。「かんばん方式」はじめ経営近代化の足跡も詳述している。巻末索引および別冊資料集付。
トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『創造限りなく : トヨタ自動車50年史. 資料集』(1987.11) 『創造限りなく : トヨタ自動車50年史』(社史ID:06610)の資料編
トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『Toyota : a history of the first 50 years』(1988) 『創造限りなく : トヨタ自動車50年史』(社史ID:06610)の英語版。
トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『大いなる夢、情熱の日々 : トヨタ創業期写真集』(1999.05) トヨタ自動車の創業者豊田喜一郎とその仲間たちの仕事ぶりを伝える写真集。喜一郎の生まれた1894年(明治27)から没後3年の1955年(昭和30)までの製品・人物・工場などの写真を、6つの時代区分で配列している。
トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『トヨタ自動車75年史』(2013.03) トヨタ自動車創業からの75年史は3部からなり、第1部「自動車事業への挑戦」は豊田佐吉の発明から書き起こし、1937年(昭和12)の豊田喜一郎による自動車事業創業から戦後の量産量販へ準備を重ねた1950年代半ばまで。第2部「自動車事業の基盤確立」は量産体制の確立、新型車の開発、そして社会的要請へ対応した1970年代後半頃まで。第3部「グローバル企業への飛躍」は工販合併後本格化した海外生産、グローバリゼーション、経営危機等に対応した2010年代までを扱っている。巻末索引、別冊資料編付。なお75年史はまず2012年(平成24)にトヨタ自動車(株)公式サイトに公開され、翌年冊子体が刊行された。
トヨタ自動車(株) 自動車・自動車部品 『トヨタ自動車75年史. 資料編』(2013.03) 『トヨタ自動車75年史』(社史ID:06633)の資料編
トヨタ自動車工業(株) 自動車・自動車部品 『わたしとくるま : トヨタ自動車工業株式会社創立40周年記念論文集』(1977.11) 1937年(昭和12)創業のトヨタ自動車工業(株)の、40周年記念出版社史「文明にとって車とは」3冊セットの1冊。記念事業の一環として行なった「論文・オピニオンの全国公募」で集まった1,994編の中から、最優秀・優秀作品18編を収録。選考委員は梅棹忠夫ほか。
トヨタ自動車工業(株) 自動車・自動車部品 『トヨタのあゆみ : トヨタ自動車工業株式会社創立40周年記念』(1978.03) 静岡出身の豊田佐吉(とよだ・さきち、1867-1930)は1890年(明治23)の内国勧業博覧会に日参し動力機械について学び、国産初の動力織機を発明。1926年(昭和元)愛知県に豊田自動織機製作所を創立、長男喜一郎(きいちろう、1894-1952)は自動車の研究に着手する。最新の生産技術を蓄積しながら国産大衆車の製造を目指し、1937年(昭和12)トヨタ自動車工業(株)として独立。在庫をもたない流れ作業を前提とした工場のレイアウトを構想し、効率化と品質管理に務める。1950年(昭和25)販売部門をトヨタ自動車販売(株)として分離。1937年の創業から40周年を記念して出版した「わたしとくるま」「わ・わざ・わだち」の2冊とともに、「文明にとって車とは」という社史セットを構成。
トヨタ自動車工業(株) 自動車・自動車部品 『わ・わざ・わだち : トヨタ自動車工業株式会社創立40周年記念写真集』(1978.03) 1937年(昭和12)創業のトヨタ自動車工業(株)の、40周年記念出版社史「文明にとって車とは」3冊セットの1冊。沿革、製造、製品、従業員、広告など8つの視点からまとめた写真集。
トヨタ自動車販売(株) 自動車・自動車部品 『モータリゼーションとともに』(1970.11) 1937年(昭和12)創業のトヨタ自動車工業(株)が戦後の経営再建策として販売部門を独立させ、1950年(昭和25)トヨタ自動車販売(株)設立。以降潜在需要を開発し、国内から海外に市場を広げる。社史は設立のいきさつから20周年までの歩みを、業容拡大の大きな流れに沿って記述。別冊資料編あり。[1982年(昭和57)再合併しトヨタ自動車(株)発足]
トヨタ自動車販売(株) 自動車・自動車部品 『モータリゼーションとともに. 資料』(1970.11) 『モータリゼーションとともに』(社史ID:06670)の資料編
トヨタ自動車販売(株) 自動車・自動車部品 『世界への歩み : トヨタ自販30年史』(1980.12) 創業から30年の歩みを、創業と基盤づくり、積極政策の展開と国際企業への成長、内外経営環境の潮流変化のなかで、安定成長時代への模索、新しい時代に向けて、という5章に分けて記述。索引付。別冊資料編あり。[1982年トヨタ自動車工業と合併し、トヨタ自動車(株)となる]
トヨタ自動車販売(株) 自動車・自動車部品 『世界への歩み : トヨタ自販30年史. 資料編』(1980.12) 『世界への歩み : トヨタ自販30年史』(社史ID:06690)の資料編
トヨタ車体(株) 自動車・自動車部品 『モノづくりの真髄を求めて : トヨタ車体50年史』(1996.06)
トヨタ車体(株) 自動車・自動車部品 『モノづくりの真髄を求めて : トヨタ車体50年史. 変遷図』(1996.06) 『モノづくりの真髄を求めて : トヨタ車体50年史』(社史ID:06710)の変遷図
日産自動車(株) 自動車・自動車部品 『21世紀への道 : 日産自動車50年史』(1983.12) 1911年(明治44)設立の快進社自働車工場は1914年(大正3)小型乗用車のDAT自動車を完成、後にダット自動車製造と改称。一方で鮎川義介(あいかわ・よしすけ、1880-1967)が設立した戸畑鋳物は1928年(昭和3)頃から自動車部品製造を開始。自動車工業の将来性に着目、国産車の製造をめざし、1931年(昭和6)ダット自動車製造を買収。石川島自動車製作所との合併を経て1933年(昭和8)自動車製造(株)設立、鮎川が初代社長となる。彼が創設した持株会社日本産業の傘下にはいり、1934年(昭和9)日産自動車(株)と改称。50年史は創業からの通年史で写真も多くとりいれた読みやすい体裁。
日産自動車(株) 自動車・自動車部品 『日産自動車社史 : 1974~1983』(1985.04) 日産自動車(株)がこれまでに刊行した「30年史:1933-1963」「社史:1964-1973」「50年史:1933-1983」に続き、1974-1983年の事項をまとめたもの。第1次、第2次石油危機にどのように対応したかを、部門ごとの視点で記述。
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『富士重工業三十年史』(1984.07)
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『六連星はかがやく : 富士重工業50年史 : 1953-2003 : Six stars shining briliantly』(2004.07) 前史として1917年設立の中島飛行機が数々の名機を生み、戦争で爆撃の対象とされ、戦後の財閥解体で12社に分割するまでを描く。戦後その中の主要5社が1953年合併し富士重工業(株)設立(社史タイトルには6社を象徴して六連星(ムツラボシ)を使用)、飛行機・自動車・二輪車・鉄道車両などの総合輸送機器メーカーとしてスタートする。1957年に完成したスバル360は最初の「国民車」と評価され、ロングセラーとなる。輸出産業として成長するが、1990年代から販売不振となり、1999年にGMと包括提携。別冊資料編あり。
富士重工業(株) 自動車・自動車部品 『富士重工業50年史 : 資料集 : 1953-2003』(2004.07) 『六連星はかがやく : 富士重工業50年史 : 1953-2003 : Six stars shining briliantly』(社史ID:06760)の資料編
本田技研工業(株) 自動車・自動車部品 『語り継ぎたいこと : チャレンジの50年 : 総集編『大いなる夢の実現』』(1999.03) 静岡で自動車のピストン製造を行っていた本田宗一郎(1906-1991)は、戦後自転車の補助エンジンを開発し1946年(昭和21)本田技術研究所設立。1948年(昭和23)株式会社となり、翌年藤沢武夫(1910-1988)が常務として入社し営業を担当、東京へ進出。世界一のオートバイメーカーを目指して開発製造に邁進し、1958年(昭和33)スーパーカブ発売、翌年マン島TTレース出場を果たす。創立からの50年史は『大いなる夢の実現』と題した冊子体の総集編、別冊の年表・資料、2枚のCD-ROM「12の部門で綴る50年」「映像と音で綴る50年」からなる。総集編はものづくりの夢と情熱を具体的なエピソードからまとめたもので、創業者精神が隅々に行き渡っている社風を浮かび上がらせている。
本田技研工業(株) 自動車・自動車部品 『語り継ぎたいこと : チャレンジの50年 : 年表・資料版』(1999.03) 『語り継ぎたいこと : チャレンジの50年 : 総集編『大いなる夢の実現』』(社史ID:06780)の資料編
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(1981.12)
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 2』(1982.06) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の2巻
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 3』(1984.01) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の3巻
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 4』(1986.03) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の4巻
(株)ヤナセ 自動車・自動車部品 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 5』(1987.10) 『轍 (わだち) : 日本自動車界のあゆみとヤナセ. 1』(社史ID:06800)の5巻
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